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悲劇の悪役令嬢は王子殿下を愛さない  作者: 雨足怜


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63図書館での再会

 レスティナート王国の学院は、教育に必要なおよそありとあらゆるものが集められている。その中でも他国に誇るものの一つとしてよく挙げられるのが学院図書館の存在であった。

 古書から新書まで、無数の書籍が集められたそこはレスティナート王国の知識の宝庫。閲覧制限が課される王城の禁書庫に収められているような書物こそないものの、そこにはおよそありとあらゆる蔵書がある。

 その多くは貴族あるいはその縁者である研究者が己の成果を書きつらねた論文である。玉石混交で並ぶ論文はこのレスティナート王国の学院における指導の参考にされており、教員はこれらの資料を参考に授業計画を練ることとなる。長く学院に在籍して教鞭をとり続けている者の多くは指導用に論文をまとめた教科書を作成しており、それらの蔵書も存在する。

 リリスティアがこの図書館に訪れたのは、まさにその授業用の教科書の閲覧のためだった。


 学院図書館は非常に巨大な建物である。書物を傷めないように窓を持たないその建物はともすれば牢獄のようないかつさを持っている。石造りの巨塔は円形を描き、内部にはその側面にびっしりと書物が並ぶ。

 建物入り口を見守る警備の騎士に会釈をしつつ、リリスティアは分厚い扉をくぐって学院図書館に足を踏み入れる。

 まばゆい炎天下の光から遮られた図書館内部はうす暗い。遥か高くに存在する天井から橙色の魔法具の明かりが降り注ぐ。通路にぽつりぽつりと置かれた光量の抑えられたランプはどこか幻想的に通路を飾る。明かりによって照らし出される書物は重厚な革張りの背表紙をさらし、所狭しと書棚に収められている。

 埃っぽい空気に小さくむせたリリスティアは、近くにある案内の掲示板を見て目的の区画へと歩を進める。

 学院の授業で用いる教科書が並ぶ一角はそれなりに利用者がいることも考慮され、一階にスペースを設けられている。

 棚三つほどに渡る無数の教科書と、その前に広がる閲覧用のテーブル。円形の床を占める無数のテーブルの中には、すでにぽつりぽつりと生徒の姿があった。

 レスティナートの中等学院には、初等学院とは違って決まった制服は存在しない。ただ一つ、学年が一目でわかるように男女はそれぞれ学年で指定された色のリボンとネクタイを結ぶことを求められている。リリスティアの学年の色は緑。

 読書に励む生徒の中に緑のネクタイを締めた者がいることに少しだけ感心しつつ、リリスティアはすぐに教科書が収められた棚へと向かう。

 もとより、リリスティアは勉強が嫌いではなかった。昔は無聊を慰める意味もあって、そこそこ勉強には手を付けていた。

 だが、それももはや一年近く前のこと。父であるグレイシャス伯爵の処刑から始まる一連の苦行の中、リリスティアには勉学に励むような余裕はなかった。

 記憶に鮮烈に刻まれた出来事の数々は、それ以前の記憶をひどく薄れさせていた。おかげでリリスティアは初等学院で学んでいたかなりの内容を忘れてしまっており、授業が始まる前に一通り復習を進めないと危険な状況にあった。

 中等学院は「学院」と銘打ってレスティナート王国の貴族に学びを求める場所として存在するが、多くの貴族の子どもたちは学院に入学する前に家庭教師を雇って学習内容を一度は学んでいる。そのためリリスティアはかなり腰を入れて勉強しなければほかの者に追いつけない状況だった。

 もっとも、男爵位という今のグレイシャス家の地位を考えれば予習が済んでいないというのはそれほどおかしいことではない。学院で学ぶ内容をあらかじめ学習している者はある程度裕福な家に限られる。具体的には子爵以上であり、リリスティアはその枠には入っていない。

 中等学院の内容もある程度予習していたリリスティアだが、中等部で用いる教科書の一つにさっと目を通し、まったく内容に覚えがないことに愕然としていた。

 思わず顔が引きつりながら、リリスティアは手に持っていた教科書を棚に戻し、当初の通り初等学院の学習内容の復習に努めることにした。


 かつて用いていた教科書を手にテーブルに座り、ペンを片手に内容を頭に叩き込む。

 リリスティアは決して地頭がいいほうではない。ただ本を読むだけで知識を頭に入れることができるような人間ではないことをよく知っていた。だから覚えるべきことは文字に書いて体に叩き込む。矢印や等号などによって内容の関連を示し、図で内容を明快に表す。

 がりがりと筆を書き進めるうちに軽く手が痛み、リリスティアは小さく息を漏らして軽く首をひねって。

「……?」

 顔を上げた先、自分へと向いている視線に気づいて小首をかしげる。

 首に絞めたネクタイの色は緑。すなわちリリスティアと同じ学年。鳥の巣のように癖のある茶髪、銀フレームの眼鏡から覗くやや険のある金色の瞳。目鼻立ちは整っているも、どことなく幼さが抜けきれない。背は高く、顔色はやや青白い。

 もやし――脳裏に浮かんだ単語を、首を振って振り払う。リリスティアは再び書籍へと視線を戻す。

 だがどうにも視線が気になる。実戦によって鍛えたリリスティアの感覚は同年代の中でも飛びぬけている。常にというわけではないが時折ちらちらと己に突き刺さる視線は、集中状態に至ろうとしたところでリリスティアの意識を揺さぶる。

 ふぅ、と小さく吐息をもらす。睨むように顔を上げれば、同級生の生徒は少しの嫌悪をあらわにリリスティアをにらむ。

 ただ、その程度の嫌悪はリリスティアにとってどこ吹く風だった。グレイシャス家の名前に反応する面倒な貴族だと、そう理解する。

 興味を失ったリリスティアは再び教科書へと視線を戻し、今度は視線に意識を向けることなく思考の海に潜った。

「………チッ」

 図書館の中にかすかに響いた舌打ちの音はリリスティアの耳に届くことはなかった。


 貸出手続きを済ませた書物を片手に、癖のある茶髪が特徴的な色白の新入生は牢獄のような図書館の扉をくぐって外に出て、体の中に凝る疲労を捨てるように息を吐く。

 図書室の外には渡り廊下が続いており、外気にさらされるそこでは春のやや激しい風が吹き抜けていた。

 揺れる髪が目に入りそうになって目を補足した生徒は、風の向こうから照らす赤い太陽をにらむ。

「よう、ジョイル」

 びくりと肩をはねさせた茶髪の生徒――ジョイル・マッケンジー伯爵令息が背後を向けば、そこには彼とは正反対に健康的な肉体をした生徒の姿があった。こちらもネクタイの色から新入生。

 服の上からでもわかる分厚い筋肉に包まれた体と日に焼けた肌、そしてその暑苦しさを薄める青色の髪と瞳が特徴的な彼の名はロラン・ヴィッヒ。生粋の武闘派で知られるヴィッヒ侯爵家の跡取りであるロランは、気安い様子でジョイルの肩に腕を回す。

 くしゃりと顔をゆがめたジョイルはロランの腕を払ってわずかに距離をとる。埃でもはらうように肩の服のしわを整えたジョイルは、眼鏡の鼻あてを人差し指でくいと持ち上げる。

「せっかくこんな天気が良かったのに図書館にこもっていたのか?」

「余計なお世話だね。この炎天下で休憩一つせずに鍛錬を続けるような異常者に何かを言われる筋合いはないな」

「はは、この本の虫が。もう少し体を動かさんと倒れるぞ?いつも夏バテで地獄を見てるのに学習しねぇよな」

「だからうるさいと言っているだろう?」

「……今日はまた一段と荒れているな」

 この神経質野郎が――そんなあきれをにじませるロランを厳しい目でにらみながら、ジョイルは目元にかかった前髪を指で掻き上げる。

「少々気に食わない顔が見えたから読書に集中できなくてね」

「気に食わない顔?そこまで表現するってのは珍しいな?」

「私じゃなくとも一目見れば顔をしかめるだろうさ。何しろ彼女は――」

「邪魔ですわね」

 図書館の出口で立ち話をしていたことを思い出す。「すまない」と謝りつつジョイルは道を開けるように壁際へと移動して――視界に移った女性、リリスティアの姿を見て顔をしかめる。

 無感情にジョイルを一瞥して通り抜けようとしていたリリスティアだったが、続く掛け声に足を止める。

「久しぶりだな、グレイシャス」

「久しぶり、ですね……ロラン・ヴィッヒ様」

 わずかないら立ちをにじませながらもリリスティアはまっすぐロランに向かって頭を下げる。その姿を、ジョイルはただ茫然と見つめていた。

「ふん、お前も本の虫になりやがったか。鍛錬はやめたか?」

「一目見れば続けているとわかるでしょう?」

「まあそうだな。少なくとも以前よりは体の運びがまともになっている。……グロリア師匠の足を引っ張るばかりだった頃に比べれば多少はましだな」

「…………そう、ね。私も、あの時の戦いで感じた無力感と希望を忘れたわけじゃないですもの」

 風が吹く。次第に近づいてくる夜の気配を漂わせる冷たい風を浴びながら、リリスティアは顔にかかった髪を耳に掻き上げる。夕日の色に混ざるような赤色の髪。その奥から覗く緑の瞳は、ただ探るようにロランを映していた。

「……師匠はそちらへ行ったのですね」

「ああ。あのような技量を見せられては動かない理由はないだろ?」

 わずかに唇をかむような動きをしたリリスティアは、けれど何かを言うことはなくただ黙って頭を下げ、ロランたちに背を向けて去っていく。

 はん、と鼻を鳴らしたロランはふと、無言で己を見つめるジョイルの驚愕と困惑の視線に気づいて目を瞬かせる。

「どうした、そんな狐につままれたような顔をしやがって」

「あ、いや……彼女と知り合いなのか?」

「あー、まあ一応、姉弟子ってことになるのか?」

 がりがりと後頭部を掻くロランの顔ににじむ感情を、ジョイルは理解でいない。ただ、意味が分からないとその顔が、目が語っていた。

「同じSランクハンターの教えを受けたんだ。たまたま『古代砦ダンジョン』で出会った縁でな」

「古代砦ダンジョン……ああ、グレイシャス男爵領の近くにある。……なぁ、彼女はリリスティア・グレイシャスだよな?」

 曲がり角の先に消えたリリスティアを見つめるように誰もいない廊下の先に目を向ける。その視線をたどるように暗がりへと目を向けたロランは、嘆息のように「ああ」とつぶやく。

「あれが、リリスティア・グレイシャス……?」

 亡霊でも見たような様子でつぶやくジョイルに、ロランは内心で強い同意を示す。

 かつてロランが古代砦ダンジョンで出会ったリリスティア・グレイシャスは、かつて初等学院で我が物顔でふるまっていた女帝のような女の面影を残していた。落ちてなお変わることができず、その境遇の中で憎しみを瞳に燃やして武器を取ったようなリリスティアが、ロランは気に食わなかった。しかもSランクのハンターに師事しているなどという状況は許しがたかった。

 だから奪った。リリスティアの師匠を、リリスティアを守ることができる存在を奪い取った。そのままどこまで落ちていけ――そう、内心で嘲笑った。

 己の嫌がらせが身を結んだ――最初、ロランはそう思った。けれど、何かが違った。

 先ほど言葉を交わしてリリスティアは、確かにリリスティア・グレイシャスだった。けれど、彼女は決して落ちぶれたわけでも、すべてをあきらめたわけでも、現実が見えていないわけでもなかった。

 リリスティアの緑の目、そこには覚悟があった。現実を受け入れ、そのうえで足掻き続ける一人の人間の強い感情が宿っていた。

 折れず、けれど現実に適応して、ロランたちに頭を下げ、一応は敬語を使って見せるリリスティア。

 面白い――そう、ロランは口の端を吊り上げる。

 何だアレは――自分の中で一致しない現在と過去のリリスティアが頭の中で回り続け、ジョイルは困惑といら立ちとわずかな驚愕を込めて心の中で吐き捨てた。


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