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第3話「ネガとポジ」

 白石瑞希が消息を絶ったのは、三日前の夜だった。

 編集室の防犯カメラには、深夜二時に一度だけ灯りが点いた記録が残っている。

 しかし、入退出のログは“誰もいない”と記されていた。


 朝になってスタッフが入室したとき、部屋の中央に瑞希のノートPCと、

 一枚のUSBメモリが置かれていた。

 黒い絶縁テープで封がしてあり、白いラベルにはペンでこう書かれていた。


 ──「触るな」


 それを見つけたのは、瑞希の後輩で編集助手の香坂志穂だった。

 二十五歳。几帳面で、いつも“映像の揺らぎ”に敏感な子だった。


「先輩……何があったんですか」


 志穂はUSBを手に取ると、指先にわずかな静電気を感じた。

 まるで、誰かの記憶が帯電しているような不快な感触。

 封を剥がすと、ラベルの下にもう一行、小さく書かれた文字が現れた。


 ──「もし開いたら、“音”を消して見て」


 志穂は眉をひそめ、USBをパソコンに差し込んだ。

 フォルダの中にはひとつだけ動画ファイルがあった。


 「CUT_0000.MP4」


 データサイズは異常に大きい。

 再生時間の表示は──「∞(インフィニティ)」だった。


 志穂は再生を押す。

 映ったのは、編集室の映像。

 カメラのアングルは天井から見下ろすような俯瞰。

 そこに、椅子に座ってパソコンを見つめる白石瑞希の背中が映っていた。


 彼女は無言で編集を続けている。

 時間の感覚が狂う。

 数分が過ぎても、姿勢が変わらない。

 やがて、映像のノイズが増え、照明がちらつく。


 志穂は、瑞希の肩越しに画面を覗き込んだ。

 その瞬間、モニターの中で瑞希がわずかに振り返った。


 志穂は息を呑む。

 瑞希の顔は、まるで“ネガポジ反転”したように、黒と白が反転していた。

 瞳は白く、唇は闇のように黒い。


 ──そして、唇が動く。


 だが、音声はない。

 志穂は瑞希が何を言っているのかを読唇しようとした。

 映像を一時停止して、再生バーを行き来させる。


 瑞希の口の動きが、何度見ても同じ言葉を形づくっていた。


 「後ろ、見て」




 志穂は、息を詰めたまま固まっていた。

 「後ろ、見て」

 そう言ったのは、確かに瑞希の唇の動きだった。


 編集室には、彼女しかいない。

 静まり返った空間の中、唯一聞こえるのはハードディスクの低い回転音。

 ……のはずだった。


 ──カシャ。


 金属音がした。

 まるで、シャッターが切られたような。


 志穂は反射的に後ろを振り返った。

 そこには誰もいない。

 ただ、ドアの外のガラス窓に、自分の背中が映っている。


 ……少し違う。

 映っている“自分”の姿勢が、数秒遅れて動いた。


 志穂は震える手でPCの電源を落とした。

 だが、モニターは暗くならなかった。

 画面の中では、編集室が映り続けている。


 ──まるで、現実の方が再生されているように。


 映像の中の志穂が、今まさにPCを閉じようとしていた。

 その手が止まり、ゆっくりとカメラの方を向く。

 同時に、モニター越しにもう一度、あのシャッター音。


 映像の志穂が、何かを口にした。

 今度は逆に、モニターの中の“自分”が語りかけてくる。


 ──「音を、切って」


 志穂は思い出す。

 瑞希がUSBに書き残していた警告文。


 『もし開いたら、“音”を消して見て』


 すぐにスピーカーのボリュームをミュートにする。

 音が消えた瞬間、映像のノイズが止んだ。

 空気が、静止した。


 志穂はモニターを覗き込んだ。

 画面の中の瑞希が、ゆっくりと何かを編集している。

 だが、そのファイル名が目に留まった。


 「KOSAKA_AUDITION.mov」


 志穂の全身に冷たいものが走った。

 自分の名前。

 自分が撮られた覚えはない。


 それなのに、映像の瑞希は迷いなく編集を続けている。

 タイムライン上には、見覚えのある部屋。

 そこには、パソコンの前でこの映像を見ている香坂志穂自身の姿が映っていた。


 ──再生時間が、∞から“1”へ変わった。


 そして、画面の中の志穂が動いた。

 顔を上げ、モニターの方を見た。


 完全に同期している。

 今、現実の志穂がまばたきすれば、画面の中の志穂もまばたく。

 ただ一点だけ違うのは、画面の中の彼女の後ろに黒い影が立っていることだった。


 肩越しに覗き込むように、

 カメラを持った“何か”が、ゆっくりとレンズをこちらに向ける。




 志穂は、モニターの中の影から目を離せなかった。

 それは人の形をしていたが、輪郭がぼやけ、ピントが合わない。

 まるで、焦点を結ばないカメラの“外側”から覗き込んでいるようだ。


 影は、カメラを構えたまま動かない。

 そのレンズの先に、画面の中の志穂がいる。

 けれど、志穂にはその構図が奇妙に感じられた。


 ――まるで、そのカメラが自分の方を見ているように。


 志穂は震える指で、再生を一時停止した。

 フレームが静止する。

 黒い影はその場に立ったまま、動かない。


 画面の右下。小さく数字が現れている。


 「REC:LIVE」


 録画ではない。

 “今”が撮られている。


 志穂は立ち上がり、編集室の隅々を見渡した。

 天井、棚、照明。

 どこかにカメラが……。


 そのとき、足元で小さな“カチッ”という音がした。

 振り返ると、床のコンセントの隙間にレンズのような黒いガラス片がはまっている。

 覗き込むと、そこには――自分の目が映っていた。


 その瞬間、画面の中の影が動いた。

 レンズを構え、ゆっくりと志穂の背後に回り込む。

 映像の中の志穂が、恐怖に顔をこわばらせて振り返る。

 その動きと同時に、現実の志穂の背中にも冷たい気配が触れた。


 「……誰?」


 声が震える。

 誰かが立っている。

 だが、空気が歪んでいて、形が掴めない。


 パソコンの画面が勝手に切り替わった。

 ファイル名の一覧が流れ出す。


   AUDITION_01  AUDITION_02_REAL  KOSAKA_AUDITION  AUDITION_03...  


 その“03”の横に、赤い文字が浮かび上がった。


 ──「REC」


 モニターに映る編集室が、また志穂の現在と同期していく。

 もう止められない。

 画面の中の瑞希が現れ、カメラを構える。


 「次は、あなたの番だよ」


 瑞希がレンズ越しに微笑んだ。

 シャッター音が鳴る。

 閃光。


 映像が一瞬、真っ白に焼ける。

 そして、静寂。


 再び画面が戻ると、椅子には誰もいなかった。

 編集室は空っぽで、机の上には一枚の写真だけが残されている。


 そこには、香坂志穂が笑っている姿。

 背景は暗く、何も映っていない。

 ただ、写真の右上に、ぼんやりと浮かぶ影があった。

 まるでレンズの反射のように、黒い輪郭を持つ“何か”。


 ファイル名は自動で保存されていた。


 「AUDITION_03_REAL」

 ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。

 この物語の登場人物たちが、あなたの心に少しでも息づいてくれていたら嬉しいです。


 執筆を続ける力は、読んでくださる皆さんの応援と感想に支えられています。

 もしよければ、感想やブックマークで応援していただけると励みになります!


 次回も心を込めて書きます。

 またこの世界でお会いできるのを楽しみにしています。


 ――ありがとうございました。

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