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第24話 天狗の冷泉への道〜魔物との死闘〜

ショワルの村で迎えた朝、俺とスイリアは宿屋を後にした。


陽菜のために「天狗の冷泉」と呼ばれる霊水を取りに行くのだ。


空はどこまでも青く澄み渡り、鳥たちがさえずる声が心地よい。そんな平和な雰囲気とは裏腹に、俺の胸には微かな緊張感が漂っていた。


「天狗か……日本の妖怪の名前なのに、異世界にもいるのが不思議だな」


思わず呟いていると、スイリアが振り返って微笑んだ。


「エルフの古い言葉で『天空の守護者』という意味なのですが、発音が似ているだけかもしれませんね」


その知的な解説に、俺は思わず見とれてしまう。朝日に照らされた彼女の銀紫色の髪が風に揺れ、まるで生きた宝石のように輝いていた。


「なるほど。言語の偶然の一致というわけか」


軽やかな足取りで山道を進みながら、俺は周囲の景色を目に焼き付けていた。


木々の間から差し込む木漏れ日が、地面に幾何学模様のような模様を描いていた。ふと、艦長時代に見た南方の島々の自然を思い出す。


あの頃とは違い、今は戦場ではない平和な道のりだ。




そんな思いに浸っていた時だった。


「この匂い……!」


突然、鼻を突く酸っぱい臭いが風に乗って漂ってきた。俺の鼻孔が反射的に縮み、眉をひそめる。


「トマト……?」


言葉が出た瞬間、上空から何かが落下してきた。赤い塊が、まるで魚雷のように空気を切り裂いて降ってくる。


「芦名さん、避けて!」


スイリアの鋭い叫び声が耳に飛び込んだ。


咄嗟に横に飛び退く俺の背後で、ドンッ! と凄まじい音が響いた。振り返ると、さっきまで立っていた場所が抉られ、赤黒い粘液が飛び散っている。


「なんだ今のは……!?」


俺の胸に警戒心が走る。顔を上げると、樹々の間から巨大な影が現れた。


背丈は人間の三倍はあろうかという巨体。


赤黒い甲殻に覆われた体からは、硫黄のような刺激臭が漂ってくる。


節くれ立った四肢の先には鋭い爪が生えており、頭部には複眼と思しき赤い突起が光っていた。


「あれは……アカブトマガス!?」


スイリアが青ざめた顔で呟く。その声には恐怖の色が滲んでいた。


俺の脳裏に、タジマティアの町で陽菜が倒れた時の記憶が蘇る。あの時の魔物と同じ奴かもしれない——それを思うと、怒りが込み上げてきた。


「あの野郎、陽菜を傷つけた張本人か!」


怪物の触角がピクリと動いた次の瞬間、再び赤い弾丸が吐き出された。


「くっ!」


俺は迫り来る赤い塊に狙いを定め、腰から軍刀を抜き放った。


心臓の鼓動が早まる中、刀を握る手に力を込める。


ズバッ!


鋭い斬撃が飛来する塊を真っ二つに切り裂いた。しかし中身が飛散し、周囲にドロリとした液体が降り注いだ。


「ぎゃっ!」


思わず声が漏れる。肩口に熱い痛みが走った。


飛沫の一部が当たったのだ。見れば制服の肩が溶け、肌が爛れて煙を上げている。


「なんて威力だ……!」


痛みで顔をしかめる俺に、スイリアが駆け寄った。彼女の眉間には深い心配の色が浮かんでいる。


「大丈夫ですか!? すぐに治療します」


スイリアが穏やかな声で呪文を詠唱すると、上空に透き通った水の精霊が現れた。


儚げな姿をした存在が、俺に清らかな水流を浴びせる。


ジュッという音とともに焼けるような痛みが和らいでいった。


水が酸を洗い流し、中和してくれたようだ。彼女の魔法の温かみが患部に染み渡り、俺は少し安心した。


「ありがとう、スイリア」


礼を言うと、彼女は小さく頷いた。瞳には決意の色が宿っている。


「これは確実に、タジマティアで陽菜さんを襲ったアカブトマガスです。どうして山奥までやってきたのか……」


俺たちの前で怪物が再び唸り声を上げた。今度はこちらから仕掛ける番だ。




肩の痛みをこらえつつ、俺は地面を蹴って一気に怪物へと飛び込んだ。


「はぁぁっ!」


気合いとともに軍刀を振り上げ、怪物の脚めがけて叩き下ろす。


カキン!


硬い甲殻と鋼鉄の刃がぶつかり、火花が散った。刀身が僅かに食い込むものの、思ったほど深く斬り込めない。


(この硬さ……普通の刀なら折れるレベルだ)


アカブトマガスが怒りに震え、大きな前肢を振り上げた。


ドウッ!


反撃の一撃が地面を抉り、土煙が舞い上がる。俺は間一髪で後方に跳んで避けたが、衝撃波で体勢を崩し、尻もちをついてしまった。


「芦名さん!」


スイリアの心配そうな声が聞こえる。すかさず彼女は指先を怪物に向けて突き出した。


「風の精霊よ、斬撃を!」


彼女の声に応えるように、透明な刃が幾重にも空を裂き、怪物の顔面に斬りつけた。


「ギシャアァ!」


怯んだアカブトマガスが悲鳴を上げ、一瞬ひるむ。獰猛な怪物も、スイリアの魔法には手を焼いているようだ。


「今だ、スイリア! 一気に畳みかけるぞ!」


俺は立ち上がりざまに叫んだ。スイリアはこくりと頷き、目を閉じて魔力を練り始める。胸元の青い宝石が眩い光を放ち、彼女の周囲に水の粒子が集まっていった。


「水の精霊よ……我が力に応え集え!」


彼女の美しい唇から紡がれる言葉に、俺は一瞬見とれてしまう。だが今は彼女を守る時だ。


俺は怪物の注意を引くべく前に出た。刀を構え、挑発するように振るう。


「こっちだ! 相手をしてやる!」


怪物が再びこちらに向き直り、大顎を開いて唸った。



だが次の瞬間、アカブトマガスの全身から赤黒い靄が噴き出したのだ。


「霧だわ! 下がって!」


スイリアの警告が飛ぶ。視界がみるみる暗赤色の霧に包まれ、鼻を突く腐臭に思わずむせ返る。


「くそっ……!」

喉が焼けるようだ。まともに息もできない。俺はスイリアの元へ慌てて退避した。彼女も咄嗟に風の障壁を展開し、周囲の霧を押しのけようともがいている。


その懸命な姿に、胸が締め付けられる思いがした。こんな危険な目に彼女を遭わせてしまって申し訳ない——そんな後悔が頭をよぎる。


しかし腐食性の瘴気は勢いを増し、じわじわと二人に迫ってきた。


やがて朧な霧の中、赤い複眼がぎらりと光る。


「来る……!」


次の瞬間、巨大な影が猛スピードで突進してきた。


ドガッ!


鈍い衝撃が俺の腹部を捕らえ、身体が宙に浮いた。


「がはっ……!!」


呼吸が一瞬で止まり、背中が木に叩きつけられる。


一瞬意識が飛びかけ、視界がちかちかと明滅した。



「芦名さんっ!!」


霧の向こうからスイリアの悲鳴が聞こえる。その声に導かれるように、俺は何とか意識を繋ぎとめた。


地面に崩れ落ちながら、俺は自分の手が空であることに気づく。軍刀が……ない。吹き飛ばされた拍子に手放してしまったのか。


ぼやける視界の中、少し離れた地面に銀色の刃が落ちているのが見えた。だが体が言うことを聞かない。手足に力が入らず、立ち上がれなかった。


(くそっ……情けない……!)


自分の弱さに歯噛みする。


艦長として数々の困難を乗り越えてきたはずなのに、今は一人の少女すら守れないのか——。


その間にも霧の中から巨体が迫る。


スイリアが俺の前に立ちふさがり、両手を広げた。その背中は小さく見えるのに、なぜか頼もしく感じられた。


精霊護壁せいれいごへき……!」


祈るような彼女の声とともに、水の幕が俺たちの周囲に展開する。


次の瞬間、ずしん! と鈍重な衝撃音が響いた。怪物の攻撃が防壁に命中したのだ。


水の膜が揺らぎ、無数の波紋が走る。スイリアの額に汗が滲み、歯を食いしばって耐えているのが分かった。


「くっ……持ちこたえて……!」


俺は這いつくばりながら剣に手を伸ばそうとする。


だが間に合わない。このままでは防壁が破られるのも時間の問題だった。


(スイリアを守れない……俺は所詮、この程度の男なのか……)


諦めるな……! そう自分に言い聞かせるが、もはや打つ手はなかった。俺はぎりっと歯を噛み締め、目前の巨影を睨みつける。



その時だった。


突如、轟音が寂寞とした森を引き裂いた。閃光と共に、雷鳴のような音が響き渡る。


「……何だ!?」


耳をつんざく炸裂音に、俺は反射的に目を見開いた。


バキンッ!


鋭い金属音と共に、怪物が咆哮を上げる。見れば、アカブトマガスの堅い甲殻がはじけ飛び、黒い体液が飛散していた。



(何かが奴を撃ち抜いたのか……?)


混乱する頭で状況を把握しようとしたその時、霧の中から無数の影が現れた。


「人間……?」


スイリアが驚いた声を漏らす。次々と現れるそれは人の形をしていた。


だが皆、見慣れぬ金属製の甲冑に身を包み、筒状の武器を携えている。


長い銃身の先から、薄い煙が立ち昇っていた。

いかがでしたでしょうか? アカブトマガスとの戦いシーン、描くのに力が入りました!

次回は、謎の武装集団の正体が明らかになります。彼らは味方? それとも敵? そして「天狗の冷泉」にたどり着けるのでしょうか?

引き続き、芦名とスイリアの冒険を応援よろしくお願いします!

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