第2話「ワナとティータイム」
朝、王宮の中庭に小鳥のさえずりが響く。王女アナスタシアは、上品な銀のティーカップを手に、ダンジョンの設計図を広げていた。
「ほうら、見て見て。ここにトゲ床、そこに落とし穴。で、こっちの通路はぐるぐるループにして……っと♪」
設計図はほとんど迷路。いや、罠地獄。ダンジョンというよりテーマパークのような賑やかさだ。
「姫様、ティーがお冷えになられますよ」
声をかけたのは、執事にして軍師、ダリアン。整った顔立ちに冷めた瞳、銀の髪が風に揺れる。
「大丈夫よダリアン。冷たい紅茶も風情があるわ。さっ、それより見て見て! この『アヒルに見えるが爆発する像』、かわいくない!?」
「……中に火薬が三〇キロ入ってます。かわいさとは無縁です」
そんなとき、王宮門からの報告が届いた。
「姫様、大変です! 勇者がまた一人、国境を越えました!」
アナスタシアは一瞬、カップを口元に運びかけたまま止まる。
「ふふ……来たわね、挑戦者が」
その笑みは、猛獣のように鋭い。
「ダリアン、急いで"ティータイム仕様"から"迎撃モード"に切り替えて。あと、例の【だまし鏡の間】を拡張しておいて」
「……もはや、お茶と戦争の境界線がわかりません」
ダリアンが嘆息する中、アナスタシアは椅子から立ち上がった。
「さあて、今日の主役は誰かしら。私の罠、楽しんでくれるかしらね?」
空は晴天、ティーカップには花びらが一枚浮かぶ。
王女の罠だらけティータイムが、静かに幕を開ける。
重厚な扉が、ぎいぃ……と不吉な音を立てて開いた。
「ようこそ、我がダンジョンの第一号施設——《応接間(トラップ付き)》へ!」
誇らしげに胸を張るのは、転生おっさんことクロード。元・土木作業員のスキルと、現代のDIY魂を存分に発揮して作り上げた、記念すべき第一の部屋である。
「これは……意外と……趣味がいいわね」
そう呟いたのは、王国を追われた元・悪役令嬢にして、このダンジョンの共同経営者リリアナ嬢。金髪を揺らし、ふむ、と顎に手をやる。
部屋にはアンティーク調のソファと、赤い絨毯。壁の模様はクラシックで、照明はなぜか間接光。ダンジョンとは思えぬ、くつろぎの空間が広がっている。
「さあ、どうぞお座りください。今から——」
カチッ。
クロードが懐から取り出したのは、妙に光るスイッチ。押した瞬間、部屋の一角がガコンと開き、壁の内側から回転テーブルが滑り出す。
上に乗っているのは、マカロン、フィナンシェ、焼きたてのスコーン。極めつけは、ふわふわ生クリームたっぷりの苺タルト。
「ようこそアフタヌーンティーの世界へ!!」
クロードが叫ぶ。
リリアナは目を丸くした。
「お菓子が……飛んできたわね?!」
そう、テーブルは“回転”と称しつつ、全力で円を描きながら投擲するように菓子をスライドさせてくる。しかも、完璧な弧を描いて、ソファの前に着地。
「どうだ。この“オモテナシ型トラップ”。侵入者が油断してティータイムに気を取られているうちに、こちらの罠が発動するって寸法よ」
「いえ、それ“おもてなし”なのかしら……?」
その時だった。
ガガッ。
隣の壁のスリットが開いた。ティーカップを載せた小型のカタパルトが、唸り声のような駆動音を響かせる。
「ん? それまだテスト段階の——」
ズドン!
第一発、ティーカップ発射。しかも中身が満杯。
「うわッ冷た!」
リリアナの紅茶が直撃。
第二発、ショートケーキを添えた皿ごと射出。もはやティータイムというよりは、ミサイル攻撃。
「止まらん!暴走しとる!!」クロードが叫ぶ。
暴走したティーセット砲台は、まるで機関銃のように次々と皿を飛ばし始めた。スコーン、茶器、ナプキン、なぜか塩瓶まで飛んでくる。
「誰だ!スコーンに塩ふったやつはッ!」
床を転がりながら叫ぶクロード。ソファの裏に隠れていたリリアナは、顔を出して小さく笑った。
「ふふ……悪くないわね、こういうの」
まさかの応接間初使用は、罠でも敵襲でもなく、カップと菓子の集中砲火によって幕を開けたのであった。
ダンジョンの第一施設――応接間は、実に優雅な空間に仕上がっていた。
薔薇を模した壁紙に、ふかふかの椅子。中央にはゆるやかに回転するテーブルと、香り高い紅茶、そしてかわいらしく盛り付けられたケーキ類。
……までは、完璧だった。
「うわああああっ、勇者1号、突入す――っ」
ガシャァアアアンッ!!
突如、応接間のドアが蹴破られ、火花を散らしながら男が飛び込んできた。
銀のプレートアーマーに赤いマントをなびかせたその男――名を、勇者1号。異国の英雄にして、猪突猛進の体現者。
「ふっ、敵の主を捕らえに来たぞ!この俺のティアブレードで――ぐはぁっ!?」
彼の足元が、一瞬光った。
――【ようこそスイッチ】が作動したのだ。
ゴウンッと壁が音を立てて開き、甘い香りと共にお菓子の群れが回転テーブルで**ブンッ!ブンブンッ!!**と飛来する。
「おわっ!? な、なんだこれは!? 空飛ぶケーキ!? あっ、イチゴが――っ、ぐぉぉおおおぉっ!!」
顔面にクレームブリュレ、鎧の隙間にマカロン、ブーツの中にフィナンシェが侵入。
さらに追い討ちをかけるように――
「カチッ」
回転テーブルの裏手に設置されたティーカップ射出装置が、設計ミスで暴走を始めた。
「ティーカップ、インパクト!!」
ゴゴゴゴゴゴ――!
湯気の立つ紅茶をたたえたティーカップが、バズーカのような勢いで連続発射される。
「ぐわああああ!? 熱っ、熱いぃぃぃぃぃ!!」
頭から紅茶を浴びた勇者1号が、床に転がりながら叫ぶ。
「こ、これは……っ、毒紅茶の罠だぁぁああ!!」
だが、それは単なるダージリンティーだった。
そして、優雅にソファに腰かけていた少女――若き王女レアーナは、唇に薄く笑みを浮かべた。
「――あなた、入る場所を間違えたわね」
頬杖をついてそう呟いた彼女の背後では、第二のケーキランチャーが起動しようとしていた。
「く、くそ……。なんだこの……ダンジョン……どこかがおかしい……!」
紅茶まみれの勇者1号が、クッキー地雷を踏むまで、あと三歩だった。
Dパート:ティーカップとおもてなしの心
紅茶まみれになった勇者1号が床に転がると、どこからか「ドンマイですー!」とモンスターたちの乾いた応援が飛ぶ。頭にティーカップを被った彼は、床に散らばったクッキーとお菓子の山の中で、むっくりと起き上がった。
「毒は……なかったみたいだな……でも心に毒を浴びた……」
勇者は膝をついたまま、空を見上げて呟いた。どこか悟りを得たような顔をしていたが、背後の壁が再びゴゴゴ……と音を立てて開く。
「よ、ようこそいらっしゃいました。こちら、“応接間”となっております」
王女アナスタシアが紅茶用のティーポットを両手で抱えて現れる。気品ある笑顔だが、背後でティーカップ射出装置がシュン、シュンと危なっかしく鳴っているのが台無しである。
「ちょっと、その機械、まだ動いてるわよ……!」
天才陰キャ技師・クロトが、スパナを持って駆け込む。「おもてなしモード」から「戦闘モード」に切り替わっていた罠装置のボタンを乱打して止めた。
王女は動じず、ずぶ濡れの勇者にティーカップを差し出す。
「どうぞ、改めて。温かい紅茶を。……これは毒ではないわ」
「信じていいのか……?」
勇者は警戒しながらカップを受け取り、ひとくち……。
「……うまっ! これ、アールグレイ!? え、ていうか香り高すぎない!? この砂糖……精霊糖か!?」
驚愕と感動が入り混じった表情を見せる勇者。紅茶は敵をも虜にする――それが王女流「接待と外交」戦術の第一歩であった。
「私たちはあなたの敵ではありません。けれど、ダンジョンの主として、礼節ある訪問をお願いするのが私たちの流儀よ」
王女が優雅に笑うと、勇者は手にしたカップを見つめ、そっと頭を下げた。
「……あんたら、やべぇダンジョン作ってんな」
「お褒めに預かり光栄です」
こうして、王女と勇者1号の“戦い”は、紅茶とクッキーを介して一時の和平を迎えた――が、その裏ではクロトがまだティーカップ射出装置の配線を蹴っていた。
「……この罠だけは失敗だったな……ティーカップなめてたわ……」