第2話~異世界ヒーローの進化システム~
彼らの目の前には、巨大な門がそびえ立っていた。
それは日本の寺院の門よりも、はるかに大きい。
その光景を前にして、驚かずにいられる者などほとんどいなかった。
皆が言葉を失い、呆然と見上げる中――ただ一人を除いて。
この非日常こそが、彼女が求めていた新たな始まりだった。
それでも、胸の奥に残る後悔だけは、決して別れを告げてはくれなかった。
鋼鉄の鎧に身を包んだ騎士が、門の前に立っていた。
背筋を伸ばし、まるで彼らの到着を待っていたかのように。
「――ようこそ、勇者様方。」
重厚な音を響かせながら、二人の騎士によって門が開かれる。
彼らの到着に合わせるかのように、王都全体が静まり返っていた。
その壮麗な光景を目にし、何人かの生徒は思わず笑みを浮かべ、目を輝かせる。
本当に、異世界に来てしまったのだ。
大門をくぐった瞬間、すべてが一目で理解できた。
道の両脇には、無数の人々が整然と並んでいた。
中央だけが不自然なほど空けられた、石畳の大通り。
今は一台の乗り物も通らず、住民たちはただ、その時を待っている。
人間、エルフ、亜人、ドワーフ……
最も驚くべきことは、そこにいる種族のすべてを、彼らが認識できているという事実だった。
オタク気質の者だけではない。
誰もが自然に、「知っている存在」として理解していた。
人々は静かに頭を下げ、世界を救うとされる英雄たちを迎える。
その様子は、どこか日本的な所作にも似ており、生徒たちは余計に困惑した。
周囲に漂うのは、風に乗った小さな囁きだけだった。
城へと案内される途中、ひとりの生徒が巫女に近づいた。
今回は男子ではなく、ひとりの少女だった。
星野 彼方がアウレリアの隣を歩く中、
彼女は周囲から向けられる無数の視線に耐えきれず、少し戸惑いながら口を開く。
「……すみません。
どうして、皆さんあんなふうに頭を下げているんですか?
まだ、私たちのことも知らないはずなのに……」
「この王国は、見た目以上に長く、悪魔と魔女による災厄に苦しめられてきました。
ですが今日、あなた方の到来によって、世界は変わると――そう信じているのです。」
前を見据えたまま、巫女は微笑んだ。
それは作られた笑顔ではなく、安堵と、かすかな希望が混じった、心からの表情だった。
争いに傷ついた世界には似つかわしくないほど、純粋で、脆い希望。
「あなた方の存在は、想像以上に大きな意味を持っています……
もしかすると、平和の時代の始まりとなるかもしれません。
私たちが望んでいるのは、ただ幸せだけ。
ですが、それをあなた方に託すことが、本当に正しいのか……」
その言葉は、ただ正直だった。
痛いほどの誠実さが滲み出ており、
この召喚が、彼女自身の望みではなく、選ばざるを得なかった義務であることを感じさせる。
話すにつれ、彼女の声はわずかに力を失っていった。
少女の胸が、きゅっと締めつけられる。
微細な変化だったが、それでも見逃せなかった。
目の前に立つ巫女は、決して普通の存在ではない。
その言葉には、人生でも滅多に出会えない深みがあった。
「……ごめんなさい。少し、話しすぎてしまいました。」
「いいえ。
あなたの言葉で、大切なことが分かりました。」
その瞬間、巫女の頬がわずかに赤く染まる。
静かだった瞳が、思いがけない感情を宿して揺れた。
その一言は、彼女自身が思っていた以上に、心に響いていた。
「あなたの名前は?」
「わ、私は……如月 樹です。
よろしくお願いします。」
震える声でそう名乗り、丁寧に頭を下げる。
「こちらこそ。
この地で、心安らぐ時間を過ごせることを願っています。」
「……はい。」
樹は小さく頷き、胸にかかっていた重圧が、少しずつ和らいでいくのを感じた。
張り詰めていた空気も、いつの間にか緩んでいく。
周囲では、生徒たちの会話が再び戻り始めていた。
少し後ろで、 ひかりはゆうなの隣を歩いていた。
自然な仕草で、ゆうなの肩に頭を預けながら。
前をあまり見ていないはずなのに、その視線は、無意識のうちに何度も巫女へと向かっていた。
目を離せなかった。その存在は、言葉にできない引力を放っている。
ひかりの瞳は、星を映したように輝いていた。
まるで、自分の運命を大きく揺るがす何かを見ているかのように。
この人は、ただ美しいだけではない。
もっと大きな“何か”を体現している――そんな予感があった。
彼女は、誰にも聞こえないほど小さな声で呟く。
「……綺麗……」
ゆうなが、くすりと微笑って顔を向けた。
「嫉妬してる?」
「……かも。あんなふうに、笑えたらよかったな。」
ゆうなは、ひかりをじっと見つめる。
彼女がここまで素直な言葉を口にするのは、珍しかった。
その変化は、ゆうなの胸に、わずかな不安と興味を芽生えさせる。
それでも、ひかりの表情はどこか脆く、傷ついたままだった。
心は、まだ遠くを彷徨っている。
街は、塔や市場、石畳の道が絡み合う迷宮のような構造をしていた。
住民の数も種族も多く、子供たちでさえ、英雄たちに向かって頭を下げる。
やがて、黄金があしらわれた大きな門の前に辿り着いた。
それは城の中庭へと続く入口だった。
中には、美しく整えられた庭園が広がっている。
何度見ても、驚かされる。
豪華で、幻想的で――まさに異世界そのもの。
彼らは城の大きなガラス扉をくぐった。
中には、明るい壁と滑らかな床が続く長い回廊。
天井から吊るされた灯りが空間を照らし、現代的な絵画や植物が、温かみを添えていた。
彼らは静かに歩を進め、足音が床にかすかに反響していた。
廊下の途中には小さな扉が並び、執務室や使用人用の部屋へと続いているようだった。
道中、使用人たちが行き交い、軽く頭を下げるが、彼らはそのまま前へ進み続ける。
やがて廊下は大きく開け、広々とした食堂へと繋がっていた。
部屋は非常に広く、白い布が掛けられた明るい木製の長テーブルが置かれている。
布には王族を思わせる文様があしらわれ、椅子もゆったりとした造りだった。
テーブルはあまりにも大きく、全員が座ってもなお空席が残るほどだ。
「どうぞ、皆さんお掛けください。」
アウレリアはテーブルの端に立ち、杖の先を床につけて垂直に構え、姿勢を正していた。
落ち着いた視線で、一人ひとりの顔を静かに見渡す。
「まずは食事を取りましょう。
まだ動揺している方も多いでしょうから……お詫びの気持ちとして、特別な食事をご用意しました。」
その言葉と同時に、数人の執事が給仕用の扉から現れ、完璧な動きで料理を運んでくる。
最初に出されたのは、旬の野菜を使ったポタージュ。
表面には少量の生クリームが添えられ、香草が散らされていた。
素朴ながらも上品な一皿で、食堂全体に安らぎを与える香りが広がる。
「お食事のご配慮、ありがとうございます。」
「客人をもてなすのは当然のことです。どうぞ、遠慮なく。」
近くに座っていた星野 彼方は、変わらず礼儀正しい態度を保っていたが、
その視線はどこか以前よりも鋭く、個人的なものになっていた。
アウレリアと樹のやり取りを見て、彼は巫女の内面を、少し理解できたように感じていた。
やがて皆が食事を始め、控えめな食器の音と小さな会話が、食堂を満たしていく。
料理は次々と運ばれ、味わいながら言葉を交わす、穏やかな時間が流れた。
食事を終えると、巫女は杖を両手で持ち、テーブルの前に垂直に立ててから、静かに息を吸う。
「では、これから説明します。
自分の内面に意識を集中し、自身の資質を“見る”ことを想像してください。」
「……内面?」
一人の生徒が、少し不思議そうに尋ねる。
「その通りです。
これは、あなた方の能力や技能を可視化するための仕組み。
それを見ることができるのは、本人だけです。
そして――英雄として最も重要なのは、“固有技能”です。」
その言葉に、何人かの生徒が興奮を抑えきれず身震いした。
まるでゲームやMMORPGのように、能力が表示される。
それは、現実とは思えないほど夢のような体験だった。
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英雄進化体系
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名前:天音 ひかり
年齢:16
種別:召喚者/人間
等級:1
経験値:2
生命力:500/500
魔力:400/400
活力:1000
能力値
筋力:25
敏捷:10
耐久:25
知力:50
魅力:5
運:15
魔力適性:35
耐性:5
固有技能
ライター:等級1
説明:自身および味方の技能名称を変更できる。
副作用:なし
基礎技能
・基礎サバイバル:等級1
説明:未知の環境で生き延びるための基礎知識。
・魔力適応:等級1
説明:周囲に漂う微弱な魔力を感知・吸収する受動能力。
一般スキル:なし
希少スキル:なし
究極スキル:なし
神性スキル:なし
封印スキル:なし
張り詰めた空気の中、ひかりは誰にも気づかれないよう、自分の表示を見つめていた。
最初に思い浮かんだのは、無数に存在する技能の種類――
特に、究極スキルや神性スキルだった。
もし、その一部でも手に入れることができれば、計り知れない力を得ることになるだろう。
だが、今の彼女にはまだ何もない。
一般、希少、封印――どの分類にも該当するスキルは存在しなかった。
それでも、この体系は驚くほど正確で、詳細で、完成されている。
単なる能力一覧ではなく、まるで内面そのものを映し出す鏡のようだった。
特に、封印技能の存在が気にかかる。
制御できない力を抑えるためのものなのだろうか。
だが、最も彼女を戸惑わせたのは――自分の固有技能だった。
他者の技能名を変更する能力。
「命名者」。
漫画に興味はあったものの、こんな力は聞いたことがない。
説明を読む限り、できることは名前を変えるだけ。
正直に言えば――「役に立たない」。
等級1である以上、現時点では極めて限定的な力であることは明白だった。
「……ゆうなは、どうだった?」
「固有技能がある。
未来の覚醒、っていうんだって。
いつか目覚めるらしいけど……何に、なのかは分からない。」
舞泉 ゆうなの技能は、説明が曖昧で掴みどころがない。
だが、それは同時に、計り知れない可能性を秘めていることを意味していた。
覚醒――それは、強大で特別な力へと至る可能性が高い。
ひかりは心の中で、ただ静かに彼女を祝福した。
「……ねえ。
こっちに来てから、少し顔色が良くなった気がする。」
「そうかな。
たぶん……ちょっと嬉しくなることを、理解できただけ。」
ひかりはそう答え、俯く。
自分でも、思考がどこか漂っていることに気づかないまま。
そして、視線を上げ、彼方と静かに会話を交わしている巫女――アウレリアへと目を向けた。




