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8夜が明けて

 薄らと、目を開ける。それはノートンのいつもの習慣だった。

 かつて、悪人に捕らわれた際。ノートンは目が覚めたことに気づかれ、逃げそこなってひどい目にあった。

 以来、起床時はノートンにとって最も警戒すべき時間だった。

 軽く周囲を確認する。人影はなし。おかしなだみ声などは聞こえない。牢屋のような場所ではない。目に映る蜘蛛の巣の見える天井は、木造。その気になれば逃げることも――

 そこまで考えたところで、ノートンは怒涛のように流れ込む情報にはっと目を見開いた。記憶の奔流の中、襲撃を受けて、リリスティアが敵に捕まり、負傷して、リリスティアの治療のために気力を振り絞ったことを思い出して。

「……お嬢様!ッ⁉」

 飛び起きるように体を起こす。その瞬間、わき腹が激しく痛んだ。けれど、どうでもいいことだった。痛みというのは、生きている証だ。だから今は、痛みがあるということ以上を気にする必要はない。

 それよりも――慌てて視線をさまよわせた先に、ベッドに上半身を預けて座ったまま眠る少女の姿を捉えて、ノートンは動きを止めた。

「お嬢様?」

 静かな寝息が聞こえた。すぅすぅと落ち着いた呼吸を繰り返すリリスティアは、確かに生きていた。

 ふう、とノートンは小さく息を吐いて。ためらいがちに手を伸ばして、ノートンはリリスティアの髪に触れた。

 かつて、リリスティアが父親に何度もせがんでいた時のように、優しい手つきで、すくように髪を撫でる。

 くすぐったそうに微笑を浮かべたリリスティアが、もっととせがむようにノートンに頭を押し付ける。その髪を、優しく、撫で続ける。

「ご無事で何よりです。それと、危ない目に合わせてしまって申し訳ありません」

 しばらく頭を撫でてから、ノートンはお嬢様になんて不敬なことをしているのかと我に返り、慌ててその手を離した。

 むぅ、とむくれるように小さく頬を膨らませたリリスティアが、眉間にしわを寄せながらうめく。

 小さく、ノックの音が響く。まだ誰も起きていないと思ったからか、あるいはノートンを目覚めさせるべきではないと思ったからか、室内に呼びかけることもなく、ノックの主は扉に手を掛けた。

 扉が静かに開かれていく。

 そっと部屋をのぞいた高齢の女性とノートンの目が合う。大きく目を見開いた彼女は、ありゃ、などと気の抜ける声を上げながらするりと部屋に入ってきた。

「おはようございます、ノートンさん」

「いえ、軽傷ですから。大丈夫ですよ。それよりフィリップ、状況を――」

「ちょっと、まだ起き上がっちゃダメでしょう⁉あれは絶対軽傷なんてものじゃありませんでしたよ⁉」

 ノートンの肩を掴んだ使用人のフィリップは、どこにそんな筋力があるのかと驚くような力でノートンをベッドに横たわらせ、満足げに鼻を鳴らした。

「……それで、今はどのような状況ですか?」

「ん?ああ!もう驚いたのなんの。ずいぶんと遅くにお嬢様が戻ってきたと思ったら、手は血だらけで、泣きべそかいているし。そりゃあもう慌てましたよ!ヒトゲ草の液で手はかぶれているし、小さかったけれど首に傷はあったし、本当に、何事かと思いましたよ」

「ヒトゲ草?あの、根に強い薬効成分のある?」

 ヒトゲ草。それは、そこらに生えている繁殖力旺盛な雑草。その根は周囲の栄養を根こそぎ吸収する質の悪い植物で、ヒトゲ草の繁殖によって森が一つ枯れた、なんて報告もあるほどの植物だ。さらには、その液には強い毒性があり、素手で触れば手がかぶれ、赤子が誤飲すれば死の危険がある。

 だが、ただの有害な雑草というわけではなく、周囲から際限なく栄養を吸い取るヒトゲ草は、その根に驚くほどの薬効を蓄えている。それこそ、致命傷に等しいほどの傷を癒すことだってできる。その根の栄養を守るためにヒトゲ草は毒性のある液体を持っているのではないかとも考えられている。

 そんなヒトゲ草だが、問題点がいくつかある。

 一つは、ヒトゲ草に非常によく似た、さらに毒性の強い、根にも毒をもつ薬草が存在すること。ヒトゲ草の根は毒性こそ弱いものの中毒性と依存性があること。

 そして、中毒性のある成分を除く最も簡単かつ危険な方法が、根を口の中でかみ砕くことだった。皮膚から容易に吸収される中毒成分さえ取り除けば、ヒトゲ草は神秘の回復効果を誇る薬草だった。

 そんな薬草を使用したと聞いて、ノートンは自分の足の上に乗っていたリリスティアの手を見て、小さく安堵の息を吐いた。

「まったく、お嬢様も無茶をするわよねぇ」

「中毒は大丈夫ですよね?まさか、まだ処置をしていないということは――」

「ないから安心しな。ちゃんと薬を飲ませておいたよ。はぁ、あんたは自分が考えなしにヒトゲ草を飲まされたなんて少しも思わないんだね。自分が中毒で臓器がやられている可能性には思い至らなかったのかい?」

 どこか呆れを含んだフィリップの質問を、ノートンは軽く笑い飛ばして見せた。眩しいものを見るようにフィリップが目を細くする。

「まさか。どれほどお嬢様が努力なされてきたか、私はよく知っていますよ。その全てを、一番近くで見てきましたから。お嬢様の処置にミスがあるなどとは考えもしませんよ。そもそも、こうして生きているだけでも御の字ですからね。正直、もう駄目だろうなと思いましたから」

「……はぁ、まったく。あんたは変わらんね。歳をとってようやく落ち着いてきたかと思ったらこれなのよねぇ」

 頬に手を当ててやれやれと溜息を吐くフィリップを見ながら、フィリップこそその歳になっても身振りが変わらず若々しすぎるなどとノートンは思った。思っただけで、怪しく光るフィリップの視線にさらされて、ノートンは何も言わずににこやかに笑って見せた。

 それでいいんだよ、と言うようにフィリップは鼻を鳴らした。それから、からかいめいた笑みを浮かべた。

「まあ、もう一度、今度は顔を合わせてお礼を言ってやりな。ねぇ、リリスティアちゃん」

 ノートンは首が外れそうなほどに勢いよく起き上がる。その視線の先には、ベッドに顔を伏せて恥ずかしさに小さく身もだえするリリスティアの姿があった。

「……どこから起きていらしたのですか?」

 独り言のようなそのつぶやきに、フィリップは「あたしが部屋に入ってきたときにはすでに起きていたよ」と答えた。

 沈黙が満ちる。

 やらないといけないことを思い出したと叫んだフィリップはあわただしい動きで部屋を去っていった。扉から出る際、ノートンに一度ウインクを残してフィリップはばたんと音を立てて扉を閉じた。

 果たして、リリスティアはいつから起きていたのか。まさか頭を撫でていた時からではないだろうなと、ノートンは恐る恐る、うかがうようにリリスティアを見つめた。

 色あせた布団に顔をうずめるリリスティアの表情は見えない。けれどその耳はリンゴのように赤く染まっていた。

「お嬢様?」

「……大丈夫。大丈夫だから、少しだけ待っていなさい」

 その言葉に無言でしたがって、ノートンは何も言うことなく再びベッドに横になった。傷が開いたのか、脇腹がずきずきと痛んだ。

 生きている、証だった。

 鎧窓の間から、日の光が注ぎ込む。その光を受けてわずかに舞い上がったほこりが星屑のように輝いていた。

 生きている――もう一度、噛みしめるように口の中で小さくつぶやけば、安堵から体の力が抜けて、ノートンの意識はゆっくりと闇の中へと落ちていった。

 静かに寝息を立て始めたノートンを、リリスティアは優しげな笑みを浮かべながらじっと見つめていた。

 その姿は、祖父を心配する孫のそれに似ていた。

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