第16話 ハーフエルフとの朝食
目を覚ますと、鳥のさえずりが聞こえた。
低く垂れ込める雲の間から、うっすらと朝日が顔をのぞかせている。
離れの窓からは、朝もやに包まれた山々が見える。不思議なものだ。
昨日までは太平洋の荒波に揉まれ、死と隣り合わせの毎日を送っていたというのに。
「起きるか」
俺は半分独り言のようにつぶやき、丁寧に着替えを済ませた。駆逐艦の艦長だった頃の習慣は、こんな異世界に来ても簡単には消えない。
「よし、行くか」
身支度を整えた俺は、本邸に向かって歩きだした。
昨日お世話になったスイリアという女性は診療所を営みながら俺を保護してくれた。
木造の本邸に到着すると、軽くドアをノックした。
「ごめんください! 芦名です!」
俺が声をかけると、奥から透き通るような声が返ってきた。
「お入りくださいませ~」
その声に導かれ、引き戸を開けて居間へと足を踏み入れる。
昨日とは違い、スイリアは動きやすそうな冒険用の衣装に身を包んでいた。
緑を基調としたその服は、彼女の銀紫色の髪を一層引き立てていた。
「おはようございます、芦名殿。さあ、お座りになってください。ハーブティーはいかがでしょうか?」
彼女は優雅にお茶を啜りながら、微笑みかけてきた。その姿に、一瞬、旧知の貴族の令嬢を思い出した。
「そうだな、せっかくだしいただこうか」
「では、少々お待ちくださいね」
そう言うと、スイリアはキッチンへ向かい、お湯を沸かし始めた。
待っている間、俺は部屋を見渡してみた。
素朴な家ではあるが、所々に高価な調度品が置かれている。床に敷かれた絨毯は、この村では珍しい高級品だろう。
壁に飾られた絵画も、素人目に見ても相当な腕前の画家によるものだ。
「やはり、ただの村の医師ではないな……」
無意識に呟いた俺の声は、きっと彼女の耳には届いていないだろう。
しかし、この家の持ち主についての疑問は膨らむばかりだった。
もし高貴な身分なら、なぜこんな辺境の村で? しかも使用人もなく一人で暮らしているのは不自然だ。
やがて、スイリアは薫り高いハーブティーとちょっとした朝食をトレイに載せて戻ってきた。
小さなパンと、蜂蜜、それに果物のジャムが添えられている。
そういえば、昨日も気づいたが、この世界の食事は俺たちの世界とさほど変わらないようだ。
「どうぞ、お召し上がりくださいませ」
「ありがとう」
俺がパンに手を伸ばそうとした時、スイリアはふっと優しい笑顔を浮かべた。
「部屋をずいぶん熱心にご覧になっていたようですわね、何かお気づきになられましたか?」
その一言に、俺は内心慌てた。軍人の観察眼で部屋を分析していたことがバレたようだ。二十代半ばの俺には、既に長年の軍務で培った観察力が備わっていた。
「あいや、すまん、わかってしまったか」
俺は後頭部をぼりぼりと掻きながら、ごまかすように笑った。
「構いませんわ。私、精霊様のおかげで自分の近くのものはある程度見なくとも感じることができるのです。もちろん、目よりは正確ではございませんけれど、なんとなくの雰囲気はわかるのですわ」
スイリアは穏やかな口調で言った。彼女の声には不思議と癒やされる効果があるようだ。
「精霊? これが異世界の力というものか……」
俺は興味深く思いながら、ハーブティーを一口すすった。その香りは鼻腔をくすぐり、心を落ち着かせる。同時に、ちらちらとスイリアを観察した。
銀にすこし紫がかった彼女の髪は、月光を閉じ込めたかのように輝いている。
その髪は、老いたわけでもないのに紫がかった銀色で、瑞々しくまっすぐに伸びている。
顔立ちは小柄で整っており、知的な印象を与える眼鏡をかけていた。
そして何より目を引くのは、その尖った耳だった。
「あらあら、今度は私をご覧になっているのですね。どうぞ、存分にご覧くださいませ」
スイリアのからかうような声に、思わず顔が熱くなるのを感じた。日本海軍の訓練ではこんな対応は想定外だ。
「あ、いや、失礼した。つい何でも分析してしまう性格でね。気を悪くしないでほしい」
俺は慌てて謝った。
スイリアは小さく微笑むと、髪をかき上げて、尖った耳をわざと見せるようにした。
「この耳、気になりましたでしょう? そうですわよね、ハーフエルフは珍しいのですもの。外では耳を隠す魔法を使っておりますので、普段はお見せしておりませんわ。今朝はうっかりしておりましたの」
そう言って、いたずらっ子のように舌を出して見せた。その仕草に、厳格な軍人生活を送ってきた俺の心が、少しだけ和らいだ。
「ハーフエルフとは、なんだ?」
俺は聞きなれない言葉に、素直な疑問を投げかけた。
「ハーフエルフというのは、エルフの親と人間の親から生まれたハーフでございますわ。私の場合は、父が人間、母がエルフなのですの。エルフは基本的に人間とかかわりをあまり持たず、森の奥で暮らしていることが多いので、ハーフエルフも必然的に珍しいというわけでございますわ」
彼女の説明は明快だった。しかし、俺にとってはどれもが新鮮な情報だ。
「なるほどな、この世界はわからないことだらけだな」
気を抜いて呟いた言葉に、スイリアの表情が一変した。その瞳が鋭く俺を見据える。
「この世界ではとはどういう意味でしょうか?」
その質問に、俺の背筋に冷たいものが走った。しまった。うっかり本音を漏らしてしまった。どう言い訳しようか、言葉を探していた次の瞬間――
「おはようございます! スイリア様!」
突如として、元気な声が家中に響き渡った。玄関のドアが勢いよく開けられる音がして、誰かが入ってきたようだ。
その声の主は誰なのか。
そして、俺の正体について、スイリアはどこまで疑っているのか――。そんな疑問が頭をめぐる中、俺は来客の方向へと視線を向けた。
いかがでしたか? 芦名の「この世界では」という言葉に敏感に反応するスイリア。
彼女はすでに芦名の正体に気づいているのでしょうか? そして突然現れた来客の正体は? 次回もお楽しみに!
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