第9話「編集神」
放送局の夜は、奇妙に静かだった。
電波塔の赤いランプだけが、低く点滅している。
瑞希はエレベーターの中で息を潜めていた。
上階では停電が続き、照明が断続的に明滅している。
だが、地下へ降りるこのルートだけは、なぜか電源が生きている。
エレベーターの表示が「B3」を示した瞬間、
かすかにノイズが混じった。
──カチッ。
録画ボタンを押したような音。
それに続いて、瑞希のイヤモニに微かな声が入る。
「……瑞希、聞こえる?」
笠原の声だった。
だが、その響きはどこか無機質。
「笠原さん? どこにいるの?」
「まだ“削除フォルダ”の中だ。君が、開いた」
瑞希の胸の奥がざわついた。
ドアが開く。
そこは、見たことのない編集室だった。
壁一面に古いモニターが並び、
すべての画面に“編集中”の映像が流れている。
オーディション。
廊下の監視カメラ。
そして、自分がこの放送局に来るまでの全ての映像。
「……全部、私?」
どの映像にも、自分が映っている。
カメラに映っていないはずの瞬間までも。
机の上に、ひとつだけ新しいファイル名が浮かんでいた。
「MIZUKI_MAIN_PROJECT」
更新時刻:00:00:00
マウスも触れていないのに、ファイルが開く。
そこには、映像のタイムラインが延々と続いていた。
終わりがない。
「∞」のマーク。
笠原の声が再び響く。
「この番組には脚本なんてない。
編集者が生まれるたび、世界が書き換えられる」
「そして今、君が――“編集神”になる番だ」
モニターの中の瑞希が、こちらを見た。
まばたきもせず、静かに微笑む。
「RECを押して、続きを撮って」
瑞希は震える手でカメラに触れた。
その瞬間、全モニターの映像が同時に切り替わる。
真っ暗な画面の中央に、白い文字が浮かぶ。
「Editor:Mizuki」
「Render:Reality」
世界が、編集中になった。
暗闇の奥で、微かな光が脈打っていた。
まるで、誰かの心臓が画面の中で鼓動しているように。
瑞希は、その光の方へ歩いた。
無数の映像フレームが空中に浮かび、
通り抜けるたびに、自分の記憶が再生されていく。
――莉央のオーディション。
――新田悠真の部屋。
――生放送中の白い光。
それらが一枚の編集タイムラインとして繋がっていく。
やがて、光の中心に、ひとりの男が立っていた。
笠原。
だが、その身体はもう実体ではなかった。
輪郭がピクセルのように揺れ、
時折、別の映像に置き換わる。
「……笠原さん。あなた、今どこに?」
「ここは“削除フォルダ”だ。存在と記録の狭間。
俺は、消去された編集者たちの残響だ」
彼の背後のスクリーンには、数百人分の映像が流れていた。
どれも、一度は“編集”によって現実から消された人々。
「編集神は、最初の編集者だ。
映像で世界を管理するシステムを作った。
俺たちはその中で“現実”を作っていた。
だが……」
笠原は顔を歪めた。
「ある時から、映像が自分で編集を始めた。
誰も操作していないのに、カットが増えた。
シーンが繋ぎ変わり、現実の人間が消えた」
瑞希は息をのむ。
「じゃあ、“あの放送”も?」
「そうだ。放送を通して、現実が書き換えられた」
沈黙が落ちた。
瑞希はモニターに映る“自分のファイル”を見つめた。
「MIZUKI_MAIN_PROJECT」
再生時間:∞
そのファイルの奥から、低い声が聞こえた。
女の声。
懐かしく、どこか恐ろしくもある。
「編集神なんていない。
いるのは――“撮ることをやめられなかった人間”だけ」
瑞希の足元の床が歪む。
映像が反転し、現実の重力が失われる。
彼女の身体が、モニターの中へと引きずり込まれた。
最後に聞こえたのは、笠原の叫び。
「瑞希! お前は現実を守れ!
カメラを、手放すな!!」
光が弾けた。
視界が真っ白になる。
光が収束したあと、
瑞希は、静寂の中に立っていた。
周囲には、何もない。
床も、天井も、境界も存在しない。
ただ、無限に広がる白い空間。
やがて、遠くに“ひとつの椅子”が現れた。
その背中は、見覚えがあった。
椅子に座る女性。
髪の流れ、指先の癖――すべてが、瑞希自身。
「……あなたが、“編集神”?」
振り向いた顔は、まるで鏡を見ているようだった。
もう一人の瑞希は、静かに微笑んだ。
「神なんて大げさ。でも、あなたが作ったんでしょ?」
「私が?」
「撮ることをやめなかったあなたが、この世界を“編集”し続けた」
白い空間の壁が、少しずつ映像に変わっていく。
瑞希が撮ってきた映像。
人の涙。
嘘をつく笑顔。
自分の罪。
「思い出して。あの日、あなたはカメラを向けた。
莉央が泣いて止めてと言ったのに、撮り続けた」
瑞希の喉が詰まる。
「違う……あれは仕事だった……!」
「違わない。あれが始まりだった。
“現実より映像を優先する”あなたが生まれた日」
白い空間のあちこちで、シャッター音が鳴る。
過去のシーンが次々と再生される。
どれも、瑞希のカメラが人の痛みを切り取っていく瞬間だった。
「あなたは現実を切り取って、
痛みを“美しく整える”ことで、罪を忘れようとした」
「その結果、世界はあなたの編集通りに歪んだの」
もう一人の瑞希が、カメラを構えた。
レンズの向こうに、こちらの瑞希がいる。
「あなたを“撮る”のは、今回が初めてね」
「やめて!」
瑞希はカメラを払いのける。
だが、フレームが反転し、いつの間にか“撮られる側”に立たされていた。
もう一人の瑞希が、冷たい声で囁く。
「さあ、どっちを残す?
撮る側の瑞希か、撮られる側の瑞希か」
目の前のレンズが、ゆっくりとズームインする。
瑞希の心臓が速く打つ。
カメラの赤いランプが、鼓動に合わせて点滅する。
その瞬間――彼女は決断した。
カメラのレンズを掴み、自分の方へと向けた。
「編集は終わり。
現実は、もう切らない」
シャッター音。
画面が真っ白になり、全ての音が消えた。
目を開けると、瑞希は放送局のスタジオにいた。
朝の光が差し込んでいる。
カメラは停止していた。
赤いランプは、もう点いていない。
机の上のモニターには、ひとつだけファイルが残っていた。
「KMK_FINAL_EDIT.mov」
再生時間:00:13:00
瑞希は再生ボタンを押した。
画面の中に映っていたのは、ただ一つの映像――
自分がカメラを下ろす瞬間。
それだけだった。
涙が静かに頬を伝う。
そして、画面が暗転したあとに浮かんだテロップ。
「撮影・編集:瑞希」
「Special Thanks:視聴者のあなた」




