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2「悪役令嬢」の退場

 ヒルベルム王国は、レスティナート王国が位置する大陸東部における最大国家だ。かつてはレスティナート王国と同等の国力しか有していなかったヒルベルム王国は、貨幣を武器に大国にのし上がった。

 ヒルベルム硬貨。それは恐るべき精密さで作られた、贋作製造不可能とうたわれる硬貨のことである。非常に細かい模様に、特殊な合金による頑丈さを兼ね備え、その製法を知っていなければ硬貨を模造するどころか、出回っている硬貨を鋳つぶすことさえ不可能だった。

 ヒルベルムの神秘と名高いその硬貨は、様々な国が発行する硬貨の中で頭一つ抜けた信用を獲得するに至った。

 信用度の高いヒルベルム硬貨は、ヒルベルム王国の周辺の弱小国家へと広まっていき、それから長い年月を経て、ヒルベルム王国は経済大国として大陸東部において最大の国力を有するに至った。

 現在、大陸東部では共通通貨としてヒルベルム硬貨が使用されている。

 金は、武器だ。活発な経済は資源も人も呼び寄せる。

 集まった資源と人はヒルベルム王国の技術を昇華させ、その高い技術力を駆使して商品を売り、ヒルベルム王国はさらに経済大国としての地位を高めていった。さらには、自国にしか作れない硬貨によって市場を制御することで、ヒルベルム王国は周辺諸国が経済国となることを巧みに阻止していた。

 好循環の中にあるヒルベルム王国を栄光の道に導いたヒルベルム硬貨。それはヒルベルム王国の繁栄の象徴であり、絶対不可侵の存在だった。


 そんなヒルベルム硬貨の、偽造。

 痛む頭を押さえながら、目を覚ましたリリスティアはルベルトから聞かされた言葉を思い出していた。 

 周囲を見回せば、そこは見覚えがなくもない自分の部屋だった。王都にあるグレイシャス家が有する邸宅の自室。そこには、美しい淡いピンクの薔薇が描かれた壁紙ばかりが見えた。

 リリスティアは目覚めてすぐ、自分がいるのがどこかわからなかった。その理由は、これまで部屋に置かれていたはずの家具の姿形がなかったから。部屋は伽藍洞だった。どこか別の場所だと思いたくても、リリスティアが特注した壁紙の存在が、ここが慣れ親しんだ自室であることをリリスティアに突き付けていた。

 家具が消えた部屋はひどく広かった。

 使用人を呼ぼうとベルを探すが、見つからない。着替えの衣服も、化粧タンスごとどこかに消えていた。

 窓から差し込む夕日に目を細める。

 ため息がこぼれた。心臓が嫌な鼓動を刻んでいた。

 リリスティアはだるい体に鞭打ってベッドから体を起こした。そして、自分が制服のままベッドに横になっていたことに気づいた。

「あら……まさか、学園で気を失ってしまったのかしら」

 しわの寄ったスカートを手で伸ばすも、残念ながらそう簡単にしわは消えなかった。

 もう一度、今度は大きなため息を吐いて。

 それからリリスティアは、どすどすと大きな足音を立てながら近づいてくる者の存在に気付いて顔をしかめた。この邸宅に、こんな不遜な歩き方をする使用人がいたなど今まで気づかなかったと。

 すぐに解雇しよう――リリスティアがそう決意すると同時に、リリスティアの扉はノックもなしに開け放たれた。

 そして、リリスティアは喉まで出かかった言葉を止めて、口を開きっぱなしにして動きを止めるという醜態をさらした。

 リリスティアの視線の先、無礼にも淑女の部屋にノックもなしに入ってきたのは、野盗かと見紛う、眉間から頬にかけて縦に伸びる傷が特徴的な大男だった。

 窃盗犯の可能性は捨てきれなかった。何しろリリスティアは、その男を知らなかった。

 顔に傷があり、威圧的な戦士の風格を放つ男など、リリスティアは自分に近づくことを許すはずがなかった。当然、この屋敷でそんな人物を雇うはずもなかった。

「……どなたかしら?」

 扉を開いた体勢で、目を覚ましていたリリスティアを見て少しだけ動きを止めていた男は、ふんと鼻を鳴らして扉の外へと顔を出す。

「おい!眠り姫がお目覚めだぞ!」

 男が叫ぶと同時に、階下から醜悪な笑い声が響いてきた。

 リリスティアが顔をしかめる。けれど、屈強な男を前に自分がただ一人だということを理解して、恐怖が喉の動きを止めた。

 普段のような罵声が飛び出すことがなかったのは、よかったのか悪かったのか。

 男に続いて、数名の者がずかずかとリリスティアの部屋に入ってきた。やっぱりすべての顔にリリスティアは見覚えがなかった。

 この屋敷で働いている者の顔と名前はすべて覚えていたリリスティアが知らない男たち。すなわち、外部の者が不法侵入している――相手は、犯罪者。

 その大義名分に思考がたどり着いたところで、リリスティアは恐怖を飲み込んで彼らのリーダーと思しき傷の男をにらんだ。

「誰に許可を取ってこの屋敷に足を踏み込んでいるのかしら。あなたたち、我が家の使用人ではないわよね」

 傷の男が動きを止める。おもむろに近づいてきた男から強い汗のにおいがしてリリスティアは顔をしかめる。

 ふぅん、とリリスティアをじろじろと見つめていた傷の男は、顔を離してからリリスティアを見下ろしながら嘲笑った。

「この屋敷はもうグレイシャス家のものじゃねぇんだよ。すでにヒルベルム王国が差し押さえた。家具も屋敷も、すべて賠償金の支払いに充てられるんだ。むしろ感謝しろよ?この緊急時に呑気にいびきをかいている眠り姫のために、ベッドの解体を後回しにしてやったんだからな」

「な、いびきって……」

「はっ、今の話を聞いて興味を引くところがそこかよ!……これだから貴族の子どもってのはいけ好かねぇんだよ」

 泡を食ったように口を開閉するリリスティアは、明らかに平民と思しき傷の男に侮蔑の視線を向けられて言葉を失った。

 思考が、うまく働かなかった。突き飛ばされるようにリリスティアはベッドから降ろされた。

 怒りで思考は白く染まり、ただリリスティアの横にあったベッドを解体する音と男たちの足音がリリスティアの頭の中で響いていた。

 もう一度鼻を鳴らした傷の男は、完全に解体し終わったベッドを部下に運ばせながら、扉の先へと消えていった。

 そこにはもう、ただの一つの家具もなくて。一人ぽつんと、リリスティアは部屋に立っていた。

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