第2話「オーディションの残響」
女優・真田莉央の死亡事故から三日。
撮影現場は封鎖され、スタッフの多くは現場復帰を拒んだ。
「呪われてる」「映像に何か映ってた」──そんな噂ばかりが飛び交った。
けれど白石瑞希は、誰よりも冷静に見えた。
いや、冷静に見せていた。
彼女は制作会社の編集室に戻り、再びモニターの前に座っていた。
事故当日のデータはすべて消去されている。
フォルダを開いても、名前のない空白ばかり。
ただ一つ、見慣れないファイルが残っていた。
──「AUDITION_01.mov」
日付は、事故の二か月前。
その時期、オーディションは確かに行われていた。
だが、カメラテストの映像は撮っていないはずだった。
瑞希は再生ボタンを押した。
暗い部屋。
白い壁の前に立つ女が、名乗りを上げる。
「真田莉央です。25歳です」
声は震えていた。
だが、表情は妙に落ち着いている。
まるで“何かをわかっている人”のように。
カメラの後ろから、別の声がした。
──それは、瑞希自身の声だった。
「じゃあ、目線をこっちに。泣ける?」
「……やってみます」
莉央は目を閉じる。
頬を一筋の涙が伝う。
その顔を、瑞希の声が追い詰めるように指示していた。
「泣いてるときに、誰を思い浮かべた?」
「……誰も」
「嘘だよね。そういうの、カメラに映るよ」
そのやりとりの途中で、映像が一瞬、歪んだ。
ノイズが走り、音声が途切れる。
次の瞬間、莉央がカメラに向かって呟いた。
──「監督、あなたの方が泣いてる」
瑞希は反射的に映像を止めた。
背中に冷たい汗が流れる。
そんな言葉、撮影した覚えはない。
あの日、彼女と会話をした記憶もない。
だが、モニターの中の瑞希は確かに笑っていた。
カメラを覗き込みながら、涙を流して。
瑞希はオーディション映像を止めたまま、しばらく動けなかった。
自分があの日、彼女を撮った記憶はない。
選考のときには編集室にいたはずだ。
なのに、映像の中では瑞希自身の声が指示を出している。
──誰が、いつ、撮った?
もし、私が撮っていたとしたら……なぜ覚えていない?
頭の奥で鈍い痛みがした。
何かを思い出しかけるたびに、強い耳鳴りが響く。
コンセントの音にも似た、低い唸り声のようなノイズ。
再生を再開する。
莉央が涙を拭き、カメラの方へ一歩近づく。
モニター越しでもわかる。
彼女の瞳の奥に、確かな憎悪のような光がある。
「監督。撮るって、どういうことなんですか?」
「……どういうこと?」
「あなたは、他人の痛みを切り取って喜んでる。まるで……」
その言葉の途中で、画面が暗転した。
瑞希はマウスを動かす。
再生バーはまだ途中にある。
音声だけが残っていた。
──あなたは、他人を撮ってるつもりで、自分を撮ってるんですよ。
その声は、莉央ではなかった。
録音されていたのは、瑞希自身の声だった。
「……やめて」
瑞希は思わず呟いた。
再生を止めても、声は止まらなかった。
パソコンの電源を落としても、耳の奥で声が続いている。
──思い出して。あの夜、あなたはカメラを持ってた。
机の上に置いてあるカメラに目をやる。
黒いボディが、蛍光灯の光を反射している。
手を伸ばした瞬間、液晶が勝手に点いた。
画面の中に、瑞希が映っている。
鏡でもないのに、リアルタイムで。
だが、その映像の中の彼女は、ほんの少し遅れて動いた。
眉をひそめると、数秒遅れて映像の瑞希も同じ表情をした。
そして、口だけが別の動きをした。
「私が本物だよ」
瑞希はカメラを落とした。
床にぶつかる音がやけに重く響いた。
瑞希は落としたカメラを拾い上げた。
液晶は割れ、画面にはノイズが走っている。
だが映っている。
そこには、別の編集室があった。
机も壁も、瑞希の部屋と同じ配置。
けれどモニターの光だけが異様に青い。
画面の向こうの“もう一人の瑞希”が、こちらに背を向けて何かを編集中だった。
肩が小刻みに震えている。
泣いているようにも、笑っているようにも見える。
瑞希は液晶を覗き込みながら、そっと呟いた。
「……誰?」
その瞬間、映像の中の“もう一人”が振り向いた。
無表情。
だが、唇だけがゆっくりと動いた。
──「カメラ、回してるのはどっち?」
モニターのノイズが一気に高まった。
照明が明滅し、蛍光灯がひとつ、破裂する音がした。
編集室全体が、まるで映像の中に吸い込まれていくようだった。
瑞希はカメラを放り出し、ドアへ走った。
だが、取っ手に手をかけた瞬間、
外の廊下が映像のように揺らいだ。
床も壁も、まるでスクリーンだ。
表面がざらつき、ピクセルの粒子が滲んでいく。
そこに、女の影が浮かんだ。
真田莉央。
死んだはずの女が、レンズ越しに瑞希を見ている。
画面の中と外が、ゆっくりと重なっていく。
「あなたが撮った。だから、私が残った」
その声は、空気の震えではなく、耳の奥に直接響いてくる。
瑞希は頭を振った。
「違う……私は……撮ってない……!」
だが、モニターの中の瑞希――“もう一人の瑞希”がカメラを構えた。
ゆっくりとピントを合わせながら言った。
「じゃあ、証明しよう。あなたが“撮られてない”ってことを」
シャッター音。
閃光が走り、すべてが白く消えた。
翌朝。
編集室には誰もいなかった。
パソコンの電源は落ちており、モニターには一枚の静止画だけが残っていた。
それは、瑞希がレンズの中で笑っている写真。
背後には、撮影用のナイフを持つ真田莉央の姿がぼんやりと映り込んでいた。
ファイル名は――
「AUDITION_02_REAL」




