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蝉の鳴き声を聞きながら、久連子は苛立ちと共に持っていた「雛沢祭り」のパンフレットを握り潰して、ぽいっと眼下の川へと投げ落とした。くるっと回転することなく、パンフレットはふわりとそのままに川の水面へと落ちていき、流れのままに消えた。
日名川とバス停で地元の少女から教わった川は、どこに繋がっているのか知らないが、どのみち海まで繋がっているのだろう。
女子高校は、久連子が、都会の男が珍しいのか色目を使ってくるだけではなく、色々とこの田舎について教えてくれた。
久連子は、そう思いながら橋の欄干から身を離す。さすがに田舎町で都会と比べて涼しいとは言え、橋の上は日陰になりそうなところはなく、夏の直射日光は、タンクトップ姿の久連子の露出された肌をじりじりと焼いていた。さらに具合の悪いことに、黒いタンクトップは熱を持ち始めていた。
きっと、しばらくこうやっていれば奇妙な形に日焼けしてしまうだろう。
バス停のあたりに戻ろうか、と思い直した時だった。
「久連子、元気そうじゃねぇか」
呼び止められて、そちらへと顔を向ける。
身の丈八尺ほどの巨大な女が居た。白いワンピースに、巨大な麦わら帽子を被っている。
傍らにある古い型のポルシェがやけに小さく見える。
久連子は少しだけ笑いそうになりながら、手を上げて軽く挨拶をした。
「あんたも代わり映えないな。デカ女。態度も身長もデカい」
「は? でかくないが? お前が小さいんだが」
「器の小ささなら、あんたに負けるよ」
久連子はそう軽口をたたきながら、黒革のパンツのポケットに手を入れてその巨大な女へと近寄る。
余裕綽々、という風に装っているが、精いっぱいの強がりだ。
デカい女は嫌いだった。
とくに態度と実家がデカい女は。
「ここらへんで八尺様を見たっていう噂を聞いたが、石岡。あんたの事か?」
「インターネットで最近聞くね。間違いなくあたしだよ。どうだ? 白いワンピース」
「悪くねぇ」
ポルシェの助手席に乗り込みながら久連子は笑った。
石岡というのは間違いなく人間の女だ。本人曰く、洒落怖で八尺様の創作話を聞いてからは八尺様と人間のハーフ。という風に自己紹介をしているが、間違いなく人間だ。戸籍もあるし、マイナンバーカードも所有し、有効に活用している。
なんなら、久連子より詳しく、入院したときの還付金だったりの時には随分とお世話になったものだ。
「あぁ、そこのバス停に女子高生がいるが、知り合いじゃないか?」
「たぶん、近所の子だろ。ちょっと寄り道するよ」
こういう風に気前のいい当たり、間違いなく、創作妖怪ではなさそうだ。
石岡がハンドルを握るポルシェがバス停の前を通るとそこの少女はやはり石岡の知り合いだったようで、ポルシェの後部座席へと久連子は押し込まれた。気に入らないと思ったが、久連子は女性に歯向かう事はしない。
女性には向かえばどうなるか。
インターネットで嫌というほど学んでいた。
だから、歯向かうべきではないのさ。
久連子はそう思いながら、後部座席の窓から外を眺めていた。提灯が吊るされた通りを走り抜け、女子高生を目的地まで送り、その後、本来の目的である石岡の家へと向かう。石岡の家は、田舎のさらに奥地、田んぼが周りにある旧家というような立地にあった。
「いやぁ、どうよ、久連子。我が故郷、雛沢は」
「くっそだっせぇアニメみたいな古典的な場所だ。ブランドショップはないのか?」
「西松屋とかしまむらならあるよ」
「あぁ、くそっ田舎女が」
と、久連子は言いながら、石岡の家へと入っていく。
いかにもな広い屋敷は、がらんと静かだった。
「誰もいないのか?」
「まぁ、祭りの時期だし、あたし一人。みんな外で仕事よ」
座敷に通された久連子は、石岡からジュースを受け取り涼んだ。
「それで、わざわざ祭りに参加させるために俺をよんだのか?」
「まあ、それは一つ」
「なら、意味わからん手紙を送るな」
久連子は、ポケットからくしゃっと皺のついた葉書を取り出すとひらりと見せた。
そこには「雛沢祭りの謎を解いて」と赤ペンでわざわざ目立つように書かれている。
「ずいぶんと、大袈裟な書きようだと思う。興味をそそるにしてもな。そして、俺は暇じゃ」
「暇でしょ。就職活動に失敗して、バンドでも売れず、ワナビーで生きてるんだから」
「暇です」
「よろしい。じゃ、概要を話すね」
石岡が話し始めたのは、雛沢祭りというこの村の小さな祭りだった。風習、奇習とも言ってもいい。雛人形というこの近隣での小さな工芸品を川に流すだけの祭りだ。言ってしまえば因習村の奇妙な慣習だ。嫌な事悪い事そういったものを雛人形にのせて流す、非科学的だが、気晴らしの一つでもある。
この祭りにおいて石岡の家は、雛人形を販売している。
が、この雛人形は、あの日名川に流すのであるが。
「その人形、どこにも見たらないのよね」
「見当たらない?」
「そう。流すだけ流したら、下流が大変じゃない。だから、本来は回収するの。回収した雛人形は、また、来年も使ったりするのよ」
「それは、それでどうなんだ。しかし、それが回収されないと」
「そう。だから、こっちは持ち出しが増えてね」
「資本主義的、だな」
「合理的、と言ってほしいわ。田舎女でもスピリチュアルに傾倒してないのよ、都会女と違って」
久連子は舌打ちをし、頭をかいた。
「わかった。それを探す、体のいいバイトだな」
「今、都会の若者では流行ってるんでしょ? 老人の家に強盗するバイト。それに比べたらマシでしょ」
「あと、祭りまでの飯と風呂も頼むからな」
久連子がそう言うと、その手を石岡はぐっと強く握った。
「交渉成立、ね」
石岡が座敷を出て、一人残った久連子は、手紙をじっと見た。