第21話 峠道の危機 ~ゴブリンとの戦い~
俺の言葉が途切れたのは、突然の物音に気づいたからだ。
茂みが揺れる音と、かすかに聞こえる笑い声のようなものが耳に入る。
人間のものではない、奇妙な笑い声だ。軍人の直感が警告を発している。
背筋に冷たいものが走る。恐怖ではない。戦闘に入る前の緊張感だ。
狙われている——そんな感覚が全身を駆け巡る。
俺は反射的にスイリアの前に立ちはだかった。戦場で培った感覚が体を動かす。
「後ろに隠れろ!」
その瞬間、緑色の小さな人影が茂みから飛び出してきた。ゴブリンだ。
人間の子供ほどの大きさだが、筋肉質の体つきで、大きな耳と鋭い牙、赤く光る目が特徴的だ。手には粗末な短剣や棍棒を持っている。
一匹ではない、五匹の群れだ。彼らは半円形に広がり、俺たちを包囲しようとしている。一番大きなゴブリン——おそらくリーダーだろう——は背中に弓矢を背負い、腰には他のゴブリンより立派な剣を下げていた。
「くっ、忌避粉が効いていないというの……?」
スイリアが呟くと、すぐに呪文を唱え始めた。清らかな声が緊張感のある空気を切り裂く。
「森の守護者よ、我が盾となりたまえ……」
スイリアの手から緑色の光が放たれ、私たちの周りに半透明の光の壁が形成された。ゴブリンの攻撃が壁に弾かれる。
「スイリア、この防御はどれくらい持つ?」
「せいぜい数分です……」
彼女の声に疲労が滲んでいる。魔力が完全に回復していない状態での防御魔法は負担が大きいのだろう。
時間の問題だ。俺は軍刀を抜き、戦闘態勢に入った。
「作戦は?」
「この先200メートルほど行くと、例の冷湖の霊泉があります。冷湖の霊泉は神聖な場所で、魔物が近づけない結界があるんです。そこまで逃げ切れば安全です」
スイリアの話を聞いて、俺は頭の中で素早く作戦を組み立てた。
「よし、防御が切れたら俺が囮になる。その隙にお前は先に湧水まで走れ」
「でも、それでは芦名さんが……」
「大丈夫だ。海軍兵学校では剣道も叩き込まれている。この程度の敵なら対処できる」
防御の壁が薄れ始めるのが見えた。細かい亀裂が広がっていく。
「スイリア、壁が消えたら、合図と同時に走れ。振り返るな、いいな?」
スイリアは不安そうな顔で頷いた。長い睫毛の下の瞳が潤んでいる。
「今だ、行け!」
防御壁が完全に消失すると同時に、俺は大声で叫びながらゴブリンたちに向かって突進した。その隙にスイリアが逃げ出すのが見えた。
俺は軍刀を構えながら、ゴブリンたちと対峙した。
最初のゴブリンが棍棒を振り上げて飛びかかってきた。俺は素早く身をかわし、ゴブリンの脇腹に軍刀を振り下ろした。
だが、すぐに残りの四匹が攻撃態勢に入った。リーダーらしきゴブリンが何か命令を出し、二匹が俺に向かって、もう一匹がスイリアの方向へと走り出した。リーダー自身は弓を構え、距離を取る。
ゴブリンたちは両側から同時に攻めてくる。
俺は素早く軍刀を振り、左からのゴブリンの短剣を弾き返した。
背後から矢が飛んできた音を聞き、危険を察知して身を低くするが、矢は肩をかすめていった。
そのとき、後方から声が聞こえた。
「芦名さん! こっちです!」
振り返ると、スイリアが杖を構えて立っていた。彼女の背後には澄んだ水が湧き出る小さな泉があった。
「なぜ逃げなかった!」
「一人だけ逃げるわけにはいきません!」
スイリアは再び呪文を唱え始めた。彼女の銀紫色の髪が魔力に反応するように舞い上がる。
「風の刃よ、我が敵を薙ぎ払え!」
彼女の杖から鋭い風の刃が放たれ、スイリアを追っていたゴブリンに直撃した。ゴブリンは一瞬宙に浮き、数メートル先へと吹き飛ばされた。
俺はこの隙にスイリアの元へと走り寄った。二人が湧水のそばに立つと、残ったゴブリンたちは唸り声を上げながらも、それ以上近づこうとはしなかった。結界が効いているようだ。
「助かったな……」
俺は安堵の息を吐き出した。スイリアも緊張の糸が切れたように肩を落とす。
静かになった森に、二人の息遣いだけが響く。
「芦名さん、怪我はありませんか?」
「ああ、大丈夫だ。かすり傷程度さ」
実際、肩に矢がかすった傷と、腕に軽い切り傷があったが、気にならない程度だ。
「でも、ゴブリンの武器には時々毒を塗っていることがあります。少し治療させてください」
スイリアは俺の傷口に手をかざした。彼女の手から淡い緑色の光が漏れ出し、傷口に染み込んでいく。不思議と痛みが引いていくのを感じた。
「これで大丈夫です。念のため、毒を中和する魔法もかけておきました」
「すまない、ありがとう」
俺たちは湧水で少し休んだ後、水筒に水を汲んだ。スイリアは小瓶もいくつか取り出して水を入れていた。
「前にもご説明した通り、この冷湖の霊泉には薬の効果をより引き出す成分が含まれています。これで2つのうち1つの目的は達したことになります」
嬉しそうに言うスイリアの表情に、俺は安堵を覚えた。彼女の笑顔を見ると、不思議と心が軽くなる。ここまで来れば、あとはショワルの村まではそう遠くない。
「よし、そろそろ行くか」
先ほどのゴブリンたちの件もあり、お互いもう少し警戒を強めながら歩き始めた。
「あの、芦名さん……さっきは……ありがとうございました。私を守ってくれて」
彼女の顔が少し赤くなっているのが見えた。その姿が妙に愛らしく思えた。
「礼には及ばない。お前こそ、戻ってきてくれなかったら、俺は危なかったよ」
スイリアは微笑むと、「そろそろ村が見えてきますよ」と指差した。確かに小さな集落の屋根が見えてきた。ショワルの村だ。
日が暮れる前に村に到着できそうだな、と思いながら、俺たちは緑の小道を抜けて、エルフたちの住む神秘的な村へと歩を進めた。
この異世界での冒険はまだ始まったばかり。陽菜の治療のためにも、そしてこの不思議な世界の謎を解き明かすためにも、前に進むしかないのだ。
そう思いながらも、スイリアの横顔を見る。彼女と一緒にいると、不思議と安心感を覚える。
前世ではあまり経験したことのない感情だが、それは悪いものではなかった。
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