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6暗がりの悪意

 それからも、今晩の宿探しは続いた。

 リリスティアはノートンの顔の広さを知った。そして、父であるグレイシャス伯爵が多くの人を助ける慈善事業をしていたことを知った。

 金のない者に金を貸し、孤児に無償で炊き出しをして、魔物という怪物たちと戦うハンターの駆け出したちのために、ハンターギルドに貸し出し用の武器を寄付するなど、その活動は多岐にわたっていたという。

 そう言った話を懐かしむように語る者たちは、決まってリリスティアを激しい憎悪をたぎらせた目でにらんだ。

 このお嬢様のせいであの善良な伯爵が悪事に手を染めたんだぞ――そんな意味の言葉が、ノートンとの会話の端々からリリスティアに伝わった。未だにリリスティアが伯爵令嬢という身分であるからか、平民の彼らが直接罵声を浴びせてくることはなかった。けれどもしリリスティアが平民になっていれば、そして伯爵が亡くなってしまっていれば、どんな目に合うか分かったものではなかった。

 リリスティアは、自分がいないほうが宿探しは上手くいくのではないかと思った。それこそ、リリスティアたちを泊めるという話をせずにノートンも知らない者が経営する宿に泊まればいいと提案したが、ノートンはそれを否定した。

 もし何かの拍子にお嬢様の正体がバレた場合にどのようないさかいになるかわからないから、と。

 無数の怒りの視線にさらされ続けて、リリスティアはことの大きさを肌で感じていた。それこそ、貴族という身分が無ければ自分たちはすぐにでも殺されかねないと感じていた。

 ヒルベルム王国という大国に喧嘩を売ったグレイシャス伯爵の凶行が生活に影を落とすのではないかと彼らは考えていたからだった。

 どこかでフード付きのマントなどを買って顔を隠しても、ノートンが数名と泊まりたいと告げれば結局誰を泊めることになるかはすぐにわかることだった。交渉に自分がいてもいなくても結局断られ続けるのだろうと、リリスティアは諦観とともにノートンの後をついていった。

 重い足を引きずるように歩きながら、これは自分の罪が引き起こしたことだと、リリスティアは思った。歯を食いしばる。

 真実はわからないが、もし自分が高圧的にふるまっていなければ、彼らは少しは違った対応をしたかもしれないと、リリスティアは思った。

 赦しは、求めてはいなかった。何より、父が犯罪を行った原因が自分の行動にあったと思い始めていたリリスティアは、この程度の悪感情に晒される程度で自分の罪がなくなるとは思わなかった。

 時間だけが過ぎて行って。体だけが重くなっていった。引きずるように足を運んで訪ねた一軒。もうだめだろうと心のどこかで絶望していたノートンは、裏口から相談を持ち掛けた相手が投げてよこしたカギを受け取って目を瞬かせた。

 さび付いた、ひんやりとした鍵。それを受け取ったことを確認した男は建物の場所を告げ、リリスティアを見て小さくため息を漏らした。

 その目には、リリスティア自身の姿が映っているようには思えなかった。ただ闇を湛えた目が再びノートンの姿を捉え、男はぽつりとつぶやいた。

「……これが最後だ」

 縁切りの宣言とともに扉が閉められる。

 暗い小道に立ち尽くすリリスティアとノートンは顔を見合わせ、そして男が告げた場所へと急いだ。

 もう日付が変わろうという深夜。明日のために労働者たちは眠りにつき、街は静まりつつあった。

 肌寒さを感じながら、リリスティアは視線をさまよわせながら道を進んだ。なんとなく、嫌な予感がした。

 それは、少し前に感じていた、粘ついた欲望の視線に似ていた。

 貴族のそれよりも一層醜悪な、欲と直接結びついた視線の存在を、リリスティアがノートンに報告しようとした、その時。

 ノートンがリリスティアの行く手を遮るように、あるいは守るように、その進路を腕で塞いだ。

 リリスティアは足を止め、暗闇の先を目を凝らして睨んだ。

 十字路の右手。暗がりの中から地面を踏みしめる足音が近づいてきた。

 曲がり角の向こうから姿を現したのは、五人の赤ら顔の男たち。下卑た笑みを浮かべる男たちは、ロープや建材、鉄の棒などを持って千鳥足でリリスティアたちに近づいてくる。

 見覚えのある顔だった。最初に訪れた宿の一階の酒場。そこで酒をあおっていたガテン系の仕事をしていそうな男たちだった。

 リリスティアの姿を捉えた男たちが、醜悪な笑みを浮かべる。その視線から身を隠すように、リリスティアは無意識のうちにノートンの体に隠れた。

「おお、やっぱり近くで見ると別嬪だな。おい、売り払う前に少しくらい楽しんでもいいよな?」

「あったりまえだろ。こんな機会、二度とないかもしれねーぞ。偉そうにふんぞり返るお貴族様を調教するんだ。俺たち好みに鳴くようにしてやろうぜ」

 顔を見合わせた男たちが、げひゃひゃと笑う。背中に強い悪寒が走り、嘗め回すように体の上を這いまわる視線から身を守るようにリリスティアは自らの体を抱きしめた。ノートンの体からわずかに覗いた手足にドロリとした視線が突き刺さっていた。

 これまで感じたことのない恐怖に足が震えた。そのリリスティアを男たちの視線から守るように片手を広げたまま、ノートンが一歩前へと踏み出す。

「私どもに何か用ですか?」

「あぁ?んなもん決まってんだろ。そいつを差し出せや。貴族の令嬢なんて、かなりの金になるだろうさ。貴族に劣等感を感じている豚商人にでも売ってやるんだよ。きっと可愛がってくれるぜ?まあ、その前に味見をさせてもらうけどなぁ」

「お前もこっちに来るか?そんな奴のお守りなんてやめちまえよ。これまでの屈辱を晴らす絶好の機会なんだぞ。なぁ?」

「いいな。身内の裏切り!最高だ!まああんたの歳だと勃つモノも勃たないだろうけどな!」

 醜悪な笑い声をあげる男たちをにらむノートンの額に青筋が浮かぶ。肩を震わせるノートンを見て、男たちがあざけりの声を上げる。一対多。不利な状況に恐怖しているだろうノートンへと、男たちの一人が笑いながら手を伸ばして。

「あぇ?」

 男の視界が回る。その次の瞬間には、彼は後頭部から地面に叩きつけられ、その衝撃で気を失った。

 ガラン――男の手に握られていた酒瓶が地面に転がった。

「おいおい、大丈夫かよグイード」

「ぶっはははははは!じじいにやられてやがる!」

 酒が入って思考力が落ちている男たちは、仲間の無様な姿を笑い、ノートンの動きに警戒することはない。

 一方、リリスティアはといえば、予想もしなかったノートンの巧みな動きを見て目を点にしていた。

「ノートン……?」

 そこには、煮えたぎる怒りを必死で抑え、安心させるようにリリスティアに微笑むいつものノートンの姿があった。

「お下がりください、お嬢様。危険ですから。それと、できれば目を閉じていてくだされば幸いです。お嬢様に見せるようなものではありませんから」

 そう言って、ノートンはぬるりとした不思議な歩法で男たちのもとへと歩み寄り、警戒心のない男の顎に掌底を放つ。

 脳を揺らされた男が、急に酒が回ったように力なく地面に崩れ落ちる。

 すぐ近くにいた男の腕をとり、ノートンは足をかけて男を投げる。

 分厚い筋肉のついた男は軽々と宙を舞い、背後にいた一人とぶつかって、盛大な音を立てて地面を転がった。

「っ、このッ⁉」

 ようやくノートンを警戒した男が鉄の棒を振りかざす。振り下ろされるそれを、手のひらで横から軽く押して軌道をそらしたノートンは、指を伸ばして手刀の形にした手を男の顎に横から叩きつけた。

 ぐが、と声を漏らした男が倒れる。

 痛みにうめきながらも立ち上がった二人の男が、ロープを振り回す。軽くしゃがんだノートンにロープは当たらず、小道の横に積み上げられていた木の空箱にぶつかった。

 空箱の山が傾く。それを視界の端でとらえたノートンは、自分に向かって落ちてくる木箱をつかみ、男に向かって投げつけた。

 避けることもできずに顔面に木箱が直撃した男が鼻血を垂らしながら倒れる。木箱が地面に落ちて壊れる。

 鼻から血を流す男が起き上がることはなかった。

 かがんでタックルを試みた最後の男のみぞおちに、冷静なノートンのつま先が食い込む。地面を滑るように転がった男の背をノートンが踏みつける。くぐもった悲鳴が男の口から洩れた。

 ノートンに見ないでほしいと言われていたにも関わらず、リリスティアはしっかりとその一部始終を見ていた。

 おお、と口の中で小さく歓声を上げる。その声を聴いて、ノートンが少しだけ恥ずかしそうに目じりを下げる。

 けれどその柔和な雰囲気はすぐに霧散し、むき出しの刃物のような空気をまといながら男に問いただす。

 リリスティアを襲ったのは、誰かに命令されたからではないかと。

「ち、違う!ただ、とんでもない犯罪をした貴族の娘なら、たとえ行方不明になっても大丈夫だろうって思っただけなんだよ!」

 泡を食ったように男が叫ぶ。

 言い訳にもならない言葉をまくしたてる男は、本当のことを話したのだから開放してくれとノートンに求める。お嬢様も傷ついていないだろう?と。

 だが、怒り狂ったノートンがそのまま男たちを離すわけがなかった。

 鋭利な光を宿した目が、倒れる男の顔を映す。恐怖にゆがんだ顔。

 男の顔に、ゆっくりと、なぶるようにバキバキと音を鳴らす手が迫り――

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