【第100話:時を掴む拳】
森の朝は、静かだった。
小鳥の声も、風の音も、どこか遠く。
ロイは木陰で拳を握りしめていた。
「“時を止める”……昨日のあれ、本当に俺が?」
呟きながら、息を吐く。
肩の痛みはまだ残っているが、不思議と体の奥から熱が湧いていた。
その横で、クランが剣を構えている。
「リゼリアって女、あんたを“時の力”を持つ者って言った。
それが本当なら……放っとけない」
「俺なんかが、そんな大層なもん持ってるわけ――」
言い終える前に、クランの剣が唸った。
ロイの頬すれすれを光が走る。
「考えるより、感じて。
時間は、思考じゃなく“意志”で動くの」
「……また抽象的なことを」
「言い訳禁止!」
ロイは深呼吸をし、目を閉じた。
過去が胸をよぎる。
――仲間を守れなかった夜。
――時が止まれば、と願った瞬間。
その記憶の中に、確かに“何か”があった。
止まった炎。
止まった涙。
そして、ただ自分だけが動いていた。
「……あの時も、止まってたのか」
拳が震える。
「ロイ!」
クランの声と同時に、彼の周囲の空気が歪む。
風が逆流し、落ち葉が宙に浮かぶ。
ロイが拳を振ると、瞬間――世界が“止まった”。
音も、光も、全てが静止した。
ただ、自分の鼓動だけが響く。
(俺は……止めたのか? 本当に?)
見渡すと、クランの姿も止まっている。
剣を振る途中の、真剣な顔。
ルナも、ミレイナも動かない。
けれどその静止した空間の奥で、ひとりだけが動いた。
黒衣――いや、リゼリア。
「思い出しましたね、ロイ」
「お前……ここにいたのか」
「“時間を掴む者”の記憶は封印されていた。
貴方が再びその力を使えば、世界の“線”が動き出す」
「……俺はそんなもん、望んじゃいない」
「でも、逃げても無駄。
時は、貴方の意志で止まり、貴方の罪で動き出す」
リゼリアの声が淡く響く。
「……罪?」
「貴方は一度、時を止めて仲間を救おうとした。
でも“代償”として、世界の一部を失ったのです。
それが、貴方が忘れている“空白の三年”」
ロイの心臓が強く跳ねた。
「俺の……三年……?」
リゼリアは静かに頷く。
「貴方の時間が消えたその瞬間、
この世界の均衡も揺らいだ。
だから私は、“時の巫女”として過去に来た。
――貴方を目覚めさせるために」
「俺を、目覚めさせる……?」
「そう。貴方は世界を救うための“時の楔”。
けれど、同時に“破滅の鍵”でもある」
静止していた世界が軋む音を立て、再び動き出す。
風が吹き、クランの剣が地を切る。
「ロイ! どうしたの!?」
「……いや、なんでもない」
ロイは汗を拭い、空を見上げた。
青空が、やけに遠く見えた。
ミレイナが近づき、心配そうに覗き込む。
「ロイ殿……顔色が悪いです」
「平気だ。……ちょっと、思い出しただけだ」
「何を、ですか?」
ロイはしばらく沈黙し、ぽつりと呟いた。
「――俺が“時”を止めた理由を、だよ」
クランが剣を下ろす。
その表情には、ほんの少しの優しさがあった。
「……いいわ。
あんたが思い出すまで、私たちが守る。
リゼリアが何者だろうと、もう一人にはしない」
ロイは苦笑し、拳を握った。
「頼もしいな……クラン」
「当然でしょ。――ロイ」
その名を呼ばれた瞬間、また時間が少しだけ震えた。
それはまるで、未来へとつながる“予兆”のようだった。
そして遠く離れた塔の上で、リゼリアは呟く。
「……目覚めの刻は近い。
けれど、楔が再び動けば――世界は凍る」
風が鳴り、葉が舞う。
“時を掴む者”の運命は、いま静かに再び回り始めていた。
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