第1話 海に溶けゆく白雪〜ダンピールの前夜〜
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硝煙と海水が混ざり合った臭いが鼻を突く。目の前には地獄絵図が広がっていた。
俺の名は芦名定道。日本海軍の少佐で、駆逐艦「白雪」の艦長を務めている。
1943年、昭和18年3月3日。南太平洋・ビスマルク海で、俺たちは圧倒的な敵の前に絶望していた。
「艦長! 連合軍機、第二波来ます!」
甲板から響く部下の叫び声に、思わず顔を上げる。
まるで蜂の巣を突いたような敵機の群れが、青空を埋め尽くすように押し寄せてくる。黒い影が太陽の光を遮り、死の予感が背筋を走る。
「くそっ……これが『全滅覚悟』の意味か……」
俺は歯を食いしばりながら呟いた。
黒煙を上げて沈みゆく輸送船、炎に包まれて爆発する僚艦。
上空では無数の敵機が旋回し、まるで死神の大鎌のように次々と仲間たちを刈り取っていく。
海面は油と血で黒く染まり、救命胴衣の黄色い点が浮かんでは消えていく。
これが「戦争」という名の現実だ。
連合軍はのちにこれを「ビスマルク海海戦」と呼ぶだろうが、日本軍は後世この海戦を次のように記すだろう。「ダンピールの悲劇」と。
――
すべては1941年12月8日の真珠湾攻撃から始まった。
当初は連合軍相手に優勢を保っていた日本軍だったが、1942年6月のミッドウェー海戦で空母4隻を失う大敗北を喫してから、戦局は一気に暗転した。
「ミッドウェーさえなければ……」
航海長の古賀が、海図室でつぶやいた言葉が耳に残る。誰もが思っていることだ。
それまでパプアニューギニア島や周辺海域を攻略していた我が軍も、この痛手で作戦は一時的に中断を余儀なくされた。
だが、戦場からはるか彼方、東京の大本営参謀たちは現実を受け入れようとしなかった。せっかく切り取ったこの地を防衛することに固執し、ガダルカナル島へ航空基地を建設して制空権を確保しようと躍起になったのだ。
「そして結果はどうだ? 七か月の死闘の末に島から撤退……」
白雪の甲板で、俺は遠く水平線を睨みながら独り言を漏らした。沈みゆく夕日が海面を赤く染める様が、なんとも不吉に思えた。
――
2月27日の夜、司令部から下された作戦命令。
「第18軍増援のため、陸軍部隊約7000名をニューギニアのラエへ輸送する。貴官らの第三水雷戦隊は、その護衛任務に就け」
【日本からの位置関係】
【予定航路図】
命令書を読み上げる参謀の声に、俺と水雷戦隊参謀長は顔を見合わせた。地図上の航路は片道700キロ。しかも、航空支援はほとんど期待できない。
「この作戦、敵航空戦力によって全滅される恐れがありますが……」
俺が恐る恐る進言すると、上級司令部の作戦参謀は冷たく言い放った。
「命令だ。全滅覚悟でやってもらいたい」
「し、しかし、我々にも部下を守るための責任があります。こんな作戦、受け入れられません。」
言葉が喉から絞り出される。部下たちの顔が次々と脳裏に浮かぶ。
入隊したばかりの伊藤三等兵。
婚約者がいると自慢していた村上二等兵。
大学を中退して志願した秀才の中村少尉。
俺が守るべき命だ。
「今作戦は、既に大本営・陸海軍部の共同作戦として既に決まったことである。よって、実行する以外の選択肢はない。各艦長は速やかに準備にかかられたし。以上だ。」
その瞬間、死刑宣告を受けたような感覚に襲われた。
「こんなのは作戦とは言えない!!!何の策もなく、敵の待ち構える中に丸腰で行って、ただ黙って死ねというようなものだ!!!こんな馬鹿なことあるか!!!!クソッタレが!!」
帰艦途中、俺はつぶやいた。拳を握りしめると、掌に爪が食い込み、痛みが走る。その痛みすら、今の怒りを和らげることはできなかった。
(もし、前線の現実を知らない上層部の命令で、部下たちが死んでいったら…)
胸が締め付けられるような思いに、一瞬息が詰まる。
艦内の自室に戻ると、洗面台の前に立ち、鏡に映る自分の顔を見つめた。疲れた目の下にはクマができ、頬はこけている。明らかに実年齢より老けて見える。
「お前は艦長なんだ。弱音を吐いている場合じゃない」
そう言い聞かせながらも、机の引き出しから取り出した一枚の写真を、つい見つめてしまう。
学生時代の恩師の娘――婚約までは至らなかったが、互いに気持ちを通わせていた女性だ。
「こんな世の中じゃなければ…」
写真の中の彼女は、桜の木の下で笑っている。平和な日々の象徴のような笑顔。
(もし生きて帰れたら…いや、生きて帰るんだ。そして平和になったら、普通の恋をして、普通の家庭を築きたい)
そんな言葉を呟きながらも、命令は命令。海軍軍人として、俺には従うしかなかった。
写真を胸ポケットに仕舞い、再び艦橋へと向かった。
――
2月28日深夜。約7000名の陸軍将兵を乗せた輸送船8隻と護衛駆逐艦8隻が暗い海を出撃した。
俺が艦長を務める白雪は、第三水雷戦隊の司令官・木村昌福少将を乗せる旗艦だ。
指揮官が乗っていることを示す少将旗を誇り高くはためかせながら、僚艦の先頭を行くという重責を担っていた。
「芦名艦長」
艦橋で海図を確認していると、背後から低い声が響いた。振り返ると、木村司令官が立っていた。
身長186センチの大柄な体躯に、柔道7段の腕前。そして、どこから見ても目を引く立派なカイゼル髭――。木村司令官は見た目だけでも威厳に満ちた人物だった。
「司令官、ご体調はいかがですか?」
「ああ、大分良くなった。出撃直前まで寝込んでいて申し訳なかったな」
司令官は豪放磊落な性格に加え、操艦技術も一流の生粋の「水雷屋」として評判だった。
部下から慕われているのも頷ける。
「いえ、こちらこそ白雪を選んでいただき光栄です」
そう言いながらも、なぜ軽巡洋艦ではなく駆逐艦を選んだのか、その真意をうかがい知れない。本来なら軽巡洋艦に乗るはずの司令官が、なぜ白雪を選んだのか――その理由はまだ聞けていなかった。
「白雪は武勲艦だ。この艦なら、どんな苦難も乗り越えられると思っての選択さ。だって君、僕は駆逐艦乗りだよ?」
木村司令官はそう言って、茶目っ気いっぱいに、ウインクした後、窓越しに夜の海を眺めた。
だが、その横顔には、何か決意のようなものが垣間見えた気がした。
「芦名君、今回の命令に関しては、私の力及ばず、巻き込んでしまって済まない。現場の我々にできることは限られているが、一人でも多く生き残るため、共に頑張ろう。」
「はっ、”髭のショーフク”として数々の伝説を作ってきた司令官のご指示ならば、我が艦は全力で協力させていただきます!」
木村司令官も気の毒だ。
木村司令官の水雷戦隊司令官への着任の辞令が出たのは、わずか数週間前だった。
しかも、東京からの移動中に作戦が決まり、作戦前の打合せにも病気で出れなかったことで、何も自分の意見を言えないまま、当日じゃあよろしくと指揮を任されたのだ。
(まったく、なんて組織なんだ…)
心の中でつぶやいていると、司令官が意外な言葉をかけてきた。
「芦名君、君には家族がいるか?」
「いえ、両親と妹が地元にいますが、私自身は…」
言葉を濁すと、司令官は静かに頷いた。
「そうか。私には娘が1人、息子が2人いる」
そこで司令官は懐から小さな写真を取り出した。箱根の十国峠での家族写真だろうか、司令官を中心に、奥さん、それに娘さんと息子さん2人が写っている。
「戦争が終われば、みんなで花見に行く約束をしている」
司令官の目には、普段見せない柔らかな光が宿っていた。
「必ず、連れて行ってあげてください」
俺の言葉に、司令官は微笑んだ。
「ああ、だから生きて帰るよ。君も、何かやりたいことがあるだろう?」
胸ポケットの写真が熱く感じた。
――
3月1日、2日と進む。散発的な空襲はあったが被害は軽微だった。
「こんなに順調に進めるとは……」
奇跡的に船団は予定通り進み、誰もが内心で胸を撫で下ろした。しかし同時に、「このまま無事に行けるはずがない」という不安も消えることはなかった。
「あと一日……一日持てばラエに着ける」
甲板に立ち、眠れぬ夜を過ごす兵たちの間で、その言葉が祈りのように交わされた。
明日で運命が決まる――。
そんな予感と共に、俺たちは3月3日の朝を迎えた。
ちょうど船団が、ダンピール海峡に差し掛かった時のことだった。
「艦長! 敵機、大編隊接近中!」
上空から聞こえてきたのは、まるで地を揺るがすような爆音。数え切れないほどの敵機が太陽の光を反射して銀色に輝きながら、俺たちを目指して降下してきた。
この光景を見た瞬間、俺は直感した。
「これが、俺たちの最後の戦いになるのか……」
不意に、風が俺の頬を撫でていった。
それはまるで誰かの温かい手のようで、どこか懐かしささえ感じた。
(不思議だな、死を目前にして、なぜか安らぎを感じるなんて)
そして、その瞬間、俺の目に映ったのは、一羽の白い鳥が、悠然と青空を舞う姿だった。
「いつか、どこかで、またきっと……」
その言葉が、唐突に心に浮かんだ。
第一話をお読みいただき、ありがとうございます!
評価や感想など、皆様の反応をいただけると今後の執筆の励みになります。
さて、駆逐艦「白雪」と木村昌福司令官は実在した艦と人物です。ただし、本作を書くにあたり、フィクションも混ぜております。木村司令官に関しては、第2話の後書きで詳しく解説する予定です。
この作戦は、「第八十一作戦」と名付けられました。81回目の作戦という意味ではなく、戦史叢書曰く、「八は縁起がよいというので、八十一号作戦と名付けた」(参謀談)とのことです。いわゆるゲン担ぎというやつですね。
ちなみにこのころの作戦名について、陸軍の作戦名は普通に地名をつけているのに対して、海軍は割とゲン担ぎに特化した作戦名ばかりなので、興味があったら調べてみてください。
本文でも書かれている通り、当初から、連合軍による航空攻撃が心配されていました。しかし、大本営はニューギニア方面作戦およびラエ・サラモア地区の得失を非常に重要視しており、「陸海軍あらゆる手段を尽して之を確保すべき」と決意していました。
また、すでにニューギニア島の日本軍が劣勢となっており、兵力の増強が喫緊の課題でした。
そのため、本来であれば、十分な航空偵察や、敵基地への攻撃を行うべきところですが、時間がないということで、準備が不十分なのに見切り発車させられた作戦でした。
また、木村司令官も、2月8日、急な第一線への異動で、はるばる日本本土から駆け付けたものの、すぐに病気になって作戦会議に出られず、本格的な着任は、なんと出航当日になり、実行部隊のトップが作戦を練ることができなかったのも不幸なことでした。
暗雲立ち込めるビスマルク海。
次回、第2話では、芦名たちの戦いの様子を描きます。次回もお見逃しなく。
【引用文献】
【日本からの位置関係】【予定航路図】
全日本海員組合「戦没した船と海員の資料館」HP>「大量の戦没者を出した船団」
http://www.jsu.or.jp/siryo/sunk/tairyou.html
「第八十一号作戦」PDFより引用
http://www.jsu.or.jp/siryo/sunk/pdf/danpiar.pdf