第18話 意地っ張りな猫耳メイドと最短ルートの行方
スイリアは地図をテーブルの上に広げた。
木製の机の表面に敷かれた古びた羊皮紙の地図には、インクで描かれた山々や川、森林などが精緻に記されていた。彼女の細い指先が地図上を舞うように動きながら、説明が始まった。
「今回、目標とする2つの泉は、こちらから見て、西北西の方向にあり、この山々を越えた場所にあります。最短距離を目指すなら、山越えをしてもよいのですが……」
スイリアはここで言葉を切り、北側の窓へと移動した。
朝日を浴びた彼女の銀紫色の髪が一瞬きらめいて、俺の目を奪った。窓枠に手をかけ、外の景色を指さす姿は絵画のように美しい。
「ここから見える、あの山の向こうに泉があります。険しい山道ゆえに、あまりお勧めしません。それに、ここから行くと、必ず1泊する必要があります。野宿だと、獣に襲われる心配もあります」
窓から差し込む光に照らされた彼女の横顔を見ながら、俺は考えを巡らせた。軍人時代、俺は常に最短ルートと安全性のバランスを見極める判断を求められてきた。この異世界でも、その経験は役立つようだ。
「なるほど、それもそうだな」
俺は地図に戻り、指先で別のルートをなぞった。
「だとすると、遠回りにはなるが、ここの村に1泊して行くのがよいだろうか」
そう言って俺が指さしたのは、ショワルと呼ばれる村だった。
タジマティアの町から見て北西の方向にあり、同じく峠を越える必要があるが、ここなら村の宿に一泊することができ、十分な休息を得ることができるだろう。
スイリアの瞳が輝いた。
「ご明察です! ショワルの村には、私の仲間であるエルフ族が住んでいるので、交渉も容易です。ショワルの村で1泊後、南西に進路を変えて、天狗の冷泉にたどり着くことができます」
スイリアの声が弾むのを聞いて、俺は内心で微笑んだ。彼女は普段クールな雰囲気を纏っているが、こういう時にふと見せる感情の揺らぎが、どこか愛らしい。
「よし、それで行こう。この土地のことは君のほうがよく知っているだろうし、お任せするよ」
と俺はスイリアの意見を尊重することにした。俺はこの世界はおろか、南会津に土地勘など全くないので、ここは地元のハーフエルフの意見を素直に聞くのが一番だろう。
スイリアは自分の意見が認められたのがうれしかったのか、にっこりと笑った。その笑顔に、俺は少し胸が温かくなる感覚を覚えた。
「ありがとうございます。では、午前中に装備を整え、今日の正午くらいにここを出発すれば、夕方にはショワルの村に着くことができるでしょう」
俺は地図の距離と山の高さを改めて見比べ、首を傾げた。海軍時代の航海の経験から、距離と所要時間を瞬時に計算する癖がついている。
「ん? でも、この距離でしかも峠越えをするとなると、なかなかの強行軍ではないか?」
スイリアはどれくらいの体力を持っているかわからないが、俺は山登りなど初めてだし、あまり自信がない。陸の上での行軍は海軍士官の俺にとって未経験の領域だった。
スイリアは意味深な笑みを浮かべながら、片目をウインクした。その仕草に、俺はふいに息を呑んだ。
「それは、大丈夫です。とっておきの方法があるので、私に任せてくださいな♪」
彼女の自信に満ちた表情に、俺は思わず頷いてしまった。「あぁ、この人に従っていれば大丈夫だ」という安心感が胸に広がる。
「さぁ、町で装備を集めましょう。お金は持ってますか? 持っていなければお貸ししましょう」
俺は少し困った表情で腰に下げた財布に手を当てた。
「ああ、ちょっと待ってな、いや、お金は何とかあるが、相場が分からない。それに、どれを選んだらいいのかもわからないので、すまないが、一緒について行ってくれないか」
「分かりました。では一緒にいきま……」
「いえ、でしたら私が行きましょう」
スイリアとの会話にそれまで黙っていたミアが口を挟んできた。彼女の猫耳がピクリと動き、俺たちの方を向いた。
スイリアは少し驚いた表情で問い返した。
「でも、あなたも忙しいでしょう?」
「いえ、このくらいは私の仕事ですにゃ。それに、アシナ様にはお聞きしたいこともありますしね」
ミアは意味深な笑顔を俺に向けてきた。その笑みの中に何か警戒心のようなものを感じ取り、俺は思わず後ずさった。
「あ、ああ俺はどちらでもいいぞ」
と間の抜けた返事をしてしまった。
スイリアは二人を交互に見て、小さく肩をすくめた。
「わかりました。では、この件はミアに任せましょう。私はその間に眠り姫の番でもしていましょうか」
そういうと、スイリアは軽やかな足取りでドアの方へ向かっていった。
その背中を見送りながら、俺はなぜか胸の内に寂しさを覚えた。
こうして、俺は一旦ミアと買い物に出掛けることとなった。
タジマティアの街を俺とミアの2人で歩いていると、朝市が開かれており、活気に満ちていた。
色とりどりの野菜や果物、鮮やかな花々が並び、行き交う人々の笑い声や商人の呼び込みで賑わっている。
しかし、俺とミアの間には明らかに距離があった。彼女は俺から一歩引いた位置を歩き、時折チラリと警戒するような視線を送ってくる。
(俺は何かしたっけかな……)
そう思っていると、ミアが突然立ち止まり、こちらを向いた。
「芦名様」
「は、はい」
思わず緊張して背筋を伸ばしてしまう。彼女の真剣な眼差しに、まるで上官に呼び出された新米士官のように感じた。
「あの女性の方とはどのようなご関係ですか?」
まるで尋問するような鋭い目で見られ、俺は思わず言葉に詰まった。陽菜のことかと思ったが、文脈からするとスイリアのことだろう。
「いや、ただの偶然、成り行きで一緒になっただけだ」
「本当かにゃー?」
ミアの猫耳が疑わしげに左右に動く。
「嘘を言っても仕方ないだろう、娘にしては大きすぎるしな」
そう言うと、ミアの瞳が細くなり、まるで獲物を狙う猫のような鋭さを帯びた。
「ふーん、みだらな関係ではないのかにゃ?」
俺は思わず咳き込んだ。
「ふん、流石に年齢が離れすぎだ」
「本当かにゃー?」
「本当だ。嘘を言っても、ってこのやり取り、さっきもしたよな。疑いすぎだ」
これ以上ないほど真面目な顔で答える俺に、ミアはようやく納得したのか、少し表情を緩めた。
「まぁいいですにゃ。とにかく!」
そういうと、ミアは俺をにらみつけてビシッと指を突き立てた。その仕草があまりにも幼くて可愛らしく、俺は思わず微笑みそうになるのを堪えた。
「スイリア様には手を出さないでほしいにゃ!」
「人を指さすなと学校の先生から習わなかったか」
無意識に軍隊式の冷静な返しをしてしまった俺に、ミアはもっと怒った顔をした。
「話を逸らすにゃ!」
「わかったわかった、生憎つい昨日あった人に惚れるほど惚れっぽくはない」
俺のなにげない言葉に、ミアの表情が一変した。猫耳がピンと立ち、尻尾が逆立つ。
「な、なにぃ!? スイリア様に惚れないとはどういうことにゃ!!」
今度は完全に逆の方向から詰め寄ってくるミアに、俺は呆気にとられた。
「え? だって、さっきはスイリアに手を出すなって——」
「スイリア様は誰もが憧れる存在ですにゃ! 美しくて優しくて、そして強くて……スイリア様のどこが気に入らないというんですか!?」
ミアの目が爛々と輝き、両手を胸の前で握りしめて熱弁を振るう姿に、俺は完全に言葉を失った。
「いや、気に入らないわけじゃないが……」
「気に入ってるんですか!? やっぱりスイリア様を狙ってるんですにゃ!?」
ミアの態度が180度変わり、今度は嫉妬に満ちた目で睨みつけてくる。その矛盾した言動に、俺は頭を抱えたくなった。
「もういい、どっちなんだよ……」
俺の呟きに、ミアは再び表情を変え、少し恥ずかしそうに猫耳を震わせた。
「だ、だって……スイリア様は特別な方なんです。誰も傷つけてほしくないし、誰にも特別に思ってほしくないけど、かといって誰も惚れないなんて許せないし……あぁもう! 複雑なんですにゃ!」
俺は思わず苦笑した。ミアのスイリアへの複雑な感情は、まるで幼い子供が大好きな人に対して持つような、純粋で一途な気持ちなのだろう。その気持ちがあまりに強すぎて、論理的な整合性なんて考える余地がないのだ。
「わかったよ。つまり、お前はスイリアのことが大切なんだな」
ミアは赤くなった顔を俯け、小さく頷いた。
「はい……スイリア様は私の全てです……」
その小さな告白に、俺は思わず微笑んだ。主君を思う臣下の忠誠心——それは、かつて俺が軍人として抱いていた気持ちと同質のものだ。
「安心しろ。俺はスイリアを大切にするし、傷つけたりもしない。約束する」
俺の言葉に、ミアは少し安心したように肩の力を抜いた。
「ほ、本当ですか……?」
「ああ、軍人の誓いだ」
そう答えると、ミアの表情が柔らかくなった。彼女の猫耳がリラックスして少し下がり、尻尾がゆっくりと左右に揺れる。どうやって機嫌が良くなったことがわかるのだろう。
「その……ありがとうございます、にゃ」
ミアの素直な言葉に、俺は少し気恥ずかしくなった。
「良いんだ。それより、買い物を済ませよう」
ミアの案内で、俺たちは良質な寝袋や携帯食料、山歩きに適した靴などを購入した。
彼女の的確な指示と値切りの技術に感心しつつ、俺も軍人としての経験から必要なものを選んでいった。
買い物を終えた頃には、ミアの警戒心も少し解けたようで、会話もぎこちなさが減っていた。
そんなこんなで、買い物を終え、いよいよまずはショワルの村へ旅立つことになった。
陽菜の容態も安定し、スイリアの指示のもと出発の準備が整う。
俺の胸に、新たな冒険への期待と緊張が入り混じる感覚が広がっていった。
(天狗の冷泉か……この異世界でも日本の伝承が存在するとは興味深いな)
そんなことを考えながら、俺は荷物を肩にかけ、仲間たちと共に新たな旅路へと踏み出す準備を始めた。
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