第11話 ネ申オリエンテーション
「それで? 我々は世界を救うために具体的にどう動けばいいんだ?」
俺は改めて状況を整理するように、一呼吸おいてからネ申に問いかけた。なるべく冷静に対処しようと努めたが、内心では怒りと不安が渦巻いていた。
ネ申は少しの間考える素振りを見せたが、やがて明るく無責任な笑顔を見せて口を開いた。
「それはですねぇ……まあ好きにやればいいんじゃないですかね? 基本は行き当たりばったりってことで、よろぴくです☆彡」
その瞬間、俺の表情が凍りついた。
胸に過去の戦場で何人もの部下を失った苦い記憶と、それに対する責任感が強く蘇る。行き当たりばったりなど、軍人として最も忌むべき計画不足だ。
怒りが抑えられず、刀がかちりと音を立てて鞘から僅かに浮いた。
「貴様、真面目にやらないとぶった斬るぞ」
俺の背後には怒気を帯びた重い空気が満ち、部屋の空気が一瞬で張り詰めた。思わず刀の鯉口をカチリと切ってしまう。
神とはいえ、こんな無責任な言動は許せない。
その迫力に圧倒され、ネ申は慌てふためいて床に飛び降り、見事なスライディング土下座を決めた。
「はっ、はいぃぃぃ! 申し訳ありませんでした! 私も初めてで色々不慣れでして、本当に許してください!」
陽菜はその無駄に高度な土下座を目にし、苦笑いを浮かべた。
彼女の表情からは「なんでこんな技術だけ無駄に高いんだろう……」という思いが伝わってきた。
ネ申は冷や汗を拭いながら、今度こそ真面目な口調で語り始めた。
「この世界にはいくつかの強大な国家があり、長年に渡り戦争や対立を繰り返しています。その結果、民衆は争いに巻き込まれ疲弊しきっています。お二人には、そんな民衆を救うため、世界に平和をもたらしていただきたいのです」
そう言いながらネ申が地図を示すと、俺は思わず目を見開いた。陽菜も同じように驚いた表情を浮かべていた。
「これは……北日本に酷似しているな」
俺が地図を見て呟くと、ネ申が得意げに続けた。
「そうなんです。この世界は不思議な因果で北日本にそっくりです。あなた方が召喚されたのも、この地域の地理に詳しいことが理由の一つですよ」
陽菜が感慨深げに画面を覗き込んだ。
「会津若松は?」
ネ申はすぐに航空写真のような映像を映し出した。
「わぁ、本当に若松だ……」
画面を見て陽菜の目が輝いたが、その輝きはすぐに寂しげな色に変わった。元の世界での日常や家族、友人たちの姿が脳裏をよぎっているのだろう。彼女の表情から深い郷愁と切なさが伝わってきた。
「異世界なのに地元があるって、なんだか不思議だな……」
陽菜は複雑な感情を胸に、小さく呟いた。
ネ申は説明を続けた。
「あなた方が召喚されたのは、会津藩横川関所跡に相当する場所です。会津藩の南の入り口からって、スタート地点にぴったりですよね? 吾輩ってばセンスいい♪ まずはここから北上してタジマティアという街を目指してください。あなた方の世界でいう南会津町の中心地、旧会津田島町に相当します」
陽菜は不満げに口を挟んだ。
「そんな重要な使命なら、最初から王族とか貴族に転生させてくれればよかったのに。異世界転生ものって、普通そういう設定でしょ?」
異世界転生もの? なんだかよくわからない言葉だが、確かに彼女の言うことにも一理ある。こんな重要な使命なら、それなりの地位と権力を持った者として送り込むべきではないか。
ネ申は困ったように首を横に振った。
「それはちょっと……。私が許可されているのは人材を派遣し、必要な能力を授けるところまででして、直接世界の情勢に干渉する権限はないのです……」
「まぁ、それじゃ仕方ないか」と陽菜は肩をすくめた。
どうやら彼女も状況を受け入れつつあるようだ。俺もそろそろ実際的な話に移りたかった。
「必要な能力とは何だ?」
ネ申は「あ、そうでした☆彡」と笑いながら俺の刀を指差した。
すると刀が紫色の不思議な光を放ち始めた。
その光景に、俺は思わず目を見張った。
「あなたには、その刀に魔法が宿ります。成長とともに多彩な魔法技を使えるようになります」
俺は刀を引き抜いた。その瞬間、体全体を力が巡るような感覚に包まれた。身体能力が俄然高まり、刀身からは淡い紫色の光が漏れ出している。
「なるほど、狼と戦った時の妙な感覚はこれだったのか……」
あの時の俺は、普段なら考えられないような速さで動けていた。それは単なる集中力でなく、実際に能力が強化されていたのだろう。
陽菜がぽつりと呟いた。
「なんかゲームみたいね」
「ま、そんな感じですね☆彡」とネ申は軽く流し、
次に陽菜を指差した。すると陽菜の手が柔らかな緑色の光に包まれた。
「えっ!? なにこれ?」
陽菜は突然の現象に驚きと戸惑いを隠せない様子だった。その瞳には未知の力を得ることへの期待と不安が交錯していた。
「あなたには対象の能力を引き上げる魔法を授けました。あなた自身や仲間を強化できますよ」
俺と陽菜の能力は、相互に補完し合えるものになっているようだ。俺が前線で戦い、陽菜が後方から支援する――典型的な戦術的役割分担だ。
さらにネ申は続けた。
「地図や情報は視界に表示され、収納魔法で持ち物も便利に管理できます」
「異世界とは実に便利だな」
思わずそう漏らしてしまった。これまで体験したことのない世界の仕組みに、軍人としての好奇心が刺激された。
しかしネ申は真剣な表情で警告した。
「ただしこの世界の治安や倫理観はあなた方の世界よりかなり劣っています。盗賊や魔物が存在し、危険が多いので注意してください」
その言葉を聞いた陽菜の表情が急に曇った。
「異世界って本当に世紀末じゃん……私なんて運動音痴だし、魔物とか盗賊に襲われたら絶対無理……生きて帰れる気がしないよ……」
彼女は具体的な恐怖を思い描きながら震えていた。俺は彼女を励ましたくなったが、まだ具体的な対策を持ち合わせていなかった。
最後に俺は疑問を口にした。
「必要な時にお前を呼べるのか?」
ネ申は申し訳なさそうに苦笑いした。
「残念ながらそれはできません。必要な時はこちらから現れますので、自力で何とかしてくださいね……」
「全く使えない神だな……」
思わず苛立ちを吐き捨ててしまった。ネ申は微妙に悔しそうに頬を膨らませたが、すぐに明るく告げた。
「それでは、異世界冒険のはじまりです! まずはタジマティアを目指して情報収集し、状況把握と今後の方針を立てることをお勧めします! 頑張ってくださいね☆彡」
そう言うと、ネ申の姿は光と共に消えてしまった。
残された俺と陽菜は、しばらく呆然としていた。やがて陽菜が小さな声で言った。
「……北って、どっちですか?」
俺は思わず苦笑した。
「俺はこれでも海軍士官だ。方角くらいわかる。太陽の位置からして、あっちだ」
俺が指差した方向に、陽菜はおっかなびっくりと一歩を踏み出した。
「まあ、海軍少佐と女子高生のコンビで世界を救う旅が始まるわけね。なんか漫画みたいな展開だけど」
彼女の呟きに、俺は声を出して笑った。
「確かに、非現実的な状況だ。だが、やるしかない。互いに助け合って、なんとか生き残ろう」
陽菜は弱々しくも、ふんっと鼻息を漏らし、拳を作った。
「よーし! 世界を救うなんて無理だと思うけど、せめてこの命が尽きるまでは諦めずに頑張っぺ!!」
その健気な姿に、俺は思わず心を打たれた。そして自分に言い聞かせるように呟いた。
「白雪の艦長として、部下を守り抜けなかった俺に、もう一度チャンスが与えられたってことか……」
二人の長い旅が、今ここから始まった。異世界を救う使命を背負い、絶望的な状況の中で、俺たちは北へ向かって歩き出したのだった。