第3話「スライム革命を起こす」
Aパート:予算ゼロでも戦えるモンスター、それがスライム
「……さて。予算が、ゼロですって?」
王女シエラ=ルクセリア=アークライトは、静かにティーカップを置くと、まっすぐこちらを見据えた。
「そうです。国庫は空です。防衛費も、魔導炉維持費も、研究費も、全部カットされています。あるのは、この朽ちかけたダンジョンと、無給の私一人」
そう答えるのは、彼女の隣に控える、黒髪ボサボサ・目の下クマだらけの青年技師、クラウス。
元・宮廷魔術機構所属、現・ダンジョン無職。引きこもり陰キャである。
「けれど……スライムなら、召喚できます」
「スライム?」
「ええ。原始的な粘体生命体。マナ消費はほぼゼロ。餌は水と有機物。繁殖力が高く、条件次第では知能も進化します」
「……つまり、タダで無限に湧いて、育てればそこそこ戦える。そんな都合のいい生き物が?」
「います。ダンジョンコア直結で操作すれば、ある程度の指示も可能です。しかも、敵の兵器や罠を、内部から溶かせるんですよ。まるで……“胃袋のついた軍隊”」
クラウスがにやりと笑うと、背後のダンジョン奥から、ぬるりと青い何かが這い出てきた。
「……ぬちゃ……うぬ……」
「きゃっ……! な、なにこれ、かわいい!」
王女はびくりと身を引きながらも、スライムのまるっこいフォルムに、なぜか頬を緩ませた。
「我が国は、スライムに未来を託すのね……」
「ええ。予算ゼロでも、戦えます。これが、我らの“粘性戦術”です」
ダンジョンの最深部にて、若き王女と変人技師の“スライム革命”が、静かに幕を開けた――。
「……これは……ぬるいだけの水たまりですわね」
王女ソフィアは目の前にある半透明のゼリー状の物体をじっと見つめながら、そう評した。
「まだだ、まだ終わっちゃいねぇ……!」
地下ダンジョンの奥深く、薄明かりの魔晶灯だけが灯る実験室。机の上には、小さな瓶詰め、怪しげな液体、干からびたトカゲの尻尾、魔導書の断片、謎の草――カミツレの花に似た匂いがする何か――などが散乱していた。
王女の隣で必死に作業しているのは、かつて“天才召喚士の末裔”と呼ばれた青年、クラウス。今では「ド底辺ダンジョン技師」に成り下がった彼が、まるで錬金術師のように一心不乱にスライムの生成を試みていた。
「スライムに必要なのは、魔素の安定供給と粘性のバランス、それから……愛だ! 情熱だ!!」
「情熱は結構ですけれど、爆発音のほうが多いですわよ、今日」
ソフィアが袖口をふわりと振って、顔についた黒煙をはらう。今もなお、クラウスのスライム試作は失敗の連続だった。溶けては蒸発し、跳ねては爆発し、這いずり回っては逃げていく。これで失敗10連敗目だ。
「いいか、王女。スライムとは“最も経済的な守護者”であると同時に、“最も奥深い魔生命体”でもあるんだ!」
「その理屈は五度ほど聞きましたけれど、そろそろ結果が欲しいですわね」
クラウスはがしっと額に手を当て、深く息を吸った。そして――
「次だ。今度は《粘液触媒No.9》に《虚魔の核》を砕いて混ぜる。加熱3秒、冷却2秒――!」
ぶくぶくぶく……。
試験管の中で青く光る粘液が、ひとつの命を宿すように、ぽよん、と跳ねた。
「……! できた……! 王女、見てくれ、こいつは──跳ねた!」
「また床に落ちましたわよ」
「違う、今度のは違う……! 動いてる! 自発的に!」
足元でふよふよと漂う青いスライムは、確かに小さくぴょこぴょこと跳ねている。床を滑るように移動し、ゴミくずを包み込み――そのまま分解・吸収して消化した。
「やった……! 成功だ……!!」
クラウスの手が震えた。スライム。それは“最低級の魔物”とされ、初心者冒険者にすら馬鹿にされる存在。しかし、だからこそ使い方次第で“最強の守護者”にもなる。
「王女。この子は《掃除用スライム》と呼ぼう。ダンジョン内の残骸処理と毒液散布、足止め、分裂による遅延戦術……無限の可能性があるぞ!」
「見た目はただの床掃除要員ですけれど……でも、確かに……」
ソフィアは小さく微笑んだ。
「あなたらしいわね、クラウス。無駄に夢があって、無駄にしぶとい」
クラウスは嬉しそうにスライムを抱き上げ――ずぶっ。
「ぐえっ!? 溶ける溶ける! 痛い痛い! 王女ぉぉぉっ!!」
「そのスライム、愛に飢えてますのね……ふふ、いい兆候ですわ」
「どこがだぁあああ!!」
こうして、最初の“戦えるスライム”が生まれた。
予算ゼロから始まるダンジョンの逆転劇。その第一歩が、今、始まった――。
Cパート:勇者2号来訪とスライム革命の実証
王女は地下ダンジョンの拠点、スライム育成区画にて、淡い光を放つスライムを見つめていた。
「……完成したのね、"再帰型分裂スライム"」
水晶のように透明な個体の中心で、青白い核が脈動している。それは分裂し、また融合し、さらなる進化の兆しすら見せていた。最初に作った溶解スライムは目標通りに“武装解除”に特化しており、敵の武器や防具を溶かしてしまう。だが、こいつは違う。
「情報を吸収し、自己最適化を始めた……これは、もう“生態兵器”の域よ」
そのとき、警報が鳴った。
『《第2警戒ライン突破》……《勇者、来訪》』
ダンジョン内に設置された魔法陣が光り、照準が一点に集中する。監視結晶が映し出したのは、紅蓮のマントを羽織る青年――勇者2号。前回の勇者1号よりも慎重な動きで進み、罠も読み切り、的確に突破していく。
「ほう……用心深いタイプか」
ダンジョン技師の青年が隣でつぶやいた。眼鏡を指先で押し上げ、王女に振り向く。
「――ですが、今回は“革命”の実証実験です。スライムで、やれますよ」
王女は無言で頷いた。合図と共に、再帰型分裂スライムが分裂を開始。床の隙間、壁の陰、通路の天井、ありとあらゆる場所から粘液のように染み出してくる。
勇者2号が気づいたときには、すでに遅かった。
「なっ、どこから!? 囲まれて――っ!」
スライムの一体が足に取りつくと同時に、魔力を吸収。彼の防御魔法が音を立てて消える。
「魔力が……抜かれてる? バカな、スライムにそんな能力が……!」
さらに上から降ってきた個体が、剣を包み込むように覆う。
「まさか、武器まで無効化するってのか……っ!」
動きが鈍ったその瞬間、壁から突出する杭が彼の足元に迫る。だが殺しはしない。あくまで“捕獲”が目的だった。
「撤退だッ!!」
勇者は爆裂魔法で通路の一部を崩し、煙幕代わりにして退却していった。彼の足取りは、明らかに乱れていた。
戦闘終了。静寂が戻ったダンジョンで、王女はそっと微笑む。
「……ねえ、見た? あれが“スライム革命”」
横で技師が深く頷いた。
「誰もが最弱と笑った存在が、ついに“戦略兵器”に進化しました。ここからが本番ですよ、姫様」
「ええ。新時代を――このスライムたちと、私たちが創るのよ」
王女と技師はスライム育成室を見渡す。そこには、無数の可能性が、ぷるぷると波打っていた。
Dパート「スライムに名前を」
それは、戦の終わった後の、静かな時間だった。
戦、といっても、襲来した“勇者2号”――猫耳兜の若者が送り込んだゴブリンの集団を、試作スライム部隊が見事に撃退した一件のことである。ダンジョンの主である私、トールは、勝利の余韻にひたりつつ、スライムたちの揺れるボディを眺めていた。
つるん。ぷるん。ぴとっ。
青、赤、緑のジェル状の身体。どの個体も、微妙に形が違っていて、どこか個性がある。ちょっとだけ前に出るやつ。すぐ隣のやつにくっつくのが好きなやつ。自分の色を意識してるのか、やたら動きにリズムをつけるやつ。
「……名前、つけるか」
思わず口から出た言葉に、スライムたちが「ピョ」とか「プルッ」と音を立てて一斉に振り向いた。
「いや、お前らに言ってるわけじゃなくて……いや、言ってるのか?」
スライムたちは、ぷるぷる震えている。なんだこの無言の圧。いや、ぷるぷるだけど圧。
「じゃあ、お前は……赤だから、“アカーリ”。で、お前は青で“アオリム”。で、緑のお前は“ミドナ”」
……あれ、なんか普通すぎたか?
でも、ぷるん、と三体が嬉しそうに飛び跳ねた。
あ、通じてる。
私はにやりと笑って、地面に腰を下ろした。
「じゃあ、量産型のお前らは……ええと、“ぷる1号”、“ぷる2号”って感じで……番号制にするか。いずれ改良型ができたら、プロトとかネオとか名前つけて……」
そんな未来の話をしながら、私はスライムたちにひとつずつ名前を与えていった。
名前を持ったスライムたちは、それぞれが“自分”を持ったように動き出す。敵にぶつかっていく子もいれば、罠と連携する子、他のモンスターと連携するよう動く子まで現れた。
「こいつら、名前をもらうと、個性も芽生えるのか……?」
私は腕を組みながら、ふむと唸る。
そしてふと、かつての記憶がよぎった。
会社で部下に名前すら覚えられてなかった日々。誰かの“下”として、ただ働くだけの毎日。
だけど今は――。
「俺が名付けたモンスターが、俺のために戦ってる。……いいじゃねえか」
スライムたちが、こっちを向いてぷるぷる震えた。まるで、「ボス」と呼んでいるかのように。
「ははっ。よし、やるぞ、お前ら。スライム革命、始めようじゃねえか」
誰も見ていないダンジョンの奥で、ひとりの男と、十数体のスライムたちが、新たな時代を告げる準備をしていた。