59ライアット領の行く末
領都ライネウスを襲ったワームの情報は、瞬く間にレスティナート王国、そしてヒルベルム王国に広がった。
異常個体。体長100メートルを超え、その半身を天に伸ばして大地を叩く攻撃は、村はもちろん街でさえもたやすく滅ぼす。何より、地中を進み捜索が困難な点が大きく問題視された。
ライネウスの復興はなかなか思うように進まなかった。異常個体のワームがライネウスに対する執着を持っている可能性がうわさされた時点で、これまで足を運んでいた商人が遠のき、物が集まらなくなった。人が寄り付かないどころか、このまあライネウスの街にとどまることに恐怖を覚えた民は少しずつ流出していって瞬く間にさびれていった。
人気のない家屋が乱立し、そうして雨風をしのげる場所を求めて、崩れた外壁を潜り抜けて無法者が集まった。商業都市であったライネウスはそうして衰退の一途をたどっていった。
そんな中、エーリッヒ・ライアットは体を崩した。弟と妻を亡くした絶望から目をそらすように執務に励んだという彼は床に伏し、しばらくして起き上がれるようになった時点で、まだ家に残っていた長く仕えてくれた使用人にライアット家の終わりを告げた。王国中に広まるワームとライアット家の確執のうわさは消える気配を見せず、何より逆境の中でもがいたエーリッヒの燃え尽きたような様子を見て、家臣たちはただ黙して頭を下げた。
それからわずか半月後、エーリッヒ・ライアットはレスティナート王国国王陛下に奏上し、男爵の地位を返上した。
ライアットの名を消すことで元ライアット領の民を救おうとするエーリッヒの姿勢には賛否両論あった。貴族として衰退の一途をたどろうと最後まで領民のために奮闘すべきだとする者、妻や弟を失ったエーリッヒに同情する者。
ただ、誰もエーリッヒによる男爵位の返上が彼の計画通りであるとは考えなかった。
そうしてライアット領は消滅し、新たにとある商会が多額の上納金を支払うことによって元ライアット領を治めることになった――
「やあ、久しぶりだね」
「…………………何の用よ?」
ノックの音を聞いて扉を開いた先、完全に想定外の人物がいたことにリリスティアは嫌悪感をあらわにドアを閉じようとして。けれどドアの隙間に差し込まれた足がそれを阻む。
すがすがしい笑みを浮かべて扉をこじ開けるのはエーリッヒ・ライアット改めただのエーリッヒ。爵位を返上して地位から解放されたエーリッヒは、とても伏せていたとは思えない見た目をしていた。解放感に浮足立ち、顔や髪は艶めき、幸福感に緩む顔が周囲に色香をばらまく。香るような男ぶりに、グレイシャス家の前を通った農家の女性が顔を真っ赤にして動きを止めるありさまだ。
律儀に投げキッスなどして見せるエーリッヒだが、彼は男色だ。以前であれば考えられない振る舞いを見て、リリスティアはただ顔をゆがめるばかりだった。
「……さっさと要件を話してくれない?」
リビングの椅子にどっかりと腰を下ろしたライアットは、熊の皮で見た目をごまかした硬い椅子の座り心地に顔をしかめながら我が物顔で体を投げ出す。
「まあそう慌てる必要はないだろう?この時間に家にいるということはおそらくは今日は出かける用事はない……違うか?」
冬はもう遠いといわんばかりに照り付ける太陽に蒸された部屋の中、手で顔に風を送るエーリッヒにリリスティアは不審気な視線を返す。どうしてお前が知っているんだと、そんな考えはけれどすぐに答えへと行きつく。
「……しばらく私を観察していたわね?」
「その通り。爵位から解放されたついでに商会も放り出してみたんだ。そうして改めて気づいたのだけれど、私は素寒貧でね。おかげで着の身着のままで大変だったよ」
「商会を捨てたのね」
「捨てたというのは間違っているよ。ただ、もともと僕はかかわっていなかったからね。跡を継ぐ男にも問題はなかったし、彼が商会の運営も、領地経営もしっかりやってくれるさ」
片方の眉を軽く上げるリリスティアは、その商会と自分の中にある商会をつなげ、冷ややかな目でにらむ。
「……ライアット商会改めフリューゲル商会。そして、フリューゲル男爵、ねぇ?」
あからさますぎると暗に告げるリリスティアだが、エーリッヒはからからと笑うばかりで取り合わない。
フリューゲル。それはエーリッヒや所属する少女の話によると、レスティナート王国あるいは王国貴族に恨みを持つ者たちの集まりであり、レスティナート王国滅亡のために活動している組織である。そして何より、ライネウスの衰退を引き起こしたワームの侵攻の裏にフリューゲルの働きがあったとリリスティアは知っている。
強烈なマッチポンプに正義感のままに憤怒すべきか、あるいは元ライアット商会の幹部にまで入り込んでいたフリューゲルという組織の手広さに驚くべきか。そのどちらをとることもせず、リリスティアはただ深いため息を漏らした。
「おや、せっかくのかわいらしい顔が台無しだね。ほら、頬を釣り上げて笑うんだ。きっと憂いがなくなってハッピーになるよ」
「なるわけないわよ。ああ、いや、あなたがここから今すぐ出て行ってくれればうれしいわね。それはもう、庭駆け回るほどよ」
「それはできないかなぁ。久しぶりに雨風をしのげる場所に来たんだよ。しばらく泊めてくれても――」
「お断りよ」
「つれないなぁ。どうしたら私と泊めてくれるのかな?そうか、家族になるというのはどうかな?私と婚約するかい?」
「寝言は寝て言いなさいよ……本気じゃないでしょうね?」
「もちろん本気だよ?」
無言でにらみ合う。軽薄な笑みを浮かべるエーリッヒは、腐っても貴族社会という魔界で生き残ってきた元男爵。ただの令嬢であるリリスティアには彼の本心は見抜けない。
「……あなたは男しか愛せないのでしょ?」
「私もそう思っていたよ。けれどどうにも、君となら愛し合うことができるような気がしていてね。どうだろう、私を救うと思って」
「お断りだって言っているでしょう!?」
体を守るように鳥肌が立った腕を抑えるように胸元を隠し、リリスティアは部屋の出口へと下がる。その目には強烈な嫌悪がにじんでいた。
「嫌われたものだね。あれだけ腹の内を明かしあったというのに」
「あなたが一方的に明かしたんでしょう。おかげで面倒な事実を知ったわよ。今すぐ忘れさせてくれないかしら?」
「それは無理だね。まあ、悪いようにはならないよ。彼女のことを知っているだけで、君は優位に立てる。何しろ、これから訪れるであろう厄災の風から逃れることができるんだからね」
彼女――フリューゲルに所属する青髪の少女を思い出しながら、リリスティアは軽く唇をかむ。こみ上げる無力感がその身を焦がす。贖罪をしろと、魂が軋音を響かせる。
目をつむり、眉間をもみほぐす。腹の中で渦巻く感情を必死に胃の奥へと押し込んでから、リリスティアは鋭い目でエーリッヒをにらむ。
「厄災……フリューゲルはまた魔物を暴走させるつもりなの?」
「さぁ、そんなものは私にはわからないね。何しろ、私は元協力者に過ぎないのだから」
「ライルやフィリップに危害が加わったら、私は彼女たちをつぶすわ」
「本当に君にできるのかな?君は確かに敵を殺せる。ためらいもなく、わずかな後悔もなく、だ。それはたぶん立派な戦士としての才能なのだろうね。目の前の敵が倒すべき敵か、倒してもいい敵かを考えずに、とりあえず向かってくる者は殺す。でも、無辜の民を、善良な市民を、果たして君は殺せるのかな?」
リリスティアは力もないのにワームに立ち向かった。その理由が民を救うためにあったとエーリッヒは考えていた。根っからの貴族であるから、あるいは他の理由があったのか、それはわからないが。
確信を持った問いかけに、リリスティアは何も言わずに視線で続きを促す。肩をすくめてみせるエーリッヒは、無言でリリスティアに歩み寄る。
「フリューゲルは、復讐者の集まりだ。彼らはただ、自分たちの人生に降りかかった理不尽を拭い去るためだけに戦っている、元は善良な民だ」
「ライネウスの街の民を殺した時点で、彼らは悪でしょ。過去は関係ない」
「ああ、確かに彼らは道を踏み外した。けれど復讐が終わったとき、彼らはきっと新たな道を歩いて行ける。その強さがある。……だが、その強さが今の君には見えない。あの時、ワームに立ち向かう君の背中はすごく魅力的だったというのに」
「虫唾が走るわね」
「君は戦士ではなく、令嬢だ。君の魂が、令嬢であろうとしている。そうだろう?」
リリスティアの赤髪を掬い取ったエーリッヒがそこに口づけを落とす。羽虫を見るような眼をしていたリリスティアは、ただ静かにエーリッヒの手を払い、後ろ手で扉を開く。
「さっさと帰ってくれるかしら。これでも忙しい身なのよ」
「そうか、それじゃあこれでサヨナラだ。君という存在が羽ばたく日を遠くでのんびり待っているよ」
――その肩に背負うものがある限り、君は飛び立てないと思うけれど。
去り際に言い残された言葉は、いつまでもリリスティアの耳の奥で残響し続けていた。




