フラマンタスの刃
昨夜から未明に降った大雨で、剥き出しの土の街道は、踏み固められた馬車の轍の中に水溜まりを作っていた。
フラマンタスは街道から深く入った巨木の樫の根元で雨をやり過ごし、陽が上ると出発した。
フラマンタスは歩んでいる。鉄製のレガースが一際大きな水溜まりの前で立ち止まる。
泥で濁ってはいるが水溜まりというものは、掻き乱さない限り、何ら他の水面とは変わらない。抜け目の無い鉄製のフルフェイスの仏頂面を映し出していた。彼は歩く。甲冑が鳴る。バイザーの奥からは彼の目の瞬く音と息遣いが聴こえた。
そろそろ目的地だ。来るなら来ればいい。
フラマンタスの受けた依頼は悪意蔓延る村から、生存者を救い出すことだった。既に救えないものは殺しても構わない。気まぐれな真紅の屍術師の仕業だと逃げ延びて来た男は言ったが、彼もまた不浄なるいたずらの犠牲者だったらしく、程なくして自我を無くし、死人の顔に虚ろな表情を宿して薄気味悪い唸り声を上げて、変異を遂げたところをフラマンタスの十字剣によって一刀にされた。
教会より授かりし十字剣。両手持ちの剣であった。だが、鍔の左右が十字を示すようにやたらと長い上にここも刃となっている。いつか世話になる時が来るのかは分からないが。
フラマンタスは歩む。動く鉄の壁と彼を呼ぶ者もいる。
目的の村が見えて来た。
犠牲者達は腐臭を放ち、彷徨っているだろうか。
村は石壁に囲まれている。二メートル五十を超える、巨漢の中の巨漢、フラマンタスの胸辺りまではありそうだ。肉を食べミルクを飲み、剣を振り、外を駆け、そして眠る。幼い頃から教会戦士に憧れていたフラマンタスはずっとそんな生活を送っていた。ただそれだけのことなのに、オーガーやオーク、トロール、ジャイアントと、でかい魔物の名で陰で呼ばれていたのを知っている。
鉄格子の門扉は開け放たれていた。
藁ぶき屋根の貧相な木の家屋が点在している。
「これより、任務に入る」
誰も聴く者もいない、静寂の中、フラマンタス自身の低い声だけがやけに大きく聴こえた。
だが、分かる。間もなく自分の声を凌駕する、恐ろしい声達が敵意を剥き出しにして自分へ襲い掛かって来ることを。
フラマンタスは歩んだ。
家屋の脇を通り過ぎようとすると、ヨロヨロと人が姿を見せた。
布の服は破れ、あちこちから出血の痕がある。
そいつは顔を上げた。女だった。濁った眼球が見開かれ、次の瞬間、耳を塞ぎたくなるような人間離れした咆哮を上げた。
手を挙げ、歯を剥き出しにしフラマンタスに掴み掛かろうとする。
フラマンタスは十字剣を抜きざま、下段から振り上げた。
腐肉はざっくりと切り裂かれ、真っ二つになった女は己の血の中に斃れた。
と、静かだった村のあちこちから次々、けだもののような吼え声が上がった。
フラマンタスの心は乱れない。全身を覆っている甲冑に安心しているわけでも無い。ゾンビの掃討など幾らでもあった。そのための教会だ。
今回の任務は生存者の救出と、犠牲者の掃討。あいにく相棒は無い。今回に限ってではない。フラマンタスはいつも独りだった。
前方から無数のゾンビ達が駆けてくる。手を振り上げ、声を上げ、十人ほどだろうか。知性に乏しいゾンビだが、人間は襲ってもゾンビは襲わない。それだけの判断力、いや本能はあり、集団で襲うこともある。
教会戦士は剣を顔の前に掲げる。神に祈りをささげた後、肉薄して来るゾンビ目掛けて斬り込んだ。
幾つもの凶悪な顔、声がちらつきながら、十字剣の下に腐った肉の塊として斃れて行く。
フラマンタスは冷血漢ではない。善良だった村人達をこうまでした真紅の屍術師が憎かった。奴の目撃例は最近増えている。そしてこの村人達のようにアンデットと成り果てた化け物の数も増えている。教会も王国も真紅の屍術師を追跡し、葬ることを布令している。哀れなゾンビ達はその過程でもう一度殺されるのだ。ゾンビの猛襲をそれぞれ一刀の下に片付けていると、側の扉が開き、新たな女のゾンビが飛び出してきた。
フラマンタスは前方のゾンビ達を裂きつつ、片腕を腰のベルトに提げられている十字短剣に手を掛け、駆け出してきた敵対者に向かって投げつけた。
十時短剣は女の顔面に深々と突き刺さり、頭の後ろまで貫通していた。フラマンタスはそれを確認してはいない。だが、確信はしていた。修羅の中で培ってきた戦闘技術と勘は仲間の存在よりも当てになる。
道が開けた。フラマンタスは斃れた女の顔から十時短剣を抜き、腰のベルトに提げられた布で血を拭った。
フラマンタスは女が飛び出してきた家屋の中へ入った。
中は外見通りの貧相な雰囲気を表すものだった。早いところが殺風景だ。しかし、一つだけ目につくものがあった。窓際に置かれた花瓶に生けられた白い百合の花だ。
ここにも日常はあったのだ。平和で温かな。
フラマンタスは引き返しざま、剣を振るう。感傷にも浸らない。フラマンタスは悪意を背に察知していた。
が、それは女だった。手に包丁を持っている。目はしっかりしていた。
「落ち着け、君達を助けに来た」
フラマンタスが言うと、少女から大人になったばかりのような、あどけなさの残る女は、腰を抜かしていた。
「赤い奴が、皆を」
「分かっている。君は逃げなさい。いや、待って。生存者は他にいるのかい?」
「分からない。あ、でも、井戸の中から音が、あれはクシャミかしら聴こえたわ」
赤く長い髪を、心を落ち着けるように触りながら彼女は言った。
「行ってみよう。君は逃げなさい」
「でも、ゾンビ達が」
「入り口まで送ろう」
「やっぱり大丈夫、一人で行けるわ。私はルカ。あなたは教会戦士さん?」
「その通りだ」
「ありがとう戦士さん」
ルカは駆けて行った。門扉はすぐそこなのでフラマンタスは彼女が離脱するのを見送った。
そして任務へ戻る。井戸の場所を尋ねるのを失念していたことに気付いた。
ある家の戸を開けると、そこは食事の真っ最中だった。五体のゾンビが一人の死体を貪り食っていたが、それぞれがゆらゆらと立ち上がる。
フラマンタスは一旦外に出ると、こちらへ向かって駆けてくるゾンビ達目掛けて扉を思いっきり閉めた。
扉がゾンビにぶつかるのを音と声で確信すると、すぐさま開ける。十字剣を鞘に収め、十字短剣を手にしていた。
ゾンビ達は、よろめき体勢を安定させるところを手こずっている。フラマンタスは十字短剣を突き出し、側の一人の首を刎ね、次々斬り込んで行った。と、食われていた男が立ち上がった。土気色をし、腹部は大きく抉られ、血が滴り落ちていた。
虚ろな声を聴くや、フラマンタスは短剣を相手の顔面に突き刺し、捩じって引き抜いた。敵はそれっきり起き上がらなかった。
再び十字剣を抜き、村を闊歩する。井戸はどこだ?
その最中、屋根から跳び下りて来たゾンビを斃した。
西側に目的の物があった。
フラマンタスは気を抜かず歩みを早める。
井戸の底を除いた。水面が揺れている。
「誰かいるのか? 助けに来た」
と、水の中から男の子が顔を出した。
「助けて戦士さん、ボクを安全なところまで連れて行って」
「約束しよう。縄に捕まって」
男の子が縄に捕まるのを見ると、フラマンタスは縄を引っ張り始めた。滑車が揺れ、擦れる音を上げる。
と、凶悪な声が村中に響いた。
「奴らだ!」
男の子が言った。と、縄から手を放してしまったらしく水の中へ落ちて行った。
総勢三十体のゾンビがゆらゆら、よろよろ、駆けて来ている。
「少しそこで辛抱していてくれ」
フラマンタスはそう言うと十字剣を手にゾンビ達の中へ突入した。
次々、見える、血と、目。そして声。怒れる剥き出しの歯。
フラマンタスは修羅になり、ゾンビ達を斃していた。どのゾンビも首から先をきっちり断たれていた。これがゾンビの、アンデットの正当な対処法だった。不浄なる返り血が銀色の甲冑を染めていた。
「君、もう大丈夫だ」
すると男の子が顔を出した。
「本当に?」
「ああ」
男の子がロープに捕まると、フラマンタスは再び引き上げ始めた。
やがて男の子が外に出ると、フラマンタスは目の前の光景を見せてしまった愚かしさを感じた。場所を選ぶべきだった。ゾンビどもを誘導して、そこで戦うべきだった。
「すまない。こうするしか無かったんだ」
フラマンタスが男の子の頭を撫でた時だった。
男の子が振り返り、唸り声を上げた。
目が濁っている。
フラマンタスはその首を横合いから剣を薙ぎ分断した。小さな頭が転がり身体が倒れて血の海に沈む。
井戸水も汚染されていたのだろう。非道な。
フラマンタスはその後も捜査を続けた。
老若男女のゾンビを斬り捨て、家屋を捜索するが、生存者はいなかった。
彼は一息吐き。村を後にすることにした。
「ウフフフッ」
門扉が見えて来たところで背後から女の笑い声が聴こえた。
フラマンタスは慌てて振り返った。
そこには真紅の法衣に身を包み頭巾をかぶった者が立っていた。顔には仮面がつけられている。道化の面だ。微笑んでいる。
「たった一人で、お見事でした」
相手は嘲笑うようにそう言った。
「お前が真紅の屍術師か! 何故このようなことをする!?」
フラマンタスは怒りで我を忘れそうになったが、相手の返答を待った。
「この世界は平和に浸かり過ぎていました。そろそろ混沌の時代を迎えないと、面白くありませんからね」
「まるで神にでもなったような物言いだな!」
フラマンタスは斬りかかった。
だが、相手はひらりと跳躍して背後に回った。
「ちっ」
フラマンタスがもう一度斬りかかろうとしたとき、真紅の屍術師は言った。
「この世界の不浄なる混沌をあなた方がどう収めてゆくのか、楽しみにしてますよ、教会戦士フラマンタス」
フラマンタスは短剣を投てきしたがそれは真紅の影をすり抜け地面に落ちた。
少し待ったが、もう奴は姿を現さなかった。ゾンビの声も無い。
フラマンタスは十字短剣を拾い、鞘に納めると、十字剣を右手に持って、神に祈りを捧げた。
だが、内には沸々と真紅の屍術師を始末できなかった悔しさが煮えたぎっていた。
殺してやる。必ずな。貴様は名指しで俺を呼んだ。それが間違いだったことを教えてやる。断末魔の叫びと共に。
こうして任務を終えた教会戦士は報告のために来た道を引き返したのだった。