第56話 葱で食べる!? 宿場町のそば体験記
山間の街道を歩き始めて、もうかれこれ四時間は経っただろうか。
青空に浮かぶ綿菓子のような雲を眺めながら、俺たちは王都への道を進んでいた。
「さだっち、あれが見えてきたよ!」
陽菜が急に立ち止まり、前方を指さした。
眼を凝らすと、山あいの向こうに細長い集落が見えてきた。藁葺き屋根の家々が整然と並ぶ、どこか懐かしい風景だ。
「あれは……?」
「オウチ宿ですわ」
スイリアが優雅に答える。なぜか誇らしげな響きが混じっていた。
「オウチ宿?」
「この地方では最も歴史のある宿場町ですにゃ。約四百年前から変わらぬ姿を保っている、貴重な場所なんですよ」
ミアが流暢に解説してくれる。その猫耳がぴくぴくと動くのが妙に可愛い。
「私たちの世界でいうと、大内宿っていうんだよ! ねえねえ、昔の旅人みたいにあそこで一休みしようよ!」
陽菜の目がきらきらと輝いていた。まるで遠足前の子供のようだ。
「うーん、今日中に王都に着くつもりだったが……」
正直なところ、早く責務に取り掛かりたかった。しかし、スイリアが困ったような表情を浮かべる。
「実は王都までまだ半日以上かかりますの。このまま進んでも、今日中に着くのは難しいかと……」
そうか、確かに無理は禁物だな。
「わかった。一度休憩して、明日に備えよう」
「そうと決まれば、オウチ宿のねぎそばを食べましょう!」
「ね、ねぎそば?」
俺は思わず聞き返した。なんだそれは。
「会津の大内宿と同じで、ここの名物なんだって!」
陽菜の興奮が伝染してきそうだ。
「芦名様、もしかしてねぎそばを食べたことがないのですか? それはもう必食ですにゃ!」
ミアが猫の目のように細めて俺を見上げた。この猫メイド、妙に食いものに目がないらしい。
「せっかくの旅ですもの、名物を味わいながらゆったり過ごしませんこと?」
スイリアの優しい提案に、俺は思わず胸が温かくなった。
「わかった。みんなの言う通り、オウチ宿に立ち寄ろう」
峠道を下りきると、時が止まったかのような光景が広がっていた。
藁葺き屋根の古風な木造家屋が百メートル近くにわたって並ぶ。まるで絵巻物から抜け出てきたような風情だ。
「うわぁ……本当に江戸時代みたい!」
陽菜が感嘆の声を上げた。
そういえば、俺の祖父は江戸時代の生まれだったな。鈴木貫太郎大将も江戸生まれと言っていたような……。
石畳の道を歩いていると、住民たちがこちらに好奇の目を向けてくる。まあ、俺たちは確かに奇妙な組み合わせだろう。
「ここは、かつて両国を結ぶ重要な街道の宿場町として栄えた場所なんですわ」
スイリアが教科書を読み上げるような口調で説明を始めた。
「英雄アレクサンダー二世も、サウスアイヴェリア討伐の際に必ずここに宿泊したという言い伝えがあるにゃ」
ミアも負けじと歴史知識を披露する。二人とも妙に張り合っているような……。
宿場町の中央で、ひときわ賑わっている茶屋を見つけた。
「ここだよ、ここ! 大内宿では『高遠そば』って呼ばれてたやつだ!」
陽菜が小躍りしながら入口に向かう。
店内は予想以上に広く、床には藁が敷き詰められ、中央に大きな囲炉裏があった。
「いらっしゃい、お客さん」
女将が笑顔で出迎えてくれた。
囲炉裏のそばの座敷に案内され、俺たちは並んで座った。
「ねぇねぇ、『ねぎそば』ってそのまま葱を箸代わりにして食べるんでしょ?」
陽菜が女将に尋ねると、女将は驚いたような表情を見せた。
「まぁ、よくご存じで! そうですとも、オウチ宿のねぎそばは葱で食べるのが伝統なんですよ」
「葱を箸代わりに?」
俺は思わず口にした。なんという奇想天外な発想だ。
「この地域の『竜葱』は特別なんだよ。硬くて折れにくいし、香りも強いから風味付けになるんだって」
陽菜が得意げに解説する。
「細く長く生きられるようにって願いを込めて食べるんだよね?」
女将は目を丸くした。
「おや、まるで地元の方みたいにお詳しいですね」
「うち、なんちゃって歴史好きだからね!」
陽菜が胸を張る。確かに彼女の知識は今の状況でも役立っているな。
待つこと十分。湯気の立つ麺が運ばれてきた。
そして驚いたことに、各々の器の横には30センチほどもある長い青々とした葱が一本ずつ添えられていた。
「いただきます!」
全員で手を合わせた後、陽菜が早速その葱を手に取った。
しかし……。
「あれ? 意外と難しい……」
麺が葱から滑り落ちてしまう。なんとも間抜けな光景だ。
「陽菜さん、ちょっとコツがいるんですのよ」
スイリアが優雅に葱を持ち、端と端を微妙に交差させるようにして麺をすくい上げた。
その動作はまるで貴族の食事作法のように洗練されていた。
「スイリア様、流石ですにゃ!」
ミアが無邪気に褒め称える。これも小さな勝利宣言なのだろうか。
俺も葱を手に取ってみた。軍人としても挑戦する価値がある。
「いくぞ……」
気合を入れて麺に挑んだ。最初は失敗したが、数回でコツをつかんだ。
「うむ、これは美味い!」
麺のコシと葱の香りが見事に調和している。
しばらく無言で食べていたミアが、不意に顔を上げた。
「みなさん、こんな食べ方もありますにゃ」
そう言って、葱の途中で麺を巻き取るという荒技を披露した。
「ミア、それは……」
スイリアが眉をひそめたが、ミアは猫のように目を細めて笑った。
「旅人たちの間では『竜巻食い』として知られる食べ方ですにゃ」
「すごい! うちもやってみる!」
陽菜が挑戦したが、力の入れ具合が強すぎたのか……。
ビシャッ!
「あ! ごめんなさい!」
つゆがスイリアの着物に飛んでしまった。
「大丈夫ですわ、少しくらい」
スイリアは優雅に微笑んだが、その視線はわずかに苦々しい。
しかし次の瞬間、スイリアもつゆをこぼしてしまい、全員で笑い合うことになった。
街の端にある展望台に登ると、宿場町全体が一望できた。
夕日に染まる藁葺き屋根は金色に輝き、幻想的な雰囲気に包まれていた。
「綺麗だなぁ……」
陽菜がうっとりとつぶやく。
「陽菜、君の故郷の風景にも似ているのか?」
「うん。本当にそっくりだよ」
彼女の言葉には懐かしさと寂しさが混じっていた。
「でも、ここにいるみんなと一緒だから、すごく楽しいよ!」
その笑顔に、強さと覚悟を感じた。
日が落ち始め、俺たちは宿に向かった。
異世界での冒険は、こんな穏やかな時間があるからこそ、続けていけるのかもしれない。




