第17話 「お嬢様と猫耳メイド」
朝方から診療所で過ごしていたが、どうも落ち着かない。
昨夜、陽菜が高熱に見舞われた。
どうやら冒険の途中でアカブトマガスという怪物に遭遇した際の毒が原因らしい。
地元の医師、いやハーフエルフの医師スイリアの世話になり、この診療所に泊まることになったのだ。
「もしこの世界にも軍医みたいな制度があれば…」
そんなことを考えながら居間で待っていると、廊下から軽快な足音が聞こえてきた。誰かが走ってくる。
「おはようございます! スイリア様!」
元気な声とともに、居間に躍り込んできたのは、驚くべきことに猫の耳をした少女だった。
小さな体に似合わぬ凛としたメイド服。白と黒を基調とした装いが、彼女の若さを際立たせる。
だが何より目を引いたのは、頭上でぴくぴくと動く猫耳と、背後でゆらゆらと揺れる尻尾だった。
「おや、朝から客人ですか?」
少女は弾むような声で言ったが、俺の存在に気づいた瞬間、その表情が一変した。
「ぴっ!」
鋭い悲鳴を上げると、まるで本物の猫のように素早く後退。ドアの陰から半分だけ顔を出し、
「フーッ!!」と威嚇する姿は、人間というより完全に猫そのものだった。
「……」
俺は思わず言葉を失った。この世界には獣人のような存在もいるのか?
それとも単なるコスプレなのか? どう反応すればいいものか、一瞬途方に暮れた。
スイリアはそんな奇妙な光景を見ても、まったく動じる様子もなく、微笑みながら少女に声をかけた。
「ミア、こちらは旅のお方でアシナさんという方よ。連れの方が病気になられたので、うちに泊まってもらっているの。不審者じゃないから大丈夫よ」
「不審者じゃない」と言われても、なんだか複雑な気分だ。そんな風に見えるのか?
ミアと呼ばれた猫耳の少女は、びくりと反応し、ちらちらとこちらを窺いながら、少しずつ部屋に戻ってきた。
その動きは警戒心に満ちていて、やはり猫そのものだった。
「そ、そうなのですか。これは失礼いたしました」
彼女は僅かに前かがみになって、丁寧に頭を下げた。
「こちらでメイド兼医者見習いをさせていただいておりますミアと申します」
硬い挨拶とは裏腹に、猫耳はまだぴくぴくと動いていて、明らかに緊張しているのが見て取れた。
「芦名定道だ。よろしく頼む」
俺もできるだけ柔らかい表情で返したつもりだが、どうやら効果は薄かったようだ。相変わらず警戒した目で見られている。何かまずいことでもしたのだろうか?
二人のぎこちない挨拶を見守っていたスイリアは、満足げに微笑み、その場の空気を和らげるように話し始めた。
「さて、ミアも来たことだし、出かける準備をしましょうか」
彼女は窓際へ歩み寄り、カーテンを開けた。朝の柔らかな日差しが室内に溢れ、スイリアの銀色の髪を美しく照らしていた。
「ミア、こちらに患者さんがいるのだけど、ちょっと私はこのアシナさんと出かける用事があるから、看病と留守番をお願いね」
その言葉に、ミアの猫耳が驚いたように立ち上がった。大きく見開いた瞳には明らかな動揺が浮かんでいる。
「えっ、その輩…ゴホンゴホン、アシナ様とお出かけになるのですか? 一体どういう用事で…? 危険です!!」
思わず「輩」と呼ばれそうになったことに苦笑してしまう。
どうやら俺は本当に怪しく見えるらしい。
もしかして軍服姿がこの世界では奇異に映るのだろうか。
スイリアはそんなミアの反応にも全く動じることなく、穏やかな笑顔を保ったまま、昨日のいきさつを丁寧に説明した。
陽菜の高熱の原因と、治療に必要な水を取りに行く必要があること。俺が護衛を務めることなど、簡潔明瞭に話す様子は、さすがに医師としての説明慣れしているようだった。
説明を聞いたミアの表情は、次第に心配へと変わっていった。
彼女の尻尾がゆっくりと左右に揺れている。どうやらそれは不安の表れなのかもしれない。
「そ、それならば、私に命じてくだされば、わざわざスイリア様が御自ら行くことはないのではないでしょうか」
彼女の声は震えていた。
「スイリア様にもしものことがあったら私は…」
その言葉を最後まで言えず、ミアは泣きそうな顔になった。
猫耳もぺたんと伏せられ、悲しげな表情が何とも愛らしい。彼女のスイリアへの忠誠心は相当なものらしい。
スイリアはそんなミアの頭を優しく撫でながら、まるで子供をあやすように言った。
「いいえ、今回の件は私が自らあたります。なぜなら、私にはこの地域一帯を安全に守る義務があるからです」
「それに、精霊魔法も定期的に使っていないとだんだん精霊たちが離れていってしまってよくないですしね。大丈夫、私の強さは貴女もよくしっているでしょう?」
ミアは複雑な表情で、しばらく逡巡していたが、最終的に諦めたように深々と頭を下げた。
「わかりました。では、患者様とこの診療所の留守はお任せください」
「スイリア様、くれぐれもお気をつけて。もしものことがあれば、精霊を通じて教えてくださいね。加勢に参りますので」
彼女のスイリアに対する心配りは、単なる主従関係を超えた深い絆を感じさせた。きっと二人の間には、長い付き合いがあるのだろう。
そして、ミアがスイリアの側に寄り、耳打ちを始めた。
彼女たちは俺に聞こえないよう、声を潜めていたが、軍人として鍛えられた俺の聴覚は、彼女たちの会話を捉えていた。
「スイリア様、くれぐれもご油断なきよう。どうしてもだめな場合は、お父上にご報告の上、王都から軍
勢も呼びますからね」
お父上? 王都? 軍勢? 思わず身を乗り出しそうになる。
どうやらスイリアは単なる医師ではなく、高貴な身分の出の様子だ。
彼女の気品ある振る舞いや優雅な物腰が、ただの生まれながらの作法ではなく、本物の育ちの良さである理由がようやく理解できた。
「もう、ミアは心配性なんだから。大丈夫、そんなに大事にはならないわ。この芦名という男も結構強いみたいだから、心配ないわ」
スイリアがそう返すと、ミアはさらに俺を疑わしげな目で見た。
その視線には「男」という生き物への根本的な不信感が宿っているようだった。
「どうしてこの男が強いとわかるのですか? 確かに顔はいかついので、強そうには見えますが…、スイリア様を守れるくらいの能力を持っているのですか?」
いかつい顔…か。それは自分でも認めざるを得ないな。軍での厳しい訓練や数々の戦場での経験が、俺の顔に刻まれているのだろう。思わず口元が歪んだ。
「大丈夫、その辺は昨日の夜に精霊を通して色々と調べたから抜かりないわ」
精霊を通して? そういえば昨夜、なんだか部屋の中で小さな光のようなものが動いていたような気がしたが、あれが精霊だったのか。知らぬ間に調査されていたとは、警戒心が足りなかったな。
「スイリア様がそこまでいうなら、まぁよしとしましょう」
ようやく納得したミアは、内緒話を終えると、突然俺の前に立ち、小さな体で精一杯の威厳を持って言った。
「芦名様、スイリア様をくれぐれもよろしくお願いいたします。こんな上品に見えて、意外と無茶したりもするので、どうか守ってあげてくださいませ」
彼女はメイドらしく恭しく頭を下げたが、その言葉には「もし何かあったら許さないわよ」という無言の圧力が込められていた。
こんな小さな少女にプレッシャーを感じるとは、我ながら情けない。しかし彼女の真剣な眼差しと、スイリアへの深い愛情は間違いなく本物だった。
「わかった。こちらも連れが厄介になるが、我々が帰るまで看護をよろしく頼む」
俺も深々と頭を下げた。相手がどんな存在であれ、誠意ある態度で接するのは軍人として当然のことだ。
ミアは少し驚いたように目を見開き、すぐに柔らかな表情へと変わった。どうやら俺の礼儀正しい対応が、少しは彼女の心証を良くしたようだ。
ミアと俺の様子を見ていたスイリアは、満足げな笑顔で言った。
「それじゃ、作戦会議でもしましょうか」
彼女は本棚から古い地図を取り出し、テーブルに広げた。陽日を浴びて光る羊皮紙には、見覚えのある地形が精緻に描かれている。俺は自然と軍人の目で地図を分析し始めていた。
ここからの旅は、思いのほか厳しいものになるかもしれない。だが、陽菜を救うためなら、どんな困難も乗り越えねばならない。そして、スイリアの正体という新たな謎も、今の俺の心を強く惹きつけていた。
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