第八話 織田信長包囲網
足利義輝は義昭の実兄で室町幕府第13代将軍を務めた人物です。義輝は身長180センチの長身でした。さらに驚異的な動体視力と体捌きで、飛んでくる矢もかわせたと伝えられています。そんな義輝は剣豪・塚原卜伝の指南を受け、秘伝・一の太刀の伝授を受けました。このため当時の人々は義輝のことを「剣豪将軍」と呼ぶようになったそうです。
姉川の戦いの後も、
信長様と浅井・朝倉は交戦続けていた。そして、
1570年10月19日。宇佐山城の戦い。
信長軍の猛将・森可成が、この合戦で討死する。
「なに、可成が」
その知らせを聞いた信長様は深く悲しんだ。
「可成、お前の仇は必ずを討つ」
だが、この時の信長様は四面楚歌であった。
足利義昭との関係が悪化して、室町幕府は、
「この信長の討伐令を発した」
その仕打ちに信長様は怒り狂っていたが、
この討伐令には浅井・朝倉の他、
石山本願寺なども加わり、さらには戦国最強の、
「甲斐の武田信玄が動いたようです」
と、俺は信長様に報告した。
「何だと、信玄までが敵対したというのか」
「現在、武田軍は徳川領へと侵攻した模様」
こうして三方ヶ原の戦いが始まる。そして、
この戦いで徳川家康は惨敗した。しかし、
「またもや、天は、この信長に我に味方したぞ!」
1573年5月13日。武田信玄は死去する。
信玄は病が悪化して三河街道上で死亡したと、
潜入させていた間者が報告した。
「よしよし、これは好機到来じゃ」
信玄の死後、信長様は露骨に行動を開始して、
足利義昭を京都から追放する。さらに、
「朝倉攻めに本腰をいれるぞ」
と、張り切りだした。
岐阜城に勤める俺は合戦の準備で毎日が忙しく、
城下町の家に帰宅後、
「いよいよ、朝倉との戦いが本格化しそうだな」
妻の愛都に、そんな話をした。
「その戦いで、朝倉義景を倒したあとは?」
「当然、信長様は浅井長政を攻めるだろう」
「その場合、お市様は、どうなるのかしら」
愛都は心配そうな表情を見せる。お市の方は、
織田家と朝倉家の同盟が破棄された後も、
長政の元に残っていた。
「あの二人は政略結婚だけど本当に仲が良いのよ」
元侍女の愛都は、そう語るのだった。
足利義輝が生まれた頃には、すでに足利将軍の権威や求心力は失われていました。そんな時代に義輝は第13代将軍として就任します。義輝は「剣豪将軍」と呼ばれた武人でしたが、その最期は、1565年。6月17日。永禄の変で、三好三人衆らに襲撃されて殺害されました。




