【証拠はいらない】着飾るのをやめたら、私が消える気がした
相談者は、三十代後半の女性だった。
姿勢はいい。
髪も爪も、服の端まで整っている。
ただ――椅子に座ってから一度も、背中を預けなかった。
「債務整理の相談です」
「金額は?」
「……七十万ほどです」
致命的ではない。
だが、軽くもない。
「理由は?」
少し間があった。
「……生活費です」
続きを待つ。
「正確には」
「化粧品と、服と……美容代」
「やめられなくて」
「借りてまで?」
「はい」
俺は書類を閉じた。
「返せない額じゃない」
「……分かってます」
「じゃあ聞く」
「やめたら?」
彼女の指先が止まった。
「……怖いです」
「何が?」
「全部やめたら」
「私が、消える気がして」
「誰に?」
「……分かりません」
「今のまま続けたら?」
「また借ります」
「終わりは?」
「ないです」
沈黙。
「なあ」
「着飾ってない時間も、生きてきただろ」
彼女の喉が動く。
「その時」
「消えてたか?」
首を振る。
「だろ」
俺は窓の外を見る。
「消えるのが怖いんじゃない」
「一人になるのが怖いだけだ」
「……」
「金の話に戻す」
「この額なら」
「逃げずに返せる」
「でも……」
「一気にやめるな」
「壊れる」
「……はい」
「減らせ」
「守らなくても平気な日を」
「一日でいい」
長い沈黙のあと、彼女は息を吐いた。
「……それでも」
「不安になったら?」
少し考える。
「ここに来てもいい」
「茶ぐらいなら出す」
彼女は、ほんの少し笑った。
「……証拠」
「いりませんでした」
「ああ」
「私が消えないって」
「もう、分かってたみたいです」
ドアが閉まる。
事務所は静かだ。
着飾らなくても、
守らなくても、
人は、案外しぶとい。
しばらくして、背後から声が落ちる。
「……消えちゃうのを、怖がってる人が多い」
俺は窓の外を見たまま答える。
「消えない奴ばっかだ」
「へえ」
「守り方を間違えてただけだ」
相棒はそれ以上、何も言わなかった。
それで十分だった。
――
着飾らなくても、
守らなくても、
人は生きている。
だから――
もう、証拠はいらない。




