第三話 約束通り
「グルァアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」
祭りの最中、生贄が捧げられる儀式が遂に始まってしまった。
ナル様は祭りが始まってから姿を見せていない。
目の前にいる巨大な蜘蛛の怪異を前に、逃げたくなる衝動を必死に抑える。
目の前の怪異から漂ってくる死の気配に意識を奪われそうになる。
でも、ここで意識を失うわけにはいかない。私は覚悟を決めたんだ!そう己を無理矢理鼓舞しても、やはり怖いという本音が口から溢れてしまう。
「早く・・・早く助けに来て、ナル様」
目の前にはたくさんの人を食い殺してきた大蜘蛛の怪異。
改めて近くで見ると、その恐ろしさがよく分かる。
8本ある足は、その全てが黒光りしていて気持ちが悪い。
6つの単眼はその全てが生贄である私を捉えている。
そんな化物に私はこれから食べられる。
これだけでも最悪なのに、更に最悪なことに私の後ろには嬉々として私を生贄に差し出そうとする父様がいる。
頼みの綱であったナル様も一向に姿を現さない。
死の恐怖は人の覚悟など簡単に踏みにじる。
その証拠に、私は先程から良くない思考しか出来なくなっている。
私は今日死ぬのだろうか?
もしかしたら、昨日の出来事は全て心の弱い私の妄想なのかもしれない。
本当は怪異に死を売る商人などという、今の私に都合の良すぎるものは存在しなくて、私を助けると言ってくれたナルという青年も存在しないし、母様との再会も私の夢なのだろう。
そうならば今の状況にも説明がつく。
いや、違う。
もしかしたら――――――
「――――――逃げたのかも」
追い詰められた人間の思考回路は常人のそれとは大きく異なる。
その証拠に、私の思考は自責思考から他責思考に変わっていた。
普段の私では絶対に起こり得ないことだ。
ナル様も想定外だったのかも。
大蜘蛛様がここまで化物だったなんて。
だから怖くなって逃げたのかもしれない。
でも、仕方がないよね。
誰だって自分の命が一番大切だ。
他人の為に命を投げ捨てるなんて行為をする人はいない。
いや、もしかしたらいるのかもしれない。
でも、私とナル様は出会って一日も経っていない。完全に他人だ。
だから、逃げられたって仕方ないよね・・・
「フフフ」
怖くて仕方なにのに、笑みが溢れてしまう。
マトモではない。恐らく、死の恐怖で壊れてしまったのだろう。
父様はいつからかおかしくなり、私の望む温かい家庭を手に入らなくなった。
母様が死んで、私は唯一の拠り所を失った。
心が壊れそうだった私は、皆が求める私を演じることでなんとか心が壊れるのを防いだ。誰にでも優しくした。父の理不尽にも耐えた。ずっと皆が望む私でいた。
丁寧な所作。美しい心。綺麗な容姿。
苦しかった。とても苦しかった。それでも、心が壊れるよりはマシだと思った。
でも、限界だった。
父様から今日のことを伝えられる前からずっと、私の心は限界だった。
だから、全てを諦めようとした。
でも、そんな時に私はナル様という希望に出会った。
でも、その希望は更に深い絶望を味わう為の調味料でしかなかった。
「もう・・・疲れたよ。でも――――――」
前を見ると、大蜘蛛の怪異の足が私に向かってきていた。
これまでの生贄も皆、あの足で貫かれたのだろう。
そして、その後口の中に入れられ、噛み砕かれて死ぬ。
怖い。
怖くて、身体が震える。
今すぐ逃げたい。
でも、逃げられない。
震える私の身体を父様が抑え込んでいるからだ。
あぁ、もう死ぬんだ。
「でも――――――夢でも、現実じゃなくても、お母さんに会えて嬉しかった」
大蜘蛛の足が私を貫く――――――
「だから、ありがとう。ナルくん」
――――――直前に、何者かによってその足が斬り落とされた。
そして、私の耳にずっと聞きたかった、望んでいた声が届く。
「あれは果物と水の礼だから気にする必要はないぞ」
大蜘蛛の足を斬り落とした正体は、私の身体を抑える父から私を救ってくれたのは・・・
「・・・ナルくん?」
「済まない。来るのが遅くなってしまった」
「ごめ、私、君を、疑って、だから」
「もういい、よく頑張った。イルとの約束通りこの祭りをぶち壊しに来た。だから―――後は任せろ」
次話からナル視点です。