144悲劇の連鎖
ジンナスの街、領主の屋敷。
急激に気温が冷える中、屋敷では扉が締め切られ、暖炉では強く炎が燃え上がっていた。
外とは真逆に暑いほどに温められた執務室にて、代官スラウは頭を抱えていた。
ただでさえここ最近の彼の悩み事は多く、そしてその一つ一つが厄介極まりない。
一つは、町が四つ腕のオーガの襲撃を受けたこと。町に入ることなく撃破されたものの、それによってもたらされた被害は決して小さくなかった。衛兵やハンターが何人も死に、特に衛兵の減少によって、治安維持に問題が生じ始めていた。見舞金の支払いに町の運営費が圧迫されて、ハンターの減少によって古代砦ダンジョンの間引きを、依頼を出してでも行わなければならない可能性を考えないといけなくなった。
二つ目は、オーガ襲撃に際して、ジンナスの街を含む一体の領主であるリリスティア・グレイシャスがその討伐をなしたことである。彼女の戦闘能力は、スラウをひどく恐怖させた。リリスティアから見ればスラウはこの町の代表であり、グレイシャス家に商品売買を行わせていない悪の親玉のように見られる可能性もある。その力が己に向いたとき――それを思えば体がひどく震えた。
第三は、オーガ襲撃の被害にあった行商隊、とりわけその一つが運んでいた大量のヒルベルム金貨にある。この町は、ヒルベルム金貨に対する反応が過剰だ。確かに最近、ヒルベルムとレスティナート両国で貨幣価値及び鉱石の価値にずれが生じていることは知っていたし、その状況を利用して為替によって利益を出そうとする者が現れないとは思っていなかった。けれどその馬車が襲撃に会い、寄りにもよってリリスティアの目の前で金貨の存在が露わになったというのが厄介だった。
実際、その場に居合わせた者の多くが、リリスティアがヒルベルム硬貨に手を出そうとしたために町が危機に陥っただの、ヒルベルム硬貨が化け物を町に運んできただのと言った意見が多かった。そしてあろうことか、衛兵たちまでそれに賛同していた。スラウが知った時には、すでに衛兵たちは勝手にリリスティアをとらえ尋問していた。それが尋問などと呼べるほど生易しいものではなかったことは、牢屋から解放されたリリスティアの姿が証明していた。
領主貴族をとらえて衛兵が取り調べるなど、この国の法あるいは王の権威に唾を吐くようなものだ。反逆か否かについての議論を横に置くとしても、リリスティアが復讐に牙をむいたらと思うと夜も眠れなかった。
さらにはヒルベルム王国の有力商会の主が死に、ヒルベルム王国は押収した貨幣の返還とともに、ここぞとばかりに要求を積み上げてきてさらに運営費が圧迫されて。
そこに来てこれかと、スラウは絶望に目から光失って天井を仰いだ。
もたらされた報告は、ジンナスの街から馬車で半日ほどの距離にある村で起きた事件について。グレイシャス家の領地に属するその町にふらりと訪れた貴族令嬢が、村人を殺したという。
村の者はその対応に困り、令嬢を軟禁し、グレイシャス家の代わりにジンナスの街の代官に助力を求めた。
スラウとてこれまでも持ちつ持たれつやってきた近隣の村に手を貸したい。けれど貴族の罪を裁くことなど、ただの代官に過ぎないスラウにはできない。ましてや嫌われ貴族でもない家の令嬢となればなおさらだ。
ただの代官にはできず、では誰ならできるのか。
「……グレイシャス家の者、か」
曲がりなりにも男爵家であるグレイシャス家の人間が沙汰を出せば表向きは問題ない。反感をかったとしても怒りの矛先はグレイシャス家へと向かう。それはジンナスの街の繁栄と発展を第一に考えるスラウには都合がいい、が。
「……今町にいるのは長男だけか」
苦悩を顔に浮かべて悩み続けたスラウは、諦観を顔ににじませて書類をしたため始めた。
「私は、ジンナスの街の発展のために動くだけだ」
言い聞かせるように告げて、スラウはその手紙を、己が最も信頼している部下に預けてグレイシャス家へともっていかせた。
手紙を届けるように言われた男は、怒気を必死に押し殺しながら町を歩いていた。
グレイシャス家。それはこの町の皆から嫌われている存在だ。この町を滅ぼしかけた巨悪。最悪の一族。目の上のたん瘤。
町を危機に陥らせながら領主の座に収まった男爵家を、彼もまた認めるつもりはなかった。
ましてや、先日目にした光景が彼をいら立たせていた。
オーガとリリスティアの狂気を感じさせる死闘。血を浴びながら、死を恐れる様子もなく魔物にナイフを突き立てるその怪物のような姿を見たことで「やっぱりグレイシャス家は化け物ばかりだ」という思いが強まった。
そんなグレイシャス家に、主人の頼みとはいえ足を運ぶ。もし自分がグレイシャス家の関係者とみなされたらどうするのだ――心の中で主人に罵声を浴びせながら、けれどそれを何とか取り繕う。
見えてきた陋屋は、以前目にした時よりもひどくさびれていた。
それは投げられた石などによって壁や玄関扉の傷がさらに多くなったからか、腐敗物などですっかり外見が汚れきっているからか。
「誰か!いないのか!」
悪臭が漂っている家に向かうことなく曲がれ右をして帰りたいのをぐっとこらえつつ、彼は扉の向こうに呼びかけた。
ノックをする気も起きない汚れた扉は開かない。いら立ちながら扉に手を掛ければ、あっさりと開いた。
ひどく不用心だと思いながら、彼は外と何ら変わらない冷え切った家へと入る。足の踏み場もない廊下だが、転がっているものを踏むのにためらう理由もない。そもそも大半がゴミ、一部のものだってグレイシャス家の品だと思えば躊躇する必要など感じられなくて。
男はあちこちの部屋を見ながら、目的の人物を探した。
果たして、その相手は寝室らしき部屋にいた。物の少ない部屋にあるのは大きなベッドと机に椅子、それからほとんど物のない棚。
足が一本折れた椅子に座る少年は、ベッドに横たわる人物をじっと見ていた。
「代官の遣いの者だ!ライル・グレイシャス宛の手紙を持ってきた!」
小さな背中に向かって叫ぶも反応がない。
男はいら立ちながらわざと大きな足音を立てながら歩み寄り、その肩へと手を伸ばして。
「……っ」
強い怒りの視線が男をとらえる。
目じりから涙が流れ、頬を伝っていく。
「何の、ようだよッ」
憤怒に瞳を焦がすその言葉に、男は何かを言い返そうとして。けれど視界に映る光景が、その言葉をためらわせた。
薄汚れたベッド。そこに横たわる、枯れ木のように細い女性。彼女は、もう――
「今さら代官が何の用だよ。最期の時さえぶち壊して、そんなに楽しいかよ、なぁッ!?僕たちが何をしたんだよッ」
服を握られ、慟哭を危機ながら、男はただじっとライルの頭頂部を見下ろしていた。
その肩が、拳が、小さく震える。
「何を、だと?」
戦慄く声には、ライル以上に激しい怒りがこもっている。
「何をしたといったか!?忘れたわけじゃないだろ!お前たち一族がしたことを!この町を、王国を滅ぼしかけた、そこに住む大勢の民を死なせかけたその悪行を、忘れたとでもいうのか!?」
「うるさい!僕たちがなにをしたのかって聞いているんだよ。ぼくが、フィリップが、姉さんが何をした!?何をすれば村八分にあって、囚われて、石を投げられて、食べるのさえ困難で、最期の瞬間に怒鳴り声を聞かなきゃいけないんだ。なぁ、教えてくれよ。話してみろよ。お前たちにどうしてそんな権利がある!?」
「ジンナスの町に住む者の皆に権利があるだろ!お前たちに殺されかけた俺たちにはなぁッ」
怒りのままに振りかぶった男の拳は、けれどライルには届かなかった。素早くしゃがんで避けたライルは、男の脛を蹴って悶絶させた。
憎悪に顔を染めた男は、ライルではなく、ベッドの法へと歩み寄る。シーツを引き、枯れ木のようなその体を床に落として足で踏みつける。
「……何を、してるんだよッ!?」
「罰だ。この期に及んでまだ罪を理解してないお前たちへの罰だ!これで少しはわかるか?お前たちはこんなことをされるほどの罪をしたんだということをッ」
「こんなことって……その酷さがわかっていて、どうしてそんなことができるんだよッ!?」
死してなおフィリップを貶めるその行為に、ライルは涙が止められなかった。その泣き顔に、男は気をよくして笑う。
「……動くなよ。動いたら、こいつがどうなるか――」
――わかるだろ、とそう言おうとして。
その瞬間、男は強く背中を押されて床に倒れこんだ。たたらを踏みながら怒りの形相で振り向いた男は、視界に映った人物を目にして息をのんだ。
強い怒りに涙をにじませる少女。タックルをした少女は、大きく両手を広げてフィリップをかばうようにしてそこにいた。
「……エルシー、様?」
代官スラウの娘、エルシー。家で軟禁されているはずの少女の登場に、男は茫然とその名を呼ぶ。
「何を、してるの。どうしてこんなことができるの!?」
「五月蠅ぇッ!どうしてだと!?こいつらが今度こそこの町を滅ぼさないように躾けるためだろうが!」
「嘘!嘘、嘘、嘘!ライルたちは何もしてないでしょ!」
「しただろうが。贋金を作ってヒルベルム王国と戦争を起こしかけて、今度は化け物オーガを町に引っ張ってきた。次は何だ?今躾けておかないと、次はどんな危機がこの町を襲うと思ってるんだ!?」
「うるさい、うるさい!この町を守ったリリスティアさんは、そんなことしてない!?だいたい、オーガの襲撃と金貨なんて何の関係もないじゃない!」
「……リリスティアさんと、そう呼んだのか?」
瞬間、男の空気が変わった。怒気は鳴りを潜め、ねばつくような暗い瞳がエルシーを捉える。
気圧され、体を震わせながらもエルシーはフィリップの前に立ちはだかる。
「……ああ、そうか。お前もその罪を理解しないとな。グレイシャス家の人間に与してる似非人かよ。ああそうだ、前からお前たちは気に食わなかったんだ。ただの平民なのに貴族顔をして命令をしてくるスラウも、貴族の娘のように贅沢に金を使うお前も……なぁッ」
「やめろよ!」
エルシーを殴ろうとした男を、ライルが止める。その膝を蹴られた男は地面に倒れこみ、けれど目の前にあるライルの足をつかんで引きずり倒す。
「この、クソがッ」
怒りとともに振り下ろされた拳がライルのみぞおちに沈む。のしかかられたまま、足を、腕を、顔を殴られるライルは動くこともできず、ただ攻撃を受けることしかできなかった。
そんなライルを救うべく、エルシーは勇気を振り絞って走り出す。
「やめてよ!」
「うるっせぇッ」
とびかかってきたエルシーは男の腕に跳ね飛ばされて、大きな音を立てて床にたたきつけられる。
「はは、ざまあみろ。お前はそこで自分の罪について考えて……ぁ?」
がっくりと、力を失ったエルシーは、はくはくと口を動かす。
その目は焦点が合っていない。床に打ち付けた後頭部から流れる血が額を伝う。
「……あ?死ぬ、のか?」
震え、よろめきながら、男はエルシーから距離をとる。ぎょろりと、うつろな目が男を追う。
這い上がる恐怖と、人を殺したという絶望に、男は狂った笑い声をあげながら走り去っていく。
「エ、ルシー?」
痛みに顔をゆがめながら、ライルはエルシーのもとへと這い寄る。必死に名前を呼ぶ。
「……ぶじ、で、よかった」
わずかに目を動かすエルシーは、必死に自分を呼ぶライルの声に笑みをこぼす。無事だと、大丈夫そうだと、告げるエルシーを前に、ライルは体を戦慄かせる。
「な、んで……」
「ねぇ、ライル」
「なんだよ」
「この町、わた、し、嫌いだよ――」
その言葉を最後に、エルシーは動きを止める。
その目は、もう、何も映さない。
「エルシー?なぁ、エルシー?エルシー!おい、エルシーッ!」
何度読んでも、肩を揺さぶっても、反応の一つも帰ってこない。
ぐらぐらと煮えたぎる感情を抱えながら、ライルは何度も何度も、少女の名前を呼び続けた。
ノックもなしに飛び込んできた男にいぶかしみながらスラウはにらんで。
「――しだ、人殺しだッ」
荒い呼吸そのままに、むせながら告げられたその言葉にスラウは言葉を失った。
「何があった!?」
男は、先ほどグレイシャス家に向かったばかりのはずだった。確かに手紙を届けたと、あるいはグレイシャス家の対応を報告に来るならまだしも、人殺しとは穏やかではない。
ライル・グレイシャスがとうとう殺されたのか――ごくりと喉を鳴らしたスラウは、続く言葉を待った。
「……ッ、ああ、あいつが、ライル・グレイシャスが殺したんだ!エルシーを、お前の娘を、殺したんだよッ!」
「…………は、ぁああ゛!?」
愕然と、次いで憤然と立ち上がって、スラウは男の襟をつかむ。
「冗談を言うな。エルシーは今屋敷で――」
「脱走したんだろ!俺は見たぞ!エルシーが殺されるところを!ライル・グレイシャスが殺すところをなぁッ」
その声に、スラウはヘロヘロと崩れ落ちる。うそ、だろ――床を見つめながら、茫然とつぶやいて。
「ッ、どこだ。グレイシャス家か!?今すぐに案内しろ!」
「ああ、すぐに来い!あの犯罪者を生きて逃がすな!」
娘が死んだという情報に動揺するスラウは、男が浮かべる醜悪な笑みと安堵の吐息に気づくことはなく、怒りのままに衛兵を呼び寄せてグレイシャス家へと走った。
その先、グレイシャス家には誰の姿もなかった。
ライルも、フィリップも、エルシーも、そこにはいなかった。
「探せ!絶対に見つけ出せ!」
そう叫ぶスラウの視界の端を、白いものが舞う。
早くも降り始めた雪に意識を向けることもなく、スラウは怒号を飛ばし続けた。




