11報告
口の中に苦いものが広がるのを感じながら、ノートンは努めて冷静に、ともすれば淡々と、リリスティアに報告を始めた。
「……まず、グレイシャス家は男爵へと降爵が決まりました」
耳を疑う話に、リリスティアは大きく目を見開き、睨むようにノートンの顔を観察した。そこに、嘘の気配はなかった。
「男爵家に、降爵?奪爵じゃなくて?」
リリスティアは、間違いなくグレイシャス伯爵家は爵位取り上げの刑が与えられると思っていたので、心から疑問の声を上げた。
ノートンも、内心は同じだった。
ヒルベルム硬貨の偽造の罪は重い。それこそ、一族郎党皆殺しになってもおかしくないほどの罪だった。にもかかわらず、降爵。予想外の情報を手にして、ノートンもまた情報提供者の発言を疑ったものだった。
顎に手を添えたリリスティアは、人差し指でトントンと肌を叩きながら考え続けた。もっとも、明らかに軽すぎる罰の理由として適当なものは思い浮かばなかった。
「……お母さまが王妃陛下の親友だから、ではないわよね」
「それはないでしょうな。いくら無二の友だとしても、ここで刑を軽くしてしまっては権威が失墜します。レスティナート王国としては、厳しすぎるほどの刑罰を与えることでさっさとグレイシャス家を滅ぼしてしまい、ヒルベルム王国に無い腹を探られるのを阻止するのが普通でしょう」
硬貨の偽造の罪で捕まったのはグレイシャス伯爵ただ一人。だが、このような大きな悪事を働くのに、彼がたったひとりで活動していたと考える人などまずいないだろう。そして、グレイシャス伯爵の協力者として疑われるのは、レスティナート王国の王侯貴族たちだった。
そして、レスティナート王国の対応が悪ければ、ヒルベルム王国が干渉してくるだけでなく、両国の関係悪化も考えられた。それこそ、戦争や、レスティナート王国という国が地図上から消える可能性もあった。
だからこそ、レスティナート王国は早急に対応し、グレイシャス家に重い罪を背負わせることでヒルベルム王国への謝罪の姿勢を示す必要があり、間違ってもグレイシャス伯爵をかばっていると疑われるような軽い刑罰を与えるとは考えられなかった。
つまり、軽い刑罰はレスティナート王国の本意ではない。
そうであれば、考えられるのは一つ。
「……レスティナート王国がグレイシャス家に下した軽すぎる処罰の裏には、第三者の関与があるかもしれないということよね。例えば、ヒルベルム王国からとか」
「その可能性は否定できませんが、これまでのヒルベルム王国の姿勢を考えれば可能性は低いでしょうな」
ノートンはリリスティアの意見に対して強く、確信を込めて首を横に振って見せた。
ヒルベルム硬貨は、ヒルベルム王国が世界に誇る国の宝であり、ヒルベルム王国を大国ならしめている最大の理由である。もしヒルベルム硬貨の価値が下がり、偽造貨幣が出回って共通通貨としての価値が失われたとしたら、ヒルベルム王国は大打撃を受ける。
だからこそ、これまでヒルベルム王国は貨幣偽造の可能性があれば国境を無視して兵を送り込んで強気の姿勢で臨んでいた。
そんなヒルベルム王国が、貨幣偽造を計画した一族の罪を軽くするなどありえないと、リリスティアもまた発言後に強くそう感じ始めていた。
「けれど、ヒルベルム王国以外にレスティナート国にそのような干渉が可能な国もないでしょう?」
そう、問題は王国の政治を左右するような圧力をかけることができる組織というのが、ヒルベルム王国以外になさそうだという点だった。
規模の大きさという点でいれば、例えば国境を越えた組織であるハンターギルドなどがあるが、魔物討伐を主な業務とする組織が一貴族の進退を決める罰に関して出しゃばってくるなど考えられなかった。
ため息を吐いたリリスティアは、頬にかかった髪を耳にかき上げる。もう三日も風呂に入れておらず、さらには高熱で汗をかいていたため、髪はひどく脂ぎっていた。
今更ながら自分の状態を思い出したリリスティアはわずかに頬を赤らめながら体を後方へとそらしてできるだけノートンと距離をとった。
年頃の少女らしい姿を見て、まだリリスティアは心を壊していないと判断できて、ノートンは少しだけ救われた気になった。
そして同時に、強い罪悪感に襲われた。
なぜならノートンは、先ほど報告した処分の件以上に重い話をリリスティアに告げなければならなかったから。
無意識のうちに強く握られた拳を見て、リリスティアはノートンの覚悟を感じた。
リリスティアは姿勢を正して、ノートンの言葉を待った。
ドクン、と心臓が鼓動を刻む音が嫌に大きく響いた。聞きたくない、けれど、聞かなければならない――
血の気が引くほど強く握った手の中、着っぱなしの制服のスカートがじっとりと湿っているのを感じながら、リリスティアはゆっくりと開かれたノートンの口をにらむように見ていた。
その鋭い視線を受けて、ノートンは重い口を開いた。
「旦那様が、公開処刑に処されます」
瞬間、すべての音がリリスティアの意識がから消えた。
リリスティアの顔から血の気が引く。全身が軋むように悲鳴を上げていた気がした。体はふわふわと宙に浮いているようで、次第に強くなっていく耳鳴りに、リリスティアは激しく顔をしかめる。
「……処、刑?」
震える声で、リリスティアは聞き返す。自分の、空耳かと。
果たして、ノートンの静かなうなずきを見て、リリスティアは全身を抱きしめるように腕で抱え、前のめりになってベッドの上から崩れ落ちた。
慌てて支えに入ったノートンのしわの入ったシャツを強くつかみ、リリスティアはパクパクと口を動かす。
言葉が、出なかった。ただ、無数の感情が浮かび上がっては、後から後から現れる感情に押され、泡沫のごとくはじけて消える。
言葉にできなかった感情が、涙となってリリスティアの頬を伝う。
「あ、うぁ……」
震える小さな体を、ノートンはためらいがちに、けれど強く、抱きしめた。
そして、リリスティアの感情が決壊した。涙はとどまることを知らず、けれどこの期に及んでも弟と母にこれ以上の心労を与えてなるまいと、リリスヒアは声を押し殺して泣き続けた。
そんな痛々しいリリスティアの姿を見て、話すべきではなかったかと、ノートンは強い後悔に襲われた。
けれど、告げなければならないことだった。今後、街で行動すれば処刑の話はきっとリリスティアの耳に入る。優しいリリスティアは、その情報を隠したとしてノートンを責めることはしないだろう。けれど、二人の間には確かな溝ができる。
協力しなければならない状態でリリスティアとの間に心の隔たりができることを、ノートンは良しとしなかった。――正確には、ノートンはリリスティアに嫌われることを恐れていた。
だから、リリスティアに嫌われる覚悟で、処刑の話を心の中に留めておくことができなかった。
小さく体を震わせながら静かに泣き続けるリリスティアを強く抱きしめながら、ノートンはこの期に及んでひどく自分勝手な己を罰するように強く唇を噛みしめていた。
こうしている間にも処刑の時間は刻一刻と近づいていた。
処刑は、今日、これから。
リリスティアの決断を、ノートンはじっと待ち続けた。




