第3話~到着後の裏切り~
生徒たちと巫女の間で、長い議論が交わされた。質問は四方八方から飛び交う。
この世界は五百年以上もの間、戦争状態にあった。
魔族は、その圧倒的な身体能力、魔法の扱い、そして総合的な戦力によって、他の種族を支配していた。
しかし、時代を重ねる中で、異なる世界から勇者たちが召喚され、魔族に立ち向かってきた。
彼らの介入によって、人々は守られてきたものの、結果としては魔族を押し返すことができるだけで、戦争を完全に終わらせるには至らなかった。
今回の召喚が過去と大きく異なる点――それは、その「人数」だった。
書物に記された記録によれば、これまで同時に召喚された勇者は、多くても三人までだったという。
しかし今回は、それを大きく上回る人数。
それは、この終わりなき戦争に大きな転機が訪れることを予感させていた。
彼らが温かく迎えられた理由も、おそらくそこにあるのだろう。
この世界の住人たちは、勇者の召喚にすでに慣れている様子だった。
種族によって寿命は大きく異なり、人間はその中でも特に寿命が短いとさえ言われている。
彼女アウレリアは比較的おしゃべりな性格で、自分の知識を共有することを好んでいた。
生徒たちがまだ知らないことを語り、自然と彼らの注意を引きつける。
逸話や歴史的な出来事、そしてこの世界の小さな豆知識まで――
彼女の話は尽きることなく、誰一人として退屈する者はいなかった。
「システムは、皆さん一人ひとりに固有のスキルを与えます。
それは、あなただけが持つ力です」
彼女は、まだ十分に説明されていなかった点に踏み込んだ。
基礎スキルは比較的簡単に身につき、
環境に適応する中で自然と発現することが多い。
たとえば、毒を摂取し続けることで毒耐性を得る、といった具合だ。
レアスキルやアルティメットスキルは、高いレベルに到達した時や、特殊な状況下で得られる。
そして神聖スキル――それはまさに天からの授かり物であり、人の理解を超えた意思によって与えられるものだった。
彼女は一度言葉を切り、わずかに微笑んだ。
「さて、基本的な説明は以上です。
これから、ある客人をお待ちします。
あなた方の訓練については、その方と共に話すことになるでしょう」
その瞬間、彼女の片目が淡い青色に輝いた。
同じ色の魔法陣が、一瞬だけ瞳の前に浮かび上がる。
しかし、再び盛り上がり始めた生徒たちは、その微細な変化に誰一人として気づかなかった。
アウレリアは小さく息をつき、そっと目を閉じた。
ほどなくして、黄金の鎧を身にまとった長身の男が扉から現れ、生徒たちの前に立った。
「こんにちは、勇者諸君。
私は王国騎士団長、サー・ダヴァン。
これから、君たちの訓練を担当する」
「彼らをお願いします、サー・ダヴァン」
星野彼方はすぐに立ち上がり、礼儀正しく手を差し出した。
サー・ダヴァンは快活そうに、その手を力強く握り返す。
「今日から、一緒に鍛えていこう」
―――
「皆さんは、所持しているスキルに応じて二つのグループに分けられます。
潜在能力を最大限に引き出すため、適切な訓練が必要です」
「えぇ……分かれるの?」
巫女の言葉に、全員が納得したわけではなかった。
不満そうな囁きが、あちこちから聞こえてくる。
「落ち着こう、皆。
この世界の未来が懸かっているんだ」
そう言って場をなだめたのは田中だった。
この世界の人々と強く同調する彼の態度は、数人の生徒に警戒心を抱かせた。
高校時代から変わらぬ性格ではあったが、今回は少し踏み込みすぎているようにも見えた。
最終的に、生徒たちは二つのグループに分かれることを受け入れた。
振り分けを行ったのは、巫女自身だった。
一方は、才能が高いと判断された者たち。
もう一方は、比較的有利とは言えない固有スキルを持つ者たちだった。
第二グループは、第一グループよりも人数が少なかった。
第一グループは十二名、第二グループは十八名。
合計三十名の生徒が召喚されていた。
ひかりは、潜在能力が低いと判断された第二グループに振り分けられた。
反対側には舞泉ゆうながいた。
彼女の力は、明らかに将来性を感じさせるものだった。
だが、ゆうなの心境は複雑だった。
ひかりと離れることが、どうしても受け入れられなかったのだ。
「すみません……私、第二グループに入りたいです。
そこに、友達がいるので」
「申し訳ありませんが、これ以上の変更はできません。
訓練のバランスが崩れてしまいます」
「……分かりました」
「心配しないでください。
訓練は、すべて城の敷地内で行われます」
「……はい。お答えいただき、ありがとうございます」
彼女はひかりの元へ行きたかった。
だが、その機会は与えられなかった。
ひかりは自分のグループの近くに立ち、周囲と積極的に関わることはなかった。
周囲では会話が飛び交っていたが、誰一人として大きな不満を抱いている様子はない。
彼らのスキルは羨望を集めるものではなかったが、それでも前向きだった。
それでも――
ひかりの心は、どこか脆く、不安定なままだった。
そんな彼女のもとへ、ゆうなが歩み寄り、何の前触れもなく抱きしめた。
「ひかり……私、強くなる。
そして、必ずあなたを守るから」
「ありがとう、ゆうな……
ここまで、一緒にいてくれて」
「……うん。約束する」
これまで、ひかりが前向きな感情を見せることはほとんどなかった。
しかし、ゆうなの腕の中で、彼女はかすかに微笑んだ。
疲れの色は濃かったが、その笑顔は確かに存在していた。
その感謝の言葉は、どこか特別な重みを帯びていた。
まるで――
静かな別れを告げているかのように。
「では、これから皆さんの訓練場へ向かいましょう」
第二グループを担当することになったのは、巫女だった。
彼女はそう告げると歩き出し、生徒たちに後をついてくるよう促した。
生徒たちが食堂を出始めた、その時だった。
第一グループに属していた田中が、突如として立ち止まり、彼らの背後に現れた。
何の前触れもなく、彼は隊列の最後尾を歩いていたひかりの肩に手を置いた。
ひかりは、少し俯いたまま歩いていた。
その行動に、周囲がざわつく。
何人もの生徒が振り返り、驚いた表情を浮かべた。
――なぜ、彼女に?
到着してから、ほとんど存在感を示さなかった少女。
目立たず、静かで、まるで最初からそこにいなかったかのような存在。
田中の行動は、次第に不気味さを帯びていった。
彼はひかりに顔を近づけ、誰にも聞こえないほど小さな声で、耳元に何かを囁いた。
ひかりは答えなかった。
わずかに目を見開き――
そして何事もなかったかのように、彼の手を振りほどき、無言でグループへ戻っていった。
田中はその場に立ち尽くし、しばらく彼女の背中を見つめてから、ゆっくりと視線を逸らした。
やがて一行は食堂を離れ、城の長い廊下を進んでいく。
やがて、廊下の突き当たりにある、ひときわ大きな扉の前で足を止めた。
扉の向こうには、広大な空間が広がっていた。
城の内部で訓練を行うというのは、どこか奇妙にも思えた。
本来なら、屋外の訓練場の方が自然だろう。
だが、この隔離された空間は、最初から意図的に選ばれた場所であるように感じられた。
部屋の中央には、床一面に刻まれた巨大な魔法陣が広がっていた。
第二グループの全員が、その中に収まるほどの大きさだ。
生徒たちは魔法陣の周囲を歩き回り、部屋の広さや刻印の細部を観察する。
巫女は、魔法陣の縁からわずかに外れた場所で、静かに立ち尽くしていた。
「……ここに、ずっといるってこと?」
「ええ。でも心配はいりません。
ここでも、十分な力を身につけることは可能です」
彼女は一歩も前へ踏み出さなかった。
その頃、赤髪の女子生徒が、友人とひそひそ声で話していた。
「正直さ……信じられる?
星野が、あの変な子に何か囁いてたらしいよ」
「え? もしかして、付き合ってたとか?」
「ありえないでしょ。
あの子が誰かと? 想像しただけで笑えるんだけど」
赤髪の少女は、視線をひかりへと向けた。
彼女はいつも通り、少し離れた場所に立っている。
何もしていない――はずだった。
だが、どこか様子がおかしい。
ひかりの唇が、わずかに動いていた。
ほとんど声は出ていない。
それでも、少女は確かに読み取ってしまった。
「……わたしたち……死ぬ……」
背筋を、冷たいものが走った。
赤髪の少女の笑みは、瞬時に消え去る。
彼女は、はっとして振り返った。
巫女の杖が、高く掲げられていた。
淡い青色の光を放ち、その先端を中心に巨大な魔法陣が描かれていく。
床に刻まれた紋様が、次々と青白く輝き始めた。
魔力の線が、足元を這うように走る。
やがて、青いドームが形成され、生徒たちを完全に包み込んだ。
魔法陣の境界と、ぴたりと重なるように。
――閉じ込められた。
「おい! 何をしてるんだ!?
今すぐ解除しろ!!」
「……ごめんなさい。
できません。
あなたたちは、ここで全員死にます」
巫女は視線を逸らした。
彼らの目を、直視することができなかった。
彼女は自分の手を見つめる。
まるで、この姿を最後に刻みつけるかのように。
背後では、生徒たちが結界を叩き、叫び、必死に破壊を試みていた。
――ただ一人を除いて。
ひかりは、最初から動かなかった。
すべてを、静かに見ていた。
怒号と混乱が渦巻く中、彼女はただ受け入れていた。
自分には、それだけの価値しかないと。
「……さようなら。
そして、ごめんなさい。
許されるとは思っていません。
それでも……心から、後悔しています」
「クソ女が!!
最初から怪しいと思ってたんだ!
どこの馬の骨とも分からない女なんて、信用するんじゃなかった!!」
巫女は静かに杖を振り下ろし、床を打った。
眩い光が魔法陣を包み込み――
次の瞬間、生徒たちは跡形もなく消え去った。
アウレリアは、その場に崩れ落ちた。
膝から力が抜け、冷たい床に叩きつけられる。
手から杖が滑り落ち、乾いた音を立てて転がった。
涙が溢れ出し、頬を伝って止まらない。
「……終わった……」
誰よりも強く、彼女は自分の行いの重さを理解していた。
この選択、この取り返しのつかない決断。
震える手で、顔を覆う。
「……分かっていたのに……
やらなければならないって……
それでも……」
「ごめんなさい……
あなたたちから、選択する権利を奪ってしまった……
私が、決めるべきじゃなかった……」
長い間、彼女は泣き崩れていた。
ようやく立ち上がった時、その動きは鈍く、重い。
乱暴に涙の跡を拭い、赤く腫れた目だけが残った。
アウレリアは出口へ向かい――
扉をくぐる直前で、立ち止まった。
誰もいない、空虚な訓練場を振り返る。
「……本当に、ごめんなさい……」
それを聞く者はいない。
もう、語りかける相手など、どこにもいなかった。
それでも――
それは懺悔のように、静かに口にされた。
重苦しい沈黙の中、
彼女はその場を後にした。




