第1話「姫、引きこもる」
1.王宮、騒然
「姫が――! 姫様がさらわれたぞーーっ!!」
その叫びが、王城に響いたのは、まだ朝食のパンにバターを塗っていた時間だった。
騎士たちは椅子をひっくり返して立ち上がり、メイドは皿を落として悲鳴を上げ、王様はトーストをくわえたまま凍りついた。
「……え? ……今なんと申した?」
バターがのったままのパンを手に、王・グリファード三世は問い返した。
「だから! 姫様が! 魔物にさらわれたと!」
報告に来た近衛兵の肩には、コウモリのフンがのっていた。何かに追いかけられながら報告に来たらしい。
「そ、そんな馬鹿な……!! 城の警備はどうした!? 夜警は!? 私の寝室の鍵は!?(あ、それは関係ない)」
「すでに全衛兵に捜索命令を出しましたが、姫様の寝室には……割れた窓と、一本の脱け殻のようなドレスが……!」
「ぬ、ぬけがらぁっ!?」
王様は椅子から立ち上がった拍子に腰を打ち、声にならない悲鳴を上げて崩れ落ちた。
「国難だ……! 我が王家、終わりだ……! 次の王位は……あの変な弟に……っ!」
「落ち着いてください陛下、まだご存命です!」
「それがわかっていたら苦労せんわーーっ!!」
王は涙と鼻水をまき散らしながら、じたばたと床を転げ回った。
――そこからは早かった。
国中に号令がかけられ、王立放送塔によって、姫誘拐の報が発表された。
「王国の姫・リュシア様を救いし者には、金銀財宝ならびに、姫君との婚姻を許可する!」
という大盤振る舞いの報酬に、瞬く間に全国から勇者(を名乗る者たち)がぞろぞろと集まり始めた。
賞金目当ての剣士に、夢見がちな騎士、うさんくさい行商人まで、列をなして城門をくぐるその姿は──
「まるで、バーゲンセールに群がる民草じゃな……」
と、王妃が吐き捨てるほどのカオスだった。
だが。
誰一人として、この時はまだ知らなかったのだ。
姫が「さらわれた」のではなく──
自らすすんで、ダンジョンに引きこもっただけだということを。
その頃。
地下深く、ダンジョンの最奥で。
「ふぅ……このティーセット、持ち込んでおいて正解だったわ」
誰よりも優雅に、紅茶を啜っていた少女の姿があった。
2.姫、くつろぐ
地下深く、冷たい石造りの空間。常人なら十歩も進めば肌寒さと圧迫感で引き返すような、そんなダンジョンの最奥に――
「……ふふ。やっぱりスライムに囲まれて飲む紅茶は格別ねぇ……」
絹のナイトガウンに身を包み、アンティークなソファに悠然と腰掛ける一人の少女。
その手元のティーカップからは、ほんのりラベンダーの香りが立ち上っていた。
照明は、魔石を埋め込んだ自作のランプ。床には毛足の長いカーペット。
そして目の前のテーブルでは、スライムがぽよんぽよんとお茶菓子を盛り付けている。
「ありがと、もっちー。いい子ね。今日のゼリーはキウイ味かしら?」
スライムが「ぽいん」と跳ねて肯定の意を示す。
それを見て少女――リュシア姫は微笑んだ。
「ふふ……こんな幸せ、王宮にはなかったわ」
リュシア・フォン・エルディア王国第一王女。
政略結婚、格式ばったパーティー、手取り足取りの礼儀作法――
そんな"王族らしさ"のすべてに辟易し、彼女は数日前、自らダンジョンに“脱出”した。
きっかけは、突然決まった隣国の王子との婚約話だった。
父王に「お前はそろそろ嫁ぎ先を決めねばならん」と言われた瞬間、彼女は思った。
――いやだ、絶対に。
それからは早かった。城の裏手の古井戸を使い、かねてより調査していた未踏の地下ダンジョンに潜入。
用意しておいた生活道具や魔導具、家具類を持ち込み、現在に至る。
魔物? 出たけど話し合った。
スライムも、コウモリも、ゴブリンも、みんな今や姫の同居人であり、部下であり、友達である。
特にスライムのもっちーは、紅茶の温度管理において王宮の侍女以上の仕事をしている。
「……ああ、ほんと。なんで今までこんな場所を放置してたのかしら。ここ、最高じゃない?」
姫は満足そうに脚を組み、天井を見上げる。
「人間は来ないし、文句も言われないし、誰とも結婚させられないし……最高……」
そのとき、奥の通路からパタパタと駆け足で現れたコウモリが一羽、ぴたりと天井に止まる。
そして、口にくわえていた小さな巻物を、ぽとりと姫の前に落とした。
「ん……? なになに……?」
姫は巻物をほどき、音読する。
『王国は姫をさらった魔物に対し、勇者たちを派遣することを決定!
姫を救い出した者には、王家より婚姻の栄誉と莫大な褒賞が与えられる!』
「……」
紅茶を置く。
「…………はあああああああああああ!?!?!?」
その絶叫がダンジョンに響き渡り、コウモリがビクゥッと羽ばたいて逃げた。
「なにそれ! なんで誘拐されたことになってんの!? 自分の意志で来たんですけど!? 説明書いて出たんですけど!? ゴドンに預けたんですけど!?!?」
机をバン!と叩いて立ち上がる姫。
その肩を、もっちーが「ぽよ」と優しく押さえた。
「……まあ、いいわ。どうせ来るんでしょ、勇者ってやつが。だったら……」
彼女はくいっと唇を釣り上げ、不敵に笑った。
「遊んであげましょ? この"わたくしの"ダンジョンで、ね?」
魔石の灯りが、姫の目元できらりと光を反射する。
──そして、勇者1号が地上から走り出したのは、その直後のことである。
3.勇者1号、爆誕
その日、王都の南門前には、奇妙な光景があった。
剣を背負った者、盾を構えた者、裸で叫ぶ者。
「姫を救うのは俺だ!」と口々に叫ぶ勇者(自称)たちが、長蛇の列を成していた。
「婚姻!? 姫と!? よっしゃぁああああああ!!!」
「褒賞金で借金返すんじゃああああ!!」
「いやオレ、ただのパン屋だけど……姫と結婚できるなら行くよね?」
「ちょっとアナタやめなさいよォォォ!!」
もはや祭りか暴動か、判別不能。
その列の中で、ひときわ目立つ男がいた。
全身を金属鎧で包み、背中には異様にデカい剣。
右腕には炎を宿す魔導籠手、額には自作の"勇"のハチマキ。
その名も――
「名乗るまでもないが、俺の名はッ! バルド・ザ・ブラスト!!
“爆裂の勇者”の異名を持つ男だッ!!!」
「誰だよ……」
「知らねえ……」
「え、パン屋さんじゃないの?」
周囲の空気は冷めきっていたが、本人だけはテンションMAXである。
「姫よ! 待っていろ! このバルドが、お前を――必ずや助け出してみせるッ!!」
叫びとともに、彼は飛び出した。
ダンジョンへ、全力で。
そして数時間後。
「うおおおおおおおお!?!?!?!?!?!?!?!?」
落とし穴にハマって転がり、油のプールに突っ込み、勢いで滑走、壁に激突。
「ぅごふぉぉぉぉおおおぉぉ!!?」
バルドは文字通り、地面にめり込みながら停止した。
「おいおいおい……なんだこのダンジョン……初手から罠が本気じゃねぇか……」
泥と油でドロドロの顔を振りながら、彼は立ち上がる。
だが、その瞬間。
上から――
「よく来たわね、勇者様♡」
ダンジョンの天井から、どこかで聞いたことのある甘ったるい声が響いた。
見上げると、魔導スピーカーらしき石板が設置されており、そこから声が再生されているようだ。
「このダンジョンに挑むなら、それなりの覚悟をしてきなさい。
ただの武力で突破できると思ったら――痛い目見るわよ?」
「だ、誰だ……!? 魔物か!? まさか、あの姫様の声じゃ――」
バルドが混乱している間に、次の罠が発動。
バシュッ!という音とともに、上から何かが降ってくる。
――ネットだ。
漁師が使うような網に、彼は思いきり捕まった。
「ぎゃあああああああ!? な、なんだこれぇぇぇぇ!?」
「ふふ……残念だったわね、勇者様。
そのまま、三日三晩、逆さ吊りで反省しなさい」
「拷問!?!?!?!?!?」
数時間後。
バルドはボロ雑巾のような姿でダンジョンから這い出てきた。
鎧は泥まみれ、剣はどこかへすっ飛び、顔にはスライム型のアザがくっきり。
「し……しかし……あの声……あれは……まさか……」
バルドはつぶやく。
「姫……! やはり、魔物に洗脳されて……!? 俺が、俺が助け出してやるからなァァァ……!」
拳を握って泣き崩れる彼の姿に、周囲の民衆が小銭を投げ始めた。
「よく頑張った……」「お疲れパン屋さん……」
「パン屋じゃねぇえええええ!!」
一方、ダンジョンの最奥では。
「ふふっ……あれで“爆裂の勇者”? ずいぶん大爆笑させてもらったわ」
姫・リュシアは、スライムのもっちーに紅茶を注ぎながら満足げに笑った。
「さて、次はどんなバカが来るのかしらね。楽しみだわ♪」
地下の空間に、ふたたび穏やかなティータイムが流れていた。
王宮・謁見の間。
玉座にどっかり座る姫こと、カリーナ=ラウラ=エスメラルダ=ファーレンライト14歳。王位は次兄が継いだので暇になった。暇すぎて、また変なことを考え始めていた。
「……ダンジョン。そう、ダンジョンよね」
ぽつりと姫がつぶやく。
「ひ、姫様……またそのような珍妙なことを」
侍女のクラリッサが、思わずティーカップを取り落とす。
「だって、暇なんだもん。魔王軍は攻めてくるし、国境は揺らいでるし、勇者1号は多分まだ迷子だし!……だったら、私が守るしかないじゃない!」
「ま、まさか姫様、自ら前線へ……?」
「前線?まさか。わたしはこの椅子から動きたくないの。だから、“中で迎え撃つ”のよ。ダンジョンで!」
「迎え撃つ……って、それはつまり……!?」
「そうよ。“王立地下迷宮・姫印のワナづくしコース”を作るわよ!」
ぱぁん!
姫が卓を叩いて立ち上がると、まわりの廷臣たちがざわめき立つ。
「また始まったぞ」「今度は地下か……」「いや、今回は意外と実利的では?」
「問題は“姫印”というブランドに耐える内装デザインですね」
「資金?王家の秘蔵財宝をちょっと使わせてもらうから。あと、バイト雇おう。地元のニートとか、傭兵とか」
「ニートって……そもそもその単語どこで……?」
姫はぴょんと玉座から飛び降り、マントを翻すと叫んだ。
「集え、迷宮建築家!呼べ、伝説のトラップマスター!我が新たなる“趣味”のために、地底帝国建設、開幕よぉぉおおおッ!!」
――かくして、王女カリーナ、ダンジョン運営に乗り出す。
なお、この翌日から宮廷には「地下設計師採用面接希望者」で長蛇の列ができ、
更にその翌日には「ダンジョン建築禁止法(案)」が議会に提出されるが、姫の目力で全て却下されたという。
王国の未来は、彼女の手中に。
いや、地下にあった。
王都ロワール、王城最上階の王女執務室。
――そこはもはや、執務室ではなかった。
「おい、そこっ!モンスターの孵化器を壁際に寄せろって言ったでしょ!? 何回目よ、何回目ッ!」
蒼きドレスをまくり上げ、巨大な設計図を床に広げ、指示を飛ばす十四歳の王女、アナスタシア・フォン・ロワール。
「陛下、床にスライムが……滑ります……!」
「スライムで滑らない設計こそ、真の防衛ダンジョンの基礎よ!」
「ご乱心だッ! ついに姫様が!」
宰相が泣き、騎士が震え、侍女は逃げ、魔導士は魔力を枯らして倒れた。
王宮が、ダンジョンと化していく。
すべては――王女の「なんか、楽しそうじゃない?」の一言から始まった。
小国家ロワール。資源なし、軍事力なし、名物は“粘り気の強いパン”と“やたら人懐っこいスライム”だけ。
隣国からの侵略は日常茶飯事。外交は舐められ放題。戦で負け、条約で泣き、今日も今日とて国庫は赤字。
だからこそ、王女は立ち上がった。
「うちの国も、ダンジョン作って守ればよくない?」
誰もが「無理だ」と言った。
だが彼女は、それを“ゲーム”のように受け取ったのだ。
今日、王宮の地下にはじめてのダンジョン区画が誕生し、異形の卵たちがうごめき出す。
「ふふん……この感じ、このカオス……!」
椅子にふんぞり返り、スライムのぬるぬるマッサージを受けながら、姫はご満悦。
「こうなったら、もう――やるしかないわね」
執務机の上で、光る通信魔導機のランプが点滅する。
隣国の使者が来ている。戦争布告だろうか。きっとまた、やられる前提の条約を突きつけられるに違いない。
「出ろって? いいわ」
彼女は口角を吊り上げ、ドレスのすそをひるがえす。
「――今度の戦場は、“問う”側よ」
そう言い残し、王女アナスタシアは“ダンジョン主”として、初めての《戦争》へと足を踏み入れた。
(つづく)