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4 捨てようとしたものは……

今回は、ひとつの「生業」をめぐる出来事です。


 部屋の真ん中に、男が立っていた。


「ほう……」


 鏡之介は感心したような声を上げたが、水絵は一瞬言葉が出なかった。自分が見立てたとは思えないほど、路考茶の小袖は男に似合っていた。


「さすが、水絵の見立てだ、よく似合ってるぜ」


 鏡之介の言葉に、我に返る。


「み、身の丈は合っているみたいですね。じゃあ、わたしは……」


 寺子屋に戻ります、と立ち去ろうとした水絵を、男が呼び止めた。


「悪いが、これを捨てておいてくれ」


 と、指し示したのは、さっきまで男が着ていた派手な着物と市松模様の帯だった。


「捨てちゃうんですか?」


「もう……必要ない」


 吐き捨てるように言うと、男はどかっと座り、顔を背けた。水絵から顔を背けているのかと思ったが、そうではないと思い直した。男は、月と菊の模様から顔を背けているのだ。


「わかりました」


 水絵は、買ってきた着物を包んでいた風呂敷に着物と帯を包み、


「それでは」


 と、部屋を辞した。鏡之介も続いて部屋を出てきたことは気づいたが、庫裏を出るまで振り返ることはしなかった。


「さすが水絵だ。気づいたんだろ?」


 寺子屋に戻る途中、何気ない風に鏡之介が言った。


「気づいたって、なにに?」


 鏡之介の言おうとしていることはわかるような気がしたが、勘違いしては恥ずかしいので聞き返した。


「あいつの生業(なりわい)……」


 そこまで言われれば、とぼけるわけにはいかない。


「絶対そうだと思ったわけじゃありません。なんとなく、そうじゃないかなって思って……。でも……」


 実際に路考茶を身につけた姿を見たときには、ほとんど確信になっていた。


「謙遜するな。気づいてなきゃ、路考茶なんて選ばねぇだろ?」


「まあ……そうですけど。でも、あの人、これを捨ててくれって言ったから」


 男が着ていた派手な着物が包まれた風呂敷を少し持ち上げてみせる。


「生業も、捨てちまうつもりなのかねぇ」


 鏡之介も分かっているのだろうが、その「生業」がなんなのかは、はっきりとは言わない。けれど、水絵の考えている「生業」と同じなのは分かった。


「あのひどい怪我となにか関係があるのかもしれませんね」


 つぶやくように言うと、鏡之介がにやっと笑った。


「袖切り冬三譲りの捕り物魂がうずいてるんじゃねぇのか?」


 自分でも気づいていなかった本音をずばり言い当てられて、水絵はどきっとする。けれど、それを悟られないように、首を横に振る。


「そんな気はありません。今は、千代ちゃんのことの方が気になります」


 自分に言い聞かせるようにそう言うと、水絵は寺子屋に急いだ。


 寺子屋に居残っていたのは、千代と新吉だけではなかった。ふたりは縁側に座って足をぶらぶらさせていたが、部屋の奥には礼次と誠太郎が顔を寄せ合って一冊の草双紙を読んでいた。


「水絵姉ちゃん、遅いよ!」


 新吉の大声に、礼次と誠太郎が顔を上げる。

 水絵の姿を認めた誠太郎は、居住まいを正してこちらに一礼してくる。そんな誠太郎の姿を、礼次が見つめている。

 水絵は誠太郎に頷き返すと、


「仕方ないでしょ。祐光先生に、のっぴきならない用事を頼まれちゃったんだから」


 と、新吉に返した。

 だが、その言葉を聞いた途端、千代の表情が曇る。やはり「のっぴきならない用事」という言葉に、なにかわだかまりがあるらしい。


「相談事ってなにかな?」


 千代の顔をのぞき込む。


「……花吉兄ちゃんが……」


 千代の目はみるみるうちに涙が溢れ、言葉が続かない。その千代をかばうように、新吉が言った。


「花吉さんが変なんだ」


「変?」


 千代の一家――千代と祖父の弥一と兄の花吉――は、水絵と同じ長屋の住人だ。水絵には、特に変わった様子は見受けられなかった。母の志津もなにも言っていない。だが、千代がここまで思い悩むのだから、きっとなにかあるのだろう。


「くわしく教えて」


 千代の両手をとって、自分の両手で包み込む。

 鏡之介は口を出さないことに決めたのか、新吉の隣に腰をかけ、空を見上げている。


「兄ちゃん、前は、祖父ちゃんと夜鷹蕎麦の商いに行く以外はうちにいたんだけど……。この頃、昼間、どこかに行っちゃうの」


 千代がぽつりぽつりと話し、事情を知っているらしい新吉が時々口をはさむ。そんな要領の得ない話を、水絵は辛抱強く聞いた。


 ふたりの話をまとめると――。

 半月ほど前から、昼過ぎになると、花吉はどこかへ出かけていく。そして、日が暮れる頃戻ってきて、弥一とふたりで商いに行く。千代は寝てしまうので、ふたりがいつ帰ってきたかはわからないが、朝、目が覚めると、花吉はうどんの仕込みをしている。弥一が起き出すのは、昼少し前だ。弥一が起きると花吉はどこかに出かけ、入れ替わるように弥一が蕎麦の仕込みをする。

 以前は、花吉も昼過ぎまで寝ていた。そして、ふたりそろって蕎麦とうどんの仕込みをしていた。それが今は――。


「兄ちゃん、ほとんど寝てないと思う」


 顔色も悪いし、ずいぶん痩せてしまったと、千代は涙ぐむ。どこに行くのか尋ねても、花吉は微笑むだけで答えてくれない。


「だから、祖父ちゃんに聞いたの。そしたら……」


「のっぴきならない用事……って言ったのね?」


 千代はこくんと頷いた。


「なんだよ、のっぴきならねぇ用事って。千代がこんなに心配してんのに」


 新吉が唇をとがらせた。


「なるほど、これは、水絵姉ちゃんの出番だな」


 鏡之介が、妙にのんびりした口調で言った。

 思わず鏡之介の顔を見ると、にやっと笑って付け加えた。


「明日の寺子屋は、俺がひとりでなんとかする。この前と違って、昼間だから、怪しいやつに襲われることもねぇだろう」


 つまり、明日、花吉の跡をつけろ……ということだ。弥一の屋台を借りた花吉の跡をつけたときのわくわく感がよみがえってくる。と、同時に、祐光師や孝之進の渋い顔も浮かんでくる。


「……ええと……」


 岡っ引きのまねごとはやめろって言われているし……と言おうとした水絵は、千代のすがるような視線に気づいてしまう。


「わかった。明日、花吉さんがどこに行くのか調べてみる」


「やった!」


 新吉が叫び、


「ありがとう、水絵姉ちゃん」


 と、千代が抱きついた。


「うん。ちゃんと調べるからね」


 千代の背中をなでていると、新吉の笑顔の向こうの鏡之介は、目が笑っていなかった。


「自分のそそのかしといて言うことじゃねぇが、気をつけろよ。無理はするな」


 今更なにを……と、ちょっと腹が立ったが、千代の手前喧嘩するわけにも行かない。


「わかってます」


 素っ気なく答えると、鏡之介は、ははっと笑ったが、水絵には空元気にも聞こえた。


小さな違和感が、やがて大きな波紋になります。

次回もお付き合いいただければ幸いです。

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