第一話 ナルと名乗った商人
パタッ、と誰かが座り込んだ音が私の耳に届いた。
一体誰だろうと辺りを見渡してみても、誰も見当たらない。
そこで気付いた。あぁ、さっきの音は私が座り込んだ音だ。
バタッ、と誰かが倒れ込んだ音が私の耳に届いた。
私が倒れたのだろうかと自身を見ても、そんな様子はない。
次に辺りを見渡して気付いた。道端で一人の青年が倒れていることに。
助けなければ。そう思い立ち上がった時に、ふと疑問が生まれた。
「あれ?なんで私、道端で座り込んでいたんだろう」
デザルトシティ・・・砂漠の中にある人口1000人にも満たない小さな街。
辺鄙な場所にあるため、街の外の人間がデザルトシティを訪れることはない。
当然だ。そもそも街に住む人間でさえ、自分たちの住む街の場所の位置を正確に知らない。
勿論、街の支配者の娘であるイルも街の外に出たことはないし、街の外の人間を見たこともない。だから今、道に倒れ込んでいた街の外の青年を自身の部屋で寝かせているのだが、この後どうすれば良いのか全然分からない。
一応、水と果物は用意してあるが。
道に倒れていた青年は不思議な格好だった。
整った顔立ちに独特な耳飾り、長髪は後ろでくくっており、持ち物と呼べるものは青年が腰に差していた刀のみ。とてもじゃないけど、砂漠の中を歩く格好とは思えない。
興味津々に観察していると、部屋の外から父の私を呼ぶ声が聞こえた。
どこか喜色を含んだ声色だった。
「イル、出てきなさい。少し話がある」
「わ、分かりました」
「明日の大蜘蛛様に捧げる生贄についての話だ。お前も当然理解していると思うが、我々は大蜘蛛様がおられなければ生きていくことが出来ない矮小な存在だ。大蜘蛛様に生かされていると言っても過言ではないほどに我々は大蜘蛛様に助けられて生きている。故に、大蜘蛛様に感謝を捧げる場として年に一度大蜘蛛様に生贄を捧げる祭りを開いてきた。分かるな?イル」
「分かります」
「そして今年の祭りは記念すべき100回目祭りだ。だからいつもより気合を入れた、誠意のこもった生贄を大蜘蛛様に捧げなければならない」
「ま、まさか。私が明日の生贄に?」
「その通りだ!街の支配者たる私の娘を捧げるとなれば、大蜘蛛様も大喜びなさるだろう。幸いお前は顔も良い。言う事無しだ!!!まぁ、そういうわけだから、知り合いに別れを済ませておきなさい。あと、大蜘蛛様の腹の中にいるお前の母に会ったときの挨拶も考えておきなさい。きっと感動の再会になる」
父は言いたいことだけ言うと、足早に去っていってしまった。
きっと明日の祭りの準備に向かったのだろう。
父は大蜘蛛様に心酔している。
大蜘蛛様が喜ぶなら、他人の命など容易く投げ捨てる。
・・・そんな事、とうの昔に思い知っていた。
だって、母が生贄として捧げられても父は嗤っていたのだから。
それでも、普通の家庭になりたくて努力してきた。
それも、全部無駄だったけれど。
あぁ、何故私が道端で座り込んでいたのか、今思い出した。
疲れていたんだ。
そもそも巨大な蜘蛛なんて怖いに決まってる。
でも、父に気に入られるにはその巨大な蜘蛛と交流しなければならない。
生贄だってそう。
毎年、この街の女性が喰われて死んでしまう。
皆、いつ自分の番が来るかビクビクしながら暮らしていた。
私だって例外じゃなかった。
ずっと怖かったんだ。
私は涙を堪えながら自分の部屋に戻った。
一度泣いてしまえば、もう動けなくなるから。
でも、もう堪えられなくて泣いてしまおうかと考えたとき、私は声をかけられた。
「頭の狂った父親を持っているんだな。自身の娘を喜んで死地に向かわせるなんて、とてもじゃないが常人の思考とは思えない」
私の気持ちを代弁してくれたのは、つい先程助けた街の外の青年だった。
いつの間にか起きていたその青年は、気怠げな表情でこちらを見ていた。
「あ、もっと前に言うべきことだったが、助けてくれてありがとう。俺はナル、商人をやっている者だ。この水と果物貰っていい?」
「は、はい」
「ありがとう」
そう言ったナルと名乗る青年は一心不乱に果物と水を口の中に入れ続けた。
その様子と先程までの気怠げな様子とのギャップについ笑ってしまいそうになる。
この青年のお陰で、少しの間だけでも嫌な気持ちを忘れられそうだ
しかし、先程このナルという青年は気になることを言った。
自身は商人をやっている者だと。しかし見たところ、売り物なんて持ってないように思える。
「あ、あのナル様」
「ん?」
「先程ナル様は商人をやっているとおっしゃりましたが、一体何を扱う商人なのですか?」
「死」
「し?」
「死。死を扱う商人。正確には、怪異専門の死を扱う商人だ」
「あの、怪異とは一体?」
「まぁ、簡単に言うと化物。例を挙げるなら―――――――――大蜘蛛様?」
そう言って微笑むナルの瞳は、妖しげに輝いていた。
※主人公はナルです