フラマンタスの刃6
もはや追放同然だった。
だが、フラマンタスは恨みはしなかった。真紅の屍術師を斃す使命を貰い、逆にやる気になっていた。マリアンヌ姫と二人だけの旅になるかと思っていたが、石畳で舗装された街道で一人の男が木に背中を預けているのを見つけた。いや、目に入る位置にいた。カウボーイハットを被った彼を通り過ぎると、相手は追いかけて来た。
「何で、無視すんのよ!」
傭兵コモドは抗議してきた。
「顔見知りを無視したのは悪かった。ではな」
「御機嫌よう」
フラマンタスとマリアンヌ姫は歩き出す。だが、コモドがしつこく回り込んで来た。
「あのね、ギルバート神官長に頼まれて、俺も君らの旅に同行することになったのよん、お分かり?」
「危険な旅になる。私達が追うのは真紅の屍術師だ」
フラマンタスが言うとコモドは力強い笑みを見せた。
「一連のゾンビ騒ぎの首謀者をね。確かに一筋縄ではいかないだろうけど、俺は傭兵。依頼人の頼みごとがあれば任務を遂行する。大丈夫、足手纏いにはならないよ」
コモドはそういうと馴れ馴れしくフラマンタスの背を叩いた。甲冑が鳴った。
「それにあんたにもしもがあったら、片付けられるのは俺ぐらいなもんよ」
コモドはそう言うと胸を張った。
そうか、俺がゾンビ化しないという保証は無いんだな。フラマンタスはそう考え、コモドの技量を推し量った。飄々としているが、やる時はやる男だろうか。それに短剣の二刀流はなかなか目にしない戦い方だ。それだけで各地を渡り歩いて来たのなら、有事の際フラマンタスの首を刎ねることができるかもしれない。
「フラマンタスさん?」
マリアンヌ姫がどうするのか尋ねてくる。
「コモド、君の力を借りよう」
「そうこなくっちゃ!」
コモドは人好きがする笑みを浮かべて二人に並んだのであった。
二
夕暮れは過ぎ現在の時刻は八時。すっかり遅くなってしまった。
衛兵ダニエルは二十六歳の若者でその性格が現すように実直な人柄だった。隣町まで馬を飛ばして用事を済ませて来たが、こんな時刻に帰宅になるとはと嘆いていた。とっくに彼の仕事の定時は過ぎている。今頃、夜勤の同僚達が詰め所にいるだろう。ああ、さっさと帰って風呂に入って、麦酒でも飲んで、読みかけのミステリー本を見つつ、ゆっくりと貴重な夜の時間を使いたかった。
門は開けられていた。
同僚の番兵が二人配置されているはずだが、いなかった。
何かあったのだろうか。その不安を大きくしたのが、町に灯りが一つも無いことだった。
嫌な予感がする。どうする、戻って応援を呼ぶか。
ダニエルは腰の長剣の手を掛けた。
と、前方からふらりふらりと歩んで来る影が見えた。
何だ、いるじゃないか。
ダニエルは馬を進めた。
暗くて相手の顔は見えない。
だが、気味の悪い、声にならない様な儚い声を出している。
「一体どうしたんだ、街は暗いし」
と言ったところで相手が凶暴な声を上げた。
ダニエルは心臓が止まるかと思った。
馬が悲鳴を上げる。そいつは馬の喉に噛み付いていた。
「おい、何している! やめろ!」
ダニエルは馬を下りて男を突き飛ばした。
相手はよろよろ下がり、そしてこちら目掛けて耳をつんざくような声を上げて襲い掛かって来た。
「酔っているのか!?」
だが、ダニエルは驚いた。相手の顔はまるで化け物だった。大口を開き、歯を剥き出しにしている。何らかの異常だ。だが、ダニエルは剣を抜けなかった。町民だ。保護しなければ。生真面目で情け深い若者の気持ちを相手は蔑ろにした。
ダニエルの腕に噛み付いてきたのだ。
その歯が薄手の制服の袖を突き破り、皮を破り、肉にまで達していた。
ダニエルは絶叫こそしなかったが、凄まじい痛みと、この狂った人間、どうやら性別は男が、何かしらの病気に掛かっているのだと決めた。
ダニエルは男を蹴飛ばした。
馬はいなかった。
ダニエルは町へ走った。
暗い町の中なのに人手が多かった。どいつもこいつもゆらゆら、よろよろ蠢いていた。それらが攻撃的な咆哮を上げた時、ダニエルは後悔した。彼はゾンビ達に囲まれていた。
噂の真紅の屍術師が留守中に現れたらしい。
「うわあああっ!」
ダニエルは包囲の一角を崩し、駆けに駆けた。詰所の扉なら頑丈だ。勇敢なダニエルは冷静でもあった。これだけのゾンビ達を相手に一人で片を付けられるほど力を持ってはいない。
暗闇をダニエルは駆ける。途中、幾人ものゾンビ達が彼を見送っていた。息が切れそうだったが、神経が高ぶり、それどころではなかった。ダニエルは思い出していた。ゾンビに噛まれた者はゾンビ化する。
ダニエルは発熱と寒気を感じていた。角を幾度も曲がり、ゾンビ達を振り切り、詰所へようやく入り込んだ。
扉を閉め、鍵を掛けた。
そうして疲労のためにどっかり床に腰を下ろしていた。
か細い息遣いが、聴こえる。そしてゾンビ達の虚ろな声もどこからか響いてくる。
俺は後どのぐらいもつのだろうか。ダニエルは身震いと不安な気持ちに押しつぶされそうだった。
助けはきてくれるだろうか。それとも何も知らない旅人が犠牲になったりしないだろうか。
と、一瞬、自我が途切れるのを感じた。自分の中に誰かいるような気分だ。
「頼む、助けてくれ。誰か」
ダニエルは神に祈るしかなかった。