【第99話:凍れる刻と、呼び名の意味】
翌朝。
塔での激闘から一夜明け、ロイたちは森の奥にある廃教会に身を潜めていた。
焚き火のぱちぱちという音だけが響く。
ルナが呟いた。
「黒衣の女……あの“リゼリア”って名を、どこかで聞いた気がするわ」
「未来から来たって……本気で信じるのか?」
ロイが腕をさすりながらぼやく。
「肩の痛み、昨日よりマシだな」
「ふふ、時を止めたせいで、筋肉がリセットされたんじゃない?」
ミレイナが微笑む。
その時。
クランが、ぽつりと呟いた。
「ねぇ……ロイ」
「……え?」
「いや、だから……ロイ」
ロイの手が止まる。
「今、俺の名前、呼んだか?」
「呼んだわよ。
“おじさん”って呼ぶの、もうやめる」
静かな空気が流れた。
ルナが唇の端を上げる。
「あら、ようやく“おじさん卒業”?」
「ち、違う! なんか……その方が、いいかなって思っただけ!」
顔を真っ赤にしながらそっぽを向くクラン。
ロイは少し笑って、肩を回した。
「……ありがとな、クラン」
「べ、別に感謝しなくていいし!」
「でも、なんか嬉しいよ。
“ロイ”って呼ばれるの」
ミレイナが柔らかく言う。
「名で呼ぶというのは、“関係の再定義”ですわ。
あなたたちの絆が、一歩深まった証拠ですね」
「そんな大げさな……!」
「いいえ。
“名”とは、存在そのものを呼び出す言葉。
あなたがロイを“おじさん”から“ロイ”に変えた瞬間、
この人はきっと、誰かの“ただの過去”じゃなくなるのです」
ルナが焚き火を見つめながら小さく頷いた。
「……いい言葉ね、ミレイナ」
「詩人みたいだ」
ロイも笑う。
「ええ。王女は文学にも通じていますから」
「やめてください、からかわないで」
穏やかな空気。
けれど、森の奥から冷たい風が吹き抜けた。
リゼリアの幻影が、炎の揺らめきの中に浮かぶ。
『時の歪みは広がり続ける。
貴方の力――“刻の結晶”を制御できなければ、
この世界そのものが“凍る”』
ロイの瞳が揺れた。
「……あんた、どうしてそんなことを知ってるんだ」
『私は“終焉の時代”から来た。
滅びを止めるために。
けれど、救いの鍵は――過去の貴方にしかない』
「過去の、俺……?」
幻影がかすみ、炎が消える。
風が止んだ。
ルナが静かに立ち上がる。
「……どうやら、のんびりしてる暇はなさそうね」
クランが拳を握りしめる。
「ロイ、訓練しよ。
その“時間の力”、ちゃんと使えるようにならなきゃ」
「訓練、ねぇ……。俺、もう年だぞ?」
「言い訳禁止!」
クランがロイの腕を引っ張る。
「おじ……じゃなくて、ロイ! 行くよ!」
彼女の声が森に響く。
ロイは苦笑しながらも、その背中を追った。
「まったく、元気だな……でも、悪くない」
その背後で、ルナとミレイナが顔を見合わせる。
ミレイナが小さく微笑み、囁く。
「彼女があの人を“呼び戻した”のですね。
――かつて、戦う理由を失った男を」
ルナは目を細めて言った。
「ふん。じゃあ私たちは、もう一度“時の物語”を始めましょう」
そして夜明け。
森の奥に差し込む光の中で、ロイは深呼吸をした。
四十肩の痛みが、まるで遠い昔のことのように感じられる。
「よし。――訓練開始だ」
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