第19話 森の精霊の導き
俺とスイリアは、まずショワルの村を目指すことになった。
陽菜の病状は落ち着いたものの、完全回復には特別な湧水が必要だという。
そのため、俺たちは先に出発し、必要な水を確保してくることにしたのだ。
地図を広げて距離を確認すると、タジマティアからショワルの村までは約24キロ。自動車や鉄道があれば何てことない距離だが、歩きとなるとかなりの道のりになる。
「これくらいの距離なら、俺は大丈夫だが……」
ふとスイリアの方を見ると、彼女はほっそりとした体つきをしている。
軍人上がりの俺でさえ、この道のりは容易ではない。
純白の肌をした美しき医師にとってはなおさらだろう。
「スイリア、この距離を歩くのは大変かもしれないが、大丈夫か?」
心配そうに尋ねると、彼女は神秘的な微笑みを浮かべた。
「ご心配なく。私たちエルフには特別な移動手段がありますから」
その言葉に首を傾げる間もなく、彼女は荷物の準備が整ったことを確認すると、ミアに声をかけた。
「それじゃ行きましょうか。ミア、後はよろしくね」
「かしこまりました。スイリア様も道中お気をつけて」
ミアとの挨拶を済ませ、スイリアは俺の方へ向き直った。彼女は驚くほど真っ白い手を差し出してきた。陽の光に透けるような白磁の肌に、俺は思わず息を呑んだ。
「芦名さん、ちょっと、お手を拝借できますか」
「こ、こうか?」
俺は緊張しながら差し出された手を握った。彼女の指はしなやかで、かすかに温かい。すると突然、スイリアは静かに呪文を唱え始めた。
「森の精霊よ、我に力を貸したまえ……」
その瞬間だった。俺の体が突如として宙に浮き上がったのだ。
「おおおおおお! な、なんだこれは……!」
慌てて彼女の手を強く握りしめ、周囲を見回す。
足下には地面が遠ざかり、景色が小さくなっていく。生まれて初めての感覚に、俺は完全にビビってしまった。
「あまり暴れないでください。暴れると体力を消費してしまうので、できればじっとしていてくださると助かります」
スイリアの声は落ち着いていて、こんな状況でも余裕があるようだ。
その姿を見て、俺も少しずつ冷静さを取り戻していった。
「わ、わかった。なるべく動かないようにする」
そう言いながらも、自分の足がふわりと宙に浮いている不思議な感覚に戸惑いを隠せない。
スイリアと手をつないだまま、俺たちはゆっくりと目的地の方角へ移動を始めた。
最初の恐怖が薄れると、新たな好奇心が湧いてきた。
「これは、何の魔法だ?」
スイリアは風に揺れる銀紫色の髪をかきあげながら、優雅に答えた。
「エルフだけが使える、森林の魔法の一つです。エルフは森林の力を借りて、森に住む精霊から力を借りて、このような魔法を使うことができるのです。まぁ、私はハーフなので、純粋なエルフよりは弱いのですが……」
彼女の言葉には、ハーフエルフとしての複雑な思いが垣間見えた。俺は一層の驚きを込めて感嘆の声を漏らした。
「へぇ~、すごいな……」
地上十数メートルから見下ろす景色は圧巻だった。
タジマティアの町並みが徐々に小さくなり、周囲の森林や山々が一望できる。樹々の緑が風に揺れ、太陽の光を受けて輝いている。
スイリアは少し申し訳なさそうな表情を見せた。
「ちなみに、高度を上げるとそれだけで疲れてしまうので、山を飛び越えるときはそれなりの覚悟が必要です。今回も、峠でいったん休憩しようと思います。あと、峠からは下り坂なので、峠からは徒歩だとありがたいのですが、それでもよろしいですか」
魔法を使うスイリアの負担を考えると、それは当然の提案だった。俺は安心したように頷いた。
「むろん、それでよい。行程の半分を楽させてもらっているのだから、これほどありがたいことはない。本当にありがとう。恩に着る」
感謝の言葉を口にすると、スイリアの表情が明るくなった。
嬉しそうな彼女の姿を見て、俺の胸に温かいものが広がる。
「それじゃ、せっかくなので、ちょっと飛ばしますよ~! しっかり捕まっていてくださいね!」
スイリアが少しだけ速度を上げると、風が頬を強く撫でていく。その感触に、俺は白雪での日々を思い出した。
「ふむ、速度は30ノットほどか、なかなかいい速度だ」
駆逐艦に乗っていた頃、甲板で受けた潮風の感触が蘇る。潮風と山風は違えど、どちらも心地よい。
空を飛ぶことへの恐怖はすっかり消え、今は純粋な高揚感に包まれていた。
以前乗っていた駆逐艦「白雪」での日々が走馬灯のように脳裏をよぎる。
前世での記憶は時に痛みを伴うが、今はただ懐かしい。
俺たちは山頂へと高度を上げながら、大地の起伏に沿って飛行を続けた。緑の波のような森が眼下に広がり、遠くには鮮やかな青色の湖が太陽の光を反射して輝いている。
「あれが、マトリカン湖です。この辺りでは最大の湖で、水神様が住むと言われています」
スイリアが指さす先には、確かに美しい湖が広がっていた。その青さは海軍の制服を思わせるような深い藍色だ。
やがて高度が上がるにつれ、気温が下がってきた。スイリアの表情にも疲労の色が見え始めている。
「そろそろフーネガハーナ峠だ。休憩するには丁度いいタイミングかもしれないな」
スイリアは安堵の表情を浮かべながら頷いた。峠の平坦な場所を見つけると、俺たちはゆっくりと降下を始めた。
足が地面に触れた時、スイリアは軽く息を切らした。
魔法の維持には相当の集中力と体力を要するのだろう。
俺は彼女の肩に手を添え、近くの岩に腰掛けるよう促した。
「少し休もう。無理は禁物だ」
峠からの眺望は絶景だった。
タジマティアの町が遠くに小さく見え、麓に広がる田園風景が美しい。俺たちは暫し無言で景色を眺めた。
休憩を終え、峠から先は徒歩で進むことにした。下り坂を行くため、さほど体力は要らない。
道中、シーラモリ清水という湧水でのどを潤した。透明度の高い水は甘く、飲むと体の芯から清々しさが広がった。
「この水には癒しの力があると言われています。疲れも少し取れたでしょう?」
スイリアの言う通り、不思議と体が軽くなった気がする。
そして日が沈む前、俺たちはようやくショワルの村に到着した。
エルフが多く住むという村は、木々に囲まれ、建物も自然との調和を重んじた造りになっている。
「ここに一泊し、明日から湧水を探しましょう」
スイリアの提案に頷き、俺たちは村の宿屋へと足を向けた。
空を飛ぶという驚くべき体験と、スイリアとの距離が縮まったような気がする一日だった。
明日はどんな発見が待っているのだろうか。そんな期待を胸に、俺は宿の扉を開けた。
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