第14話 豊穣祭に現れし魔物
「つ、ついた~! もうへとへとぉ~~!」
陽菜の悲鳴のような声が、疲労で重くなった俺の耳に響いた。歩くこと六時間、ようやくタジマティアの村に到着したところだった。
「大丈夫か?」
俺が尋ねると、陽菜は膝に手をつき、大げさに息を吐き出している。額からは汗が流れ落ち、髪は少々乱れていたが、何故か目だけは輝いていた。
俺自身は海軍の訓練で鍛えられた体のおかげか、まだそれほど疲労は感じない。額に浮かぶ汗を拭いながら、陽菜の様子を見守った。
「うん、でも見てくださいよ! 何かお祭りみたいな雰囲気ですよ!」
そう言うと、陽菜は疲れも忘れたように急に元気になり、ピョンピョンと飛び跳ねた。その瞳には少女のような純粋な好奇心が宿っていた。
疲れたと思ったら、今度は嬉しそうにしている。忙しい子だと自然と俺の口角が上がった。
確かに、村の規模から考えると、中心部は異様に活気づいている。通りには色とりどりの露店が並び、香ばしい食べ物の匂いが風に乗って漂ってきた。
いくつかの屋台からは笑い声が聞こえ、子供たちが走り回る姿も見える。まるで戦前の日本の夏祭りのようだ。
「確かに……何か催し物でもやっているのか?」
俺は腕を組みながら周囲を見渡した。このような賑わいには何か理由があるはずだ。近くを通りかかった若い男を見つけ、声をかけることにした。
「すまない、今日は何か特別な日なのか?」
若い男は俺たちの見慣れぬ服装に一瞬驚いたようだったが、すぐに朗らかな笑顔を浮かべて答えてくれた。
「おぅ、今日はタジマティアの豊穣祭だべ。村の収穫を祝って、豊作と災厄の鎮めを祈る大事な祭りだなし」
男の話し方に少し懐かしさを覚えた。南方の島々を転戦していた身には、こういった素朴な田舎の訛りが妙に心に沁みる。
陽菜は男の言葉を聞き、目を輝かせながら俺に小声で囁いた。
「会津弁だ…。こごも会津弁さしゃべってんのかな?」
どうやら彼女も親しみを感じているようだ。郷愁というものだろうか。
「なるほどな。どんなことをするんだ?」
俺は男に更に尋ねた。祭りの内容を知っておくことは、この村の文化や慣習を理解する上で重要だと思ったからだ。
「中央広場さ、でっけぇ『奉納やぐら』が組まれて、収穫した作物を奉納すんだ。んでもって、大屋台やら山車が引き回されっから、村じゅう賑やかになんだよ」
男は自慢げに説明してくれた。この村の人々にとって、この祭りがどれほど大切なものかが伝わってくる。
男の説明を聞いた陽菜の目がキラキラと輝き始めた。まるで宝石のような瞳には、純粋な喜びが満ちていた。
「すごい! 屋台も出てるし、すっごく楽しそう!」
「おめぇさんも、娘っ子とめいっぱい楽しんでいがんしょ!」
そう言い残して、男は人混みの中へと消えていった。
陽菜はニヤニヤしながら、俺の袖を引っ張った。
「あたしがさだっちの娘だって~! まぁ、さだっちいっつも気難しい顔をしているから? そんなこと言われちゃうんでしょうねぇ!」
「ああ、あの娘っ子というのは、娘という意味だったのか。」
俺の胸の内では、「さだっち」というあだ名に少し違和感があったが、陽菜の無邪気ないたずらっぽい表情に、つい口元が緩んでしまう。
しかし軍人の意地というものもある。
「ふっ、確かに私はいかついのかもしれない。だが、軍人にとってそれは誉め言葉だ。威厳がなくては部下に示しが付かんからな。お嬢さんこそ、子供っぽいから小学生くらいに間違われたのではないか?」
いささか意地悪な反撃だったかもしれないが、ここは一本取り返さねばと思った。
案の定、陽菜は顔を真っ赤にして、両手を腰に当ててプリプリと怒り出した。
「む~! それちょっと気にしているんだから、言っちゃだめですよ! この17歳のムチムチなナイスバディな女子高生にそんなこと言ったらだめなんだよぉ!!」
彼女の反応はあまりにも率直で、その素直さに少し微笑ましさを感じた。しかし、ここでひるむわけにはいかない。
「ムチムチとは、その大根のように太い足のことか?」
俺は彼女の脚をまじまじと見た。実際は決して太くはないのだが、からかう絶好の機会だった。
陽菜は慌てて屈み、バッとスカートで脚を隠した。顔は茹でダコのように真っ赤になっている。
「さ、さだっち、それ女子に言っちゃいけねーやつだべ! セクハラ!! アウトだよ!!! 発言には気をつげねど、捕まるんだから!」
どうやら動揺したようで、彼女の会津弁が全開になっていた。その素直すぎる反応に、思わず鼻を鳴らして笑ってしまう。
「ふん、先にやってきたのはそっちだろ。おっ、あっちの奉納やぐらにちょっと行ってみようかな」
俺は余裕の表情を作り、奉納やぐらの方へと足を向けた。背後から慌てた足音が聞こえる。
「あ、ちょっとまってくださいよぉ!!」
振り返ると、陽菜が小走りで追いかけてきていた。その姿がどこか子犬のようで愛らしく、つい目を細めてしまった。
中央広場に着くと、そこでは既に奉納の儀式が始まっていた。村人たちが丹精込めて育てたと思われる色とりどりの作物を供えている。大きなカブに瑞々しいトマト、青々としたアスパラガスなど、実に見事な農作物の数々だ。
祭壇を囲む村人たちの表情には、誇りと感謝の念が溢れていた。きっと彼らにとって、この儀式は単なる風習ではなく、自然への敬意と共同体の結束を再確認する大切な時間なのだろう。
しかし、その穏やかな光景は長くは続かなかった。
突如として、祭壇に供えられた野菜たちが不気味に震え始め、赤黒い霧が辺りを覆い始めたのだ。
「な、なんだ?」
咄嗟に俺は軍刀の柄を握りしめ、周囲を警戒した。霧の匂いは硫黄と腐敗物が混ざったような不快な臭気を放っている。
「フハハハハ! 人間どもよ、貴様らを料理してやるぞ!」
霧の中心から現れたのは、見たこともない化け物だった。巨大な赤カブの胴体に、邪悪な笑みを浮かべたトマトの頭部を持つ怪物――。後に「アカブトマガス」と呼ばれる魔物だ。
身長は優に三メートルはあり、その体からは邪悪な気配が漂っていた。村人たちは恐怖に包まれ、悲鳴を上げながら逃げ惑う。
「な、なんだあれは!」
陽菜の声が震えていた。彼女の顔は青ざめ、恐怖で固まっているようだ。
「受けよ、血濡れの紅弾!」
怪物は頭からトマトをむしり取り、それを次々と村人たちに向かって投げつけた。一見滑稽にも思えるその攻撃だが、トマトは空中で炸裂し、粘つく酸性の汁が村人たちを襲う。その汁に触れた村人たちは、焼けるような刺激に苦しんでいた。
「陽菜、ここから離れるぞ!」
俺は陽菜の手を引いて後退しようとしたが、その矢先、飛んできたトマトの破片が彼女に直撃した。
「うわっ、酸っぱい! 目が……目が痛い!」
トマトの酸味で咳き込み、陽菜は涙目になりながら俺の腕を掴んだ。その手の震えから、相当の痛みを感じていることが伝わってきた。
「深呼吸しろ! 大丈夫だ、必ず守る!」
俺は陽菜を背後に庇いながら、軍刀を抜いた。
しかし、地面から突如として鋭く伸び上がったアスパラガスが俺の剣を弾いた。驚くほどの硬度と反発力だ。
「くっ、この再生速度……斬ってもキリがない!」
焦燥感が背中を駆け上がる。通常の戦法では太刀打ちできないと直感した。
アカブトマガスは不気味な笑みを浮かべながら、さらに攻撃の手を緩めない。
「終わりだ、腐食の呪濁息!」
怪物は口から酸臭漂う毒霧を吐き出した。その霧に触れた地面や建物が、じわじわと蝕まれていく。もはや一刻の猶予もない。
「もう……無理……」
背後で陽菜の声が弱々しく聞こえ、振り返ると彼女は意識を失いかけて地面に崩れ落ちていた。
顔色は蒼白で、明らかに毒の影響を受けている。
「撤退だ! ここを離れるぞ!」
俺は迷わず陽菜を抱き上げ、全力で走り出した。彼女の体は予想以上に軽く、呼吸は浅くなっている。毒が回る前に、安全な場所へ連れて行かなければ。
背後からはアカブトマガスの高笑いが響いてきた。
「フハハハハ! また会おうぞ、人間ども!」
怪物は勝ち誇ったように笑い、闇の中へと消えていった。あれは何だったのか。この異世界の危険な存在であることは間違いない。
ようやく安全そうな場所まで逃げ延び、俺は息を切らしながら陽菜を地面に静かに横たえた。彼女の額に手を当てると、少し熱っぽい。明らかに異常な状態だ。
「まさか……こんな怪物に……」
俺は苦い思いで唇を噛んだ。南方の島々で戦った経験は豊富にあるが、こんな非現実的な敵との戦いは初めてだった。
通常の戦術が通用しないこの世界での戦い方を、早急に確立しなければならない。
それにしても、陽菜の容態が心配だ。毒を中和する方法を探さなければ。かつての部下たちのように、彼女をこんな場所で失うわけにはいかない。
「陽菜、必ず助けるからな。絶対に見捨てたりしない」
俺は小さく、しかし強い決意を込めて呟いた。陽菜の顔には苦しげな表情が浮かんでいたが、それでも彼女の息は規則正しく続いていた。とりあえず命に別状はなさそうだ。
しかし、このままでは状況は好転しない。医者を探すか、薬草を見つけるか——。いずれにせよ、行動を起こす必要がある。
俺は重く沈んだ心を奮い立たせ、次なる一手を考え始めていた——。
祭りの喧騒が静まり、村には重苦しい静寂だけが残っていた。
いかがでしたか? アカブトマガスの登場、ちょっとインパクトあったと思います!
この世界の魔物は普通じゃないですね...。
次回は、陽菜の治療と村の平和を取り戻すため、芦名がどんな活躍を見せるのか!? お楽しみに!
コメントやブックマーク、評価など頂けると励みになります。皆さんの反応が物語の原動力です!
それでは次回もよろしくお願いします!