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悲劇の悪役令嬢は王子殿下を愛さない  作者: 雨足怜


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21/197

21道中

更新が遅くなってすみません。

今後も不定期更新で進めていこうと思います。

「できることならお嬢様にはなさってほしくないのですが……」

「提案してきた本人が何を言っているのよ」

 御者台にて、手取り足取り馬の制御を教わっていたリリスティアはやれやれと首を振った。ガタン、と馬車が跳ね、舌を噛む。

 涙目になったリリスティアを見て、指導に励むノートンは申し訳なさでいっぱいだった。

 けれど、とノートンは心を鬼にしてリリスティアを指導する。

 御者など、貴族本人が行うことではない。けれど、ノートンは自分以外にも御者を務めることができる者が必要だと考え、リリスティアに練習をしないかと提案をした。

 一も二もなくうなずいたリリスティアだが、こうして十数分に一度、ノートンから教えたくはなかったと受け取れることを言われてげんなりしていた。

「それにしても、あの方は一体何者なのでしょうね?」

「彼のこと?さぁ?名前も知らないし、どこの誰かもわからないわ。商家の坊ちゃんみたいなことを言っていたけれど、多分もっと上ね。……いえ、最高の商家と名高いドーベルマン公爵家のご子息かしら」

 揺れる馬車の上、リリスティアとノートンの話題に上るのは、馬車と馬を実質タダで譲ってもらった少年に関することだった。

 リリスティアが処刑場で人波に押しつぶされそうになっていたところを助けたと告げれば、ノートンはリリスティアをほめたたえ、同時に危険な真似は避けてくださいと懇願した。最も、リリスティアは首肯することはなかった。少年を助けたのは反射的なことで、多分今後も、自分は同じような場面に遭遇すれば手を伸ばすだろうとリリスティアは考えていた。

 そして、リリスティアははたと気づいた。これまでの自分であれば、少年を助けようとはしなかっただろうと。自分が変化、あるいは成長しているということを感じて、リリスティアは少しだけ口の端を吊り上げた。

 自分は、変われている。少なくとも、この絶望的な状況で腐っていないということが、リリスティアには誇りに思えた。

 その在り方は、これまで「悪役令嬢」なるものに執着していたことからは考えられないものだった。

 リリスティアの貴族としての正しい成長を感じるからこそ、ノートンはリリスティアの危険な行為を責めることはできなかった。

 ノブレスオブリージュの精神は、亡きグレイシャス伯爵からリリスティアへと受け継がれた。今のグレイシャス男爵家は民の血税のお陰で生活できているとは全く言えないが、それでもまだ貴族である以上は、治める平民のことを考えなければならない。

 リリスティアは優れた貴族になるだろうと思うだけに、ノートンは彼女に立ちはだかる困難な道のりを思って心の中で涙した。

「それにしても、いい馬ですな」

「そう、なのかしら?」

 馬の良し悪しなど全く分からないリリスティアだが、ノートンとしては十分すぎるほどの能力を持っていると感じていた。

「ええ。老いているとはいえまだまだ健脚ですし、主人の命令もよく聞きます。特に、先ほどゴブリンたちが襲撃してきた際に恐れることなく走り続けたあたり、かなり恐怖に強いのでしょうな」

「そういえば、轢き殺す勢いで走っていたわね」

 ゴブリンという最弱と名高い二足歩行の魔物。気持ちの悪い深緑の肌をした人間の子どもほどの背丈の魔物が数体左右の茂みから棍棒片手に襲い掛かって来たが、馬は動揺することもなく走り続けた。

 ゴブリンがぶつかれば馬は怪我をするかもしれないし馬車が損傷する可能性だって考えられたために、ゴブリンはノートンが投擲によって進路からはじき出した。

 その光景を思い出せば、この馬がどれだけ優秀かがわかろうというものだった。

「そろそろ休憩にしましょうか。この先に小川がありますので、馬を休ませましょう」

「そうね。これだけ働いてくれたのだもの、ねぎらってあげないと……ッ」

 石を車輪が踏んだために馬車が激しく揺れ、再びリリスティアは舌を噛んだ。痛みに震えながらも、手綱を手から離すことはしなかった。


 浅い小川は透き通った水面を湛え、陽光を反射して美しく輝いていた。馬が口をつければ、そこから同心円状に広がった波紋が、浮かんでいた木の葉を優しく揺らした。

 吹き抜ける風は心地よく、火照った体から熱を奪っていく。

 強い日差しの中リリスティアは袖で額ににじむ汗をぬぐいながら、馬の体に優しくブラシを当てていた。

「これでいいのよね?」

「はい。お上手ですよ」

 おっかなびっくりブラッシングをするリリスティアが確認のために振り返れば、ノートンはにこりと笑って頷いた。小さな子どもを見るような視線が気にかかったが、リリスティアは「そう」とだけつぶやいて再びつやつやとした栗色の毛並みを撫でながらブラシの櫛を入れた。馬の体からは、強い熱が立ち上っていた。

 馬車の中に餞別として入れられていた食料の中から塩を取り出し、ノートンが馬に食べさせる。しばらくしてひと心地ついたのか、馬は生えている牧草をついばみ始めた。

「意外とここまで順調だったわね」

「そう、でしょうか。本来は往来の激しい街道でゴブリンに襲われるというのは考えにくいのですが……」

 無事に王都から離れることができて安堵に気が緩んでいるリリスティアの言葉に対して、ノートンは眉間にしわを寄せながら首を傾げる。

 大きな街をつなぐ踏み固められた街道は、通常、定期的に騎士団などが魔物の掃討を行い、ある程度の安全が確保されている。特に王都付近では徹底して魔物が排除されているのが現状なのにも関わらずゴブリンが現れたということが、ノートンに違和感を抱かせていた。

「別に周囲をくまなく調べて魔物を根絶させているわけでもないでしょう?第一、よそから流れて来た個体なのかもしれないわけだし」

「確かにあのゴブリンたちはずいぶんとやせ細っていた印象でした。投擲だけで簡単に倒れたわけですからね」

 そう言いながらも、ノートンの表情は険しい。仕える貴族の安全を第一に考える職業病かと思いながら、リリスティアは馬との関係づくりに励もうとして、食事の集中を阻害するリリスティアに、馬が一鳴きして苦情を入れる。

「……お母様たちの様子を見てこようかしら」

「それがよろしいかと。馬は私めが見ておりますので」

 ノートンに馬の面倒を任せたリリスティアは、扉の開いた馬車の中に座りっぱなしの母の下へと向かった。

 近づくほどに楽しそうな話し声が聞こえてくるが、それはライルとフィリップの声だけ。何とか母のレミアを元気づけようとことさらに明るく話すライルだが、そろそろ話のネタが尽きて来たらしい。時々口ごもったところにフィリップがライルの些細な秘め事を暴露して、ライルが慌てた声を上げるという漫才じみた展開がなされていた。

「お母様、ライル」

「おねえさま!」

 フィリップのからかいに涙目になっていたライルが勢いよく馬車から飛び出し、リリスティアにひしと抱き着く。

「危ないわよ、ライル」

「聞いてください。おねえさま、フィリップがひどいのです!」

「あら、そうなの?でもライル、貴方意外と楽しそうではなかった?私にはそう聞こえたわよ」

「お母様にはないしょにしてって話していたおねしょのことを話されて楽しいわけがありません!」

「そう?でも、陰鬱とした空気が少しはましになったんじゃない?」

「そ、それは、そうかもしれないですけれど……」

 小声で「お母様のためになったのではないか」とリリスティアが告げれば、ライルは胸元で指をからませながらもごもごとつぶやいた。

 父の死と急激な環境の変化で参っていた様子だったライルが落ち着いてきた様子に、リリスティアはほっと息を吐いた。困惑しきりだったライルも、もう五歳。幼いながらに英才教育を受けて来た賜物か、まだ目をそらしているような状態とはいえ、自分の現状を受け入れた様子だった。

「えらいわね、ライル」

「え、えらくなんてありません。おねえさまの方がずっとえらいと思います!」

「それは年齢のせいよ。ライルは今の自分の最善を尽くせているわよ」

 慈愛の笑みを浮かべながら、リリスティアはライルの頭を撫でる。その優しい手つきに、ライルはにへ、と年相応に笑ってみせた。

 一方で、とリリスティアは馬車の中にいる母の姿を見て少しだけ顔を曇らせる。それはライルにも気づかない程度で、けれどリリスティアを側でずっと見て来たフィリップには分かってしまうほどだった。

 鉄面皮がはがれそうになるのを何とか維持して、リリスティアはライルの頭を撫でながら母に話しかけた。

「お母様、馬車の乗り心地はいかがでしょうか」

「……」

 言葉は、帰ってこない。それは、予想出来ていたことだった。ここまでの道中も、馬車の中から時折聞こえてくる話し声の中に、レミアの声はなかったから。

 馬車の中、背もたれに体重を預けるレミアは、ハイライトの消えた目でぼんやりと虚空を見上げていた。頬はこけ、目の下には隈が目立つ。けれど、それらを隠すような化粧道具など手もちにはなかった。レミアの誇りであった白い肌は、今では病人のような青白い物へと変わっていた。唇は乾燥してパサつき、唯一フィリップの手によってしっかりと整えられている髪も、その色艶がくすんでいた。

 変わり果てた母の姿を見ながら、リリスティアは自分が母を、そして弟と滅びに向かう家に最後まで忠誠を誓ってくれている使用人二人を守らなければならないと改めて決意した。

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