【第65話:領主の怪物】
館の広間。
領主グリフォードは豪奢な椅子にふんぞり返り、ワインを傾けていた。
報告に来た兵士が膝をつき、慌ただしく口を開く。
「り、領主様! 地下の見回りが戻りません!」
「……何?」
グリフォードの顔が歪む。
その背後で、静かに影が動いた。
巨躯の男が一歩踏み出す。厚い筋肉に覆われた身体。異様に低い声。
「……俺が行こう」
その場の空気が一瞬で凍りついた。
兵士たちですら思わず息を呑む。
グリフォードは満足げに笑い、男の名を呼んだ。
「グラトス。お前の力を見せてやれ。館に忍び込む愚か者など、ひとひねりだ」
グラトスはただうなずき、無言のまま廊下へと歩み出る。
足音が床を揺らすたび、兵士たちは背筋を凍らせた。
「ふふ……いい見世物だ。あの侵入者ども、無事に地下を抜けられるものなら抜けてみろ」
グリフォードの笑い声が、館に不気味に響き渡った。
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地下牢。
冷たい石の床に座り込み、子どもたちは小さく身を寄せ合っていた。
泣き声はもう出ない。ただ、沈黙だけが続いていた。
その時――。
「……しっ! 静かにしろ、カレン! 肩が壁にぶつかる!」
「私のせいじゃないでしょ。あんたが狭いところ通るとき腕を無駄に広げるからよ!」
「いや、これは四十肩のストレッチで必要なんだ!」
「潜入中にストレッチすんな!」
ひそひそ声のやり取りが廊下の奥から響き、子どもたちは顔を上げた。
いつもなら兵士の足音しか聞こえないのに、今日は妙にドタバタした音が混じっている。
「ねえ、なんか……変な人の声、しなかった?」
「うん……“よんじゅっかた”って言ってた……」
「それ、なに?」
「……魔法の呪文……?」
子どもたちの中で、小さなざわめきが広がる。
やがて――格子の向こうに影が揺れた。
ロイとカレンが、息を切らしながら姿を現す。
「おい、子どもたち! 大丈夫か!」
ロイの声が牢内に響いた瞬間、子どもたちの顔が一斉に輝いた。
「た、助けに……来てくれたの?」
「ほんとに? 夢じゃない?」
「よんじゅっかたの人、味方なの!?」
最後の言葉にロイが引っかかる。
「……おい待て、なんで俺が“よんじゅっかたの人”なんだ」
「だってさっき、ずっと言ってたよ!」
「呪文みたいに!」
子どもたちが一斉に笑い出す。
カレンは肩を震わせて笑いをこらえ、ついに噴き出した。
「ふふっ……ロイ、“よんじゅっかたの英雄”ね。伝説に残るわよ」
「やめろ! 妙な二つ名を子どもたちに植えつけるな!」
笑いの中で、しかし確かな“希望”が芽生えていた。
暗い牢獄に差し込む、ほんのわずかな光のように。
ロイは剣で格子を叩きながら、真剣な声で告げた。
「安心しろ。俺たちが必ずここから出す」
子どもたちの瞳に涙があふれる。
その時、奥の通路から低い振動が伝わってきた。
まるで巨大な岩が歩いているかのような、重々しい足音――。
子どもたちの笑顔が再び凍りつく。
ロイとカレンは視線を交わし、息をのんだ。
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重々しい足音が通路を震わせる。
その気配に、子どもたちの笑顔は凍りつき、怯えが戻った。
現れたのは、鉄の扉を押し開けて現れた巨躯の男。
背はロイより二回り大きく、鎖のような筋肉を身にまとい、瞳は光を持たぬ深い闇だった。
兵士たちが口々に呟く。
「……看守長、グラトスだ……」
ロイは剣を構える。
「お前が……子どもたちを閉じ込めてる元凶か」
しかし、グラトスは言葉を返さなかった。
ただ、一歩踏み込む。
その踏み込みだけで、通路の石が軋み、ロイの全身が硬直する。
「ぐっ――!」
剣を振るう間もなく、圧倒的な拳が振り下ろされた。
ロイは咄嗟に剣で受け止めたが――。
バキンッ!
剣身がきしみ、ロイの体ごと壁に叩きつけられる。
肩に走る痛みが限界を超え、剣が手から滑り落ちた。
「ロイ!」
カレンが駆け寄ろうとするが、グラトスの巨腕が空気を裂く。
彼女は身をひねり紙一重でかわすも、石壁が粉々に砕け散った。
「なっ……これが、人間の力なの……?」
カレンの目に驚愕が走る。
グラトスは一切の言葉を発さず、ただゆっくりと再び拳を振り上げる。
ロイは血を吐きながらも立ち上がろうとするが、足が震えて言うことをきかない。
――今のロイでは、歯が立たない。
その事実が、否応なく全員に突きつけられた。
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