3 路考茶の男
庫裏に運び込まれた、身元不明の怪我人。
水絵に託されたのは、その男の着物を選ぶこと。
「……着物」
鸚鵡返しに言って、ようやく話の内容が見えた。つまり、「水絵じゃなきゃ出来ねえこと」とは、着物を見繕うこと。仕立屋の娘としての腕を買われた、ということだ。寺子屋師匠見習いとしての腕を買われたわけではない。――それでも、頼りにされることは嬉しかった。
「わかりました」
水絵は、先ほど感じた「怖さ」を振り切って、男に向かって言った。
「すみませんけど、立ってもらえますか」
男は、一瞬眉をひそめたが、動こうとはしなかった。その冷たい表情に、ぞくりとする。けれど、ひるんではいられない。声が震えないように気をつけながら、なんでもないことのように、
「立ってもらえないと、着物の丈がわかりません」
と言う。
すると、男の表情が変わった。「得心した」という風にかすかに頷くと、布団から出て、すっと立ち上がって見せた。
水絵は思わず息をのんだ。その立ち居振る舞いが、とても優美だったからだ。ただ立ち上がるだけなのに、名手の舞を見ているようだ。
いったい、この人は何者なんだろう。知りたいという気持ちがむくむくと湧きあがるが、水絵は問い質すことはしなかった。水絵に知らせていいことなら、すでに祐光師が話してくれているはずだ。教えてくれないのは、それなりの理由があるから。だったら、問い詰めて困らせることはしたくない。
水絵も立ち上がり、自分の背と比べる。かなり高いが、鏡之介ほどではない。祐光師よりは高く、鏡之介よりは低い。
「手を……こう広げてみてください」
水絵が指示すると、男は素直に従った。肩幅が狭く、華奢な体つきだが、手足が長いので見栄えはいい。この姿形に、派手な小袖と市松模様の帯――。町を歩けば、かなり人目をひくはずだ。この人に似合う着物は……と考える。いつもならすぐに頭に浮かんでくる着物の柄が、何故かまるっきり浮かんでこない。
「なにか……ご希望はありますか?」
なにかよすがになるものがあれば……と尋ねてみたが、返ってきたのは、
「任せる」
という素っ気ない返事――。
一瞬、目の前が真っ暗になりそうに思えたが……水絵はすぐに思い直した。素っ気ない口調だったが、彼が言ったのは「任せる」だ。「なんでもいい」でも「特にない」でもなく「任せる」。つまり、水絵に着物選びを一任してくれたということだ。
「任せる」と言ったのは、そこまで深い意味はなく、単に投げやりになっているだけかもしれないが、水絵はいいほうに解釈した。
「わかりました。あなたに似合う着物、選んできます」
そう言って部屋を出て行こうとする水絵に、祐光師が、そっと財布を差し出す。
「買うのは鳴門屋さんですから……」
ツケもききますよ……と言いかけて、水絵は口をつぐんだ。水絵がどんな着物を買うにせよ、その掛け取りが、眞性寺に来るのは、さすがにまずいのだろう。
「行ってきます」
財布を受け取って、水絵は部屋を辞した。
鳴門屋は、水絵と母が仕立物の仕事をもらっている店だ。仕立てを請け負う仕事が主だが、古着も扱っている。顔なじみの主人は、水絵が男物の着物を捜していることに訝りはしたが、しつこく追求はしてこなかった。そして、いろいろ相談にも乗ってくれた。
鏡之介は「水絵じゃなきゃ、出来ねえことだ」と言ってくれたが、実はあまり自信がない。女物の着物の見立てなら得意だし、知り合いに見立ててあげて感謝されたこともしょっちゅうだ。だが、母とふたりの女所帯。正直なところ、男の着物に関しては、今ひとつ自信が持てない。それでも――。自分を頼ってくれた祐光師や鏡之介の期待に応えなくてはならない。
「路考か……」
水絵が差し出した小袖を見て、男はつぶやいた。
「いけませんか?」
反射的に聞き返すと、男はゆるゆると首を横に振った。
「いや、あんたに任せたんだ。それにしても、路考か……」
口元に皮肉な笑みが浮かぶ。その言葉に、水絵は自分の勘は間違っていなかったのかもしれないと思う。
水絵が選んだのは、路考茶の縞柄の小袖に、紫地に白の麻の葉模様の帯。路考茶は、歌舞伎役者の瀬川菊之丞が、明和三年に舞台で身につけて以来、江戸中の女性がこぞって真似した色だ。その人気は今でも続いているが、男物には珍しい。けれども、この着物を見たとき、水絵は「これだ!」と思ってしまったのだ。その着物を手に取ってから気づいた。あの人は、もしかしたら役者なのではないか――と。
それならば、着物の柄が派手なのも、身のこなしが優雅なのも、納得できる。それに、彼の帯は市松模様――歌舞伎役者・佐野川市松にちなんだ柄――だった。それなら、路考茶も好みなのでは、と決めかけたとき、ふと気になった。
市松は故人だが、菊之丞は、今現在役者として人気がある。この違いは大きい。彼にとって菊之丞が競う相手なのだとしたら、真似はしないだろう。むしろ、避けて通るはず。そうは思っても、この路考茶の小袖以上に似合いそうな着物を、見つけることは出来なかった。だから、怒鳴られることも覚悟の上で、買ってきたのだ。
それに合う襦袢は見立てたが、下帯はさすがに主人に選んでもらった。その一揃いを抱えて真性寺に戻り、男に差し出したのだ。
「身の丈に合っているかどうか、確かめてください。合わなければ、代えてもらえるよう鳴門屋さんにお願いしてありますから」
着替えたら声をかけてくださいと言い残して、水絵は部屋を出る。そして、廊下に出た途端、へなへなと座り込んでしまった。思っていた以上に、緊張していたらしい。ふーっとひとつ大きなため息をついたとき――。
「具合でも悪いのか?」
いきなり声をかけられて、水絵は飛び上がった。
「驚かさないでください!」
気まずさをごまかすために怒った顔を作り、くってかかる。だが、鏡之介は、ははっと笑っただけで、謝りもしない。
「こんなところで座り込んで――。用件はすんだのか?」
水絵の近くにしゃがみ込み、顔をのぞき込むようにして尋ねてくる。水絵は、自分の頬が熱くなるのを不思議に感じながら答えた。
「あの人の着物なら買ってきました。寸法が合うかどうか、今、着てもらってるんです」
「なるほど」
頷いた鏡之介も、ここで待つことにしたらしい。
「手習いは? 終わったんですか?」
「ああ。けど、千代と新吉は残ってる。水絵姉ちゃんに相談事があるんだとよ」
「わたしに?」
聞き返すと、鏡之介はくすくすと笑った。
「俺にも聞いてもらいてぇが、水絵姉ちゃんのいないところじゃ嫌だって言われちまった。俺はまだ、師匠と認めてもらってないのかねぇ」
傷ついた風に口調は作っているが、顔は笑ってる。
「聞かせたくないって言ってるわけじゃないんですから、いいじゃないですか」
軽くいなしたとき、
「入ってください」
と言う、祐光師の声がした。
色には、持ち主の過去が滲みます。
路考茶は、誰の色なのでしょうか。




