ウィトウルカの憂鬱
これは未だ語られぬ、とある世界のお話。
ウィトウルカは頬杖をついていた。
彼/彼女が鎮座する其処は、世界中の人々が崇める霊峰、その最深部。
最深部、とはいってもそれは誰もが思い描く単純な行き止まりではなく、現世から最も深い場所、隔離された場所であって、つまりは太古の神秘が息づく、常人には到達しえない領域を意味するのであった。
そんな実在するかもあやふやな場所に、けれどもウィトウルカは確かに存在した。
己の始まりなど遥か遠く、それこそこの星、この世界の始まりからウィトウルカは存在しているのであり、そしてこれからも存在し続けなければいけないのだった。それが、己の使命、役割だということを、ウィトウルカは生まれた瞬間から理解していて、それを破ろうと思ったことは一度たりとて無かった。
ウィトウルカの使命は、「記録」。ただその一点のみだった。
星の始まりを記録し、その道行きを記録する。その為だけに彼/彼女は生まれ、それ以外の能力などそもそも具わっていなかった。
言わば、システムだ。万が一の為に記録を保存し続ける、星の存続のためのシステム。世界を存続するための、ちっぽけな歯車のひとつ。
……いいやもしかすると、この星に万が一が起こらなければ歯車の一つにだってなれやしない、ある意味どうしようもなく無価値な存在。
だからウィトウルカの本来の姿は、きりきり、きりきりと微かに鳴る、何にも繋がらない、一つっきりの半透明の歯車という、どうしようもなく頼りないものだった。
そんな、本来の姿を取ることなく――すべては無意味だというのに――彼/彼女は、人の姿を取っている。
すらりとした体躯に、女性とも男性ともつかぬ美しいかんばせ、ゆったりとした服の背には、いつ手入れしたかすら定かではない銀の髪。
それは床の方にまで広がっているのに、彼/彼女は全く気にする素振りも見せず、机の上の鏡のような物体、そこに次々と現れては消える映像を、只々ぼんやりと、そしていかにもつまらなそうに眺めているのであった。
別に、ウィトウルカには、それを見続ける必要性は一切ない。何もしなくとも存在しているだけで、世界の記録は彼/彼女に蓄積されていく。
けれどある時から、彼/彼女は人の姿を取るようになり、自動的に蓄積されるそれらを、鏡を通して気まぐれに「視る」ようになった。
そしてため息をつく。嗚呼、繰り返しばかりだ、と。
人は繰り返す。集まり、離れ、殺し合い、少なくなったり、また増えたり。
細かな違いはたくさんあったが、世界の始まりからずっと、この世界というものを知っているウィトウルカにとって、それらは大した違いではなく、故に彼/彼女の口からため息以外のものが漏れ出ることはここ数百年一度もなかった。
ウィトウルカは鏡から目をそらし、疲れた様に顔を伏せると、薄い青の瞳をそっと閉じる。
そして、とある存在を思い描く。
この不可思議な空間から出たことの無いウィトウルカにとって、唯一質量を持って、その存在を思い返すことのできる――そう、多分、友、と呼べる存在。
ある日突然、ウィトウルカの領域に飛びこんできた彼女は、輝く金髪をなびかせ、その背に純白の翼を携えていた。
そして優雅に降り立つと、きりきりと鳴る歯車――意思や存在感すら希薄だった、歯車のウィトウルカに向かって、こんなことを言い放ったのだ。
「嗚呼、やっぱり! ここを通るたびに、うっすらと同胞の気配を感じていたのだけれど、うふふ、こんなところに居たのね! こんにちは、お仲間さん。良ければあなたの名前をお聞かせ願える?」
『―――――』
初対面にもかかわらず、笑顔で、しかもものすごく親しげに話しかけてきた彼女に対し、ウィトウルカは困惑し、しばらく絶句したものである。
それから彼女は、気まぐれにここを訪れるようになった。
いつも笑顔で、はきはきしていて、夢見がちで、楽しそうな彼女。
ウィトウルカは世界のすべてを知っているから、彼女の事だって昔々から知っていた。
例えば、彼女が背負った使命。ウィトウルカの使命が「記録」だったように、彼女もとある役割を負って、この世界に生まれ落ちた。けれどその内容は、ウィトウルカとは性質が違うもので。
一言で表すならばそれは、「『母』となること」だった。自分に連なる一種族をつくり、育て上げること。
それは終わりのないウィトウルカの使命と違って必ず、どこかに区切りが来るもので。
彼女は自分と同じく翼を持つ人類の母となり、彼らを立派に育て上げ、そして手持ち無沙汰になり、世界中を気まぐれに彷徨っている最中だったのだ。
けれどいくらそういう知識を持っていても、彼女が自分の隠れ家に来てどんなふうに振舞うかなんてことは知る由も無かったし、考えたこともないことだった。だってここには今までずっと、ウィトウルカしか居なかったのだから。
知らぬ間に流れ込んでいる世界の記憶と、目の前で楽しそうにおしゃべりをする彼女。
どちらもこの世界で起こっていることであって、つまりそれらはウィトウルカにとって全く同じことの筈なのに、彼女が訪れる度、そしてその話を聞き、そのしぐさを眺める度、ウィトウルカは自らを構成する何かが震えるのを感じる。
それは今までに感じたことの無い感覚で、ウィトウルカはひたすらに戸惑っていた。
けれどもそれが悪いものであるかと言われれば、そんなことは無く。
気付けば彼女が次はいつ訪れるだろうかと、心待ちにしている自分に、気づいてしまったり。
「それはね、ウィト。『楽しい』って言うんじゃないかしら?」
『―――楽しい?』
「そうよ、ウィト。そうね、例えるなら、色んな人々、色んな動物が、こう、笑顔になって、うきうきして、大好きでたまらないって表情で、くるくる踊るような、そんな感情のこと!」
『よく、分からない』
「あらそう? うーん、そうね、ウィトは歯車だから、表情……とか、ちょっと分かり難いかしらね。そうだわ、あなた試しにちょっと人の形を取ってみなさいな」
『いきなりだな』
「うふふ、『善は急げ』って言うじゃない? きっと簡単なはずよ、だってあなたはこの世の誰よりも物知りなんだもの!」
『―――……そうは、いっても』
ウィトウルカは困惑を深めて、けれども目の前の彼女が、きらきらと、期待したように、こちらを見るので。
目の前の彼女をじっと見つめて、ウィトウルカは生まれて初めて、必死に、自分が知らない何かを思い描き、それを実行に移した。
地に足をつける、初めての感覚。閉ざされた視界に戸惑い、瞼が閉じていることに気付き、ぎこちなくそれを動かす。
歯車の時とは違う視界にくらくらしながら、その二つの瞳で初めて見たものは、先ほどより一層きらきらと瞳を輝かせ、同時にどこかおかしそうに微笑む彼女の姿だった。
「うふふ、ウィトったら、私の姿を参考にしたの? なんだか私、あなたの母か姉になったみたいで楽しいわ!」
「……『楽しい』?」
「そう、楽しいの。だって、見てご覧なさいな」
彼女はウィトウルカの手を優しく引いて、隠れ家の端にひっそりと存在している、一片の揺らぎも無く凪いだ湖に、二人の姿を映す。
そこにはよく似た一対が居た。
片方は金髪ならばもう片方は銀髪。美しい女性の顔と、よく似た、けれど女性とも男性とも取れぬ中性的な美貌に、濃い青と薄青の瞳。ゆったりとした一枚布で出来た服は細かな意匠は違えどもその大部分はよく似ていて、それが一層、彼らを一対らしく見せていた。
「ほら、ほら! よく似ているでしょう?」
「……似ていると、楽しくなるもの?」
「そうねえ、相手によるかもしれないけれど。あなたみたいな可愛らしい友人とお揃いなのは、とっても楽しいし、嬉しいわね!」
「『友人』?」
「あら、違った? 私はずっと、そう思っていたけれど」
「……いや」
友人。
ずっと昔から知っている響き。
それが自分と誰かとの関係を示すもので使われるなど、嗚呼、そんなことが。
「あら、ウィト、今笑った? 笑ったわね!?」
そんな風にはしゃぐ彼女のことを、ウィトウルカは昨日のことのように思い出せる。
――それが仮令、今を生きる者たちから見れば気が遠くなるような、遥か昔の出来事だったとしても。
彼女がやがて、人間という、数いる種族の中でも最もか弱い存在と添い遂げ、白く冷たいただの「もの」となり果て数千年経っていても、今でも、鮮明に。
ウィトウルカは目を開き、ため息をつきながら身を起こす。その際、肩から髪の一筋がさらりと零れ落ち、なんとなくそれを見る。
彼女が甲斐甲斐しく梳り、楽しそうに結い上げ、飾り付けていたそれは、手入れをする相手が居なくなった今、荒れ放題の伸び放題だった。尤も、此処に訪れる者など彼女以外には一人もいなかったから、それでも何ら問題は無いのだけれど。
ため息をつき、世界を映し出す鏡を見る。
こうして自らの瞳で世界を覗き始めたのも、彼女がきっかけだった。だって、彼女があんまりにも、世界で見聞きしたことを、楽しそうに話すので。
「―――この翼はね、生を豊かに彩るためのもの。広い世界を見て、沢山の人と出逢って。そりゃあ足だって素晴らしいものだけど、でもこの翼が無ければウィト、私はあなたにも出逢えなかったわ」
遠い記憶の中で、彼女は軽やかに笑っていた。
けれどその後、彼女は眉根を寄せて、小さくこう呟くのだ。
「……私は子どもたちに、世界の広さを知ってほしい。自分たちの生まれた場所が全てではなく、外には広い世界が広がっていて、色んな人々が居て。そういうことを知ってほしかったから、私は……、だから、この翼は、人を見下ろす為にあるものではないのに」
その意味は、よく分からなかったけれど。
でもきっと、同胞の中でもずっと、「終わり」を選択しなかった彼女が、それでも自らを終わらせた理由は。
きっと、彼女の愛する子どもたちを想ってのことなのだと、ウィトウルカは目を伏せる。
己の中にある虚ろな穴に吹く風、喉元から出そうになる無意味な叫び―――嗚呼、如何して自分は彼女を引き留める理由にはなり得なかったのだと、そういう、どうしようもないものを押し込めながら。
ウィトウルカは自分の感情に鈍感だ。そもそも自分にも感情があるのだと気付いたのは彼女と出逢ってからのことで、それも彼女にまつわる「楽しい」だとか「嬉しい」だとか、そういうものばかりで。
だから、これが「寂しい」のだと気付いたのは、彼女が「終わり」を選んでからいくらも経った、つい数百年前のことで。
でも、気付いたから何だというのだろう。
ウィトウルカは「終わり」を選べない。選ぶつもりもない。どんなに打ちひしがれ、身体がばらばらになりそうな強い感情が、彼/彼女の内側を劈いたとしても、それだけは決して。
そうしてウィトウルカはこれからも、自分以外誰もいない、誰が訪れることもない静かな隠れ家で、世界を記録し続けるのだ。これからも、変わらず、ずっと。
「――――――……」
一人、ひとり、独り、で。
ずっと、此処に、居続ける。変わらず。
当たり前だ。だって、ウィトウルカは記録し続けなければならない。
それ以外のことなどする必要も無くて、しては、いけなくて。
「ウィト?」
その時。
もう居ない彼女の、やさしい声が聞こえた気がして、ウィトウルカははっと振り向く。
当然そこには誰も居なくて、けれど、何かが引っかかって。
彼/彼女は、世界の記録―――いや、それとは少し違う、記録者としてではない、たった一人の「ウィトウルカ」として体験した、彼/彼女自身の「記憶」の海に潜り込む。
……そしてそれは、まるでこの時を待っていたかのように、幾らもしない内に見つかった。
眼裏に蘇った彼女は、相変わらず笑っていたけれど。
けれどそれはいつもと違って、優しく慈愛に満ちた母親のような、愉快な悪戯を考えるお転婆娘のような、これから自分が遺していくものをいとおしむ、老人のような。
そんな、ウィトウルカが見たことの無い何かを内包するような、不思議な笑顔だった。
「ねえ、ウィト。人ってね、変化する生き物なのよ」
間違いなく一度は見たことのある場面の筈。それなのにウィトウルカは食い入るように彼女を見つめ、その唇が紡ぐ一音一音に聴き入っていた。
「人は生まれて、老いて、前の人が育んだものは、また次の人に受け継がれていって。一見、繰り返しに見えるかもしれないけれど、それでも人は、ゆっくりゆっくりと、前に進んで、進化する。ううん、きっと人だけではないわね。動物も、植物も、この世に生きとし生けるものは全て、きっと、そうなのだわ」
だからね、ウィト。彼女は囁く。
「人が、生き物が、世界が、私たちの手を離れて、自分の足で人生を歩み、変化し続けるのならば。―――『始まり』である私たちだって、きっと、変化するものなのだと。ただ礎となり、古いものとして消えるのではなく、誰にも知られず、人知れず孤独を抱えて存在し続けるのでもなく。変化して、変化し続けて、そうして世界に寄り添いながら、鮮やかな生を歩んでも良いのだと、そう、思わない?」
「……ぁ」
ウィトウルカは呻く。記憶の中の彼女は、過去の彼/彼女が首を傾げたのだろう、同じように首を傾げて、それからくすりと笑った。
「よく分からないって顔ね? 別に良いのよウィト、分からなくても。分からないのはきっと、その時ではないというだけ。……でも、でもね。あなたの膨大な記憶の、ほんの端の端くらいで良いから。お願いだから、私が話したことを、きっと、覚えていてね」
彼女はゆっくりと近づいて、ウィトウルカの顔を覗き込み。その身体を、己の懐にそっと、抱き込んだ。
「ねえ、ウィト。ウィトウルカ。永遠を生きる、私の気高いお友達。ごめんなさい。ありがとう。あなたにもし、この美しく寂しい場所から一歩、踏み出す瞬間が来て。その時に、私の言葉が少しでも、その背を押す助けとなれたならば。私は、あなたの友人として、こんなに嬉しいことは無いわ」
「――、―、――――………」
ウィトウルカは嗚咽する。それは彼/彼女の長い永い生の中でも、初めてのことだった。
思い出した。彼女の言葉を。
彼女は確かに、そんなことを言っていた。言っていたのだ。
彼女はそのすぐ後に、その生を閉じた。
ただの「もの」になって、物言わぬ白い化石になって、ずっとずっとウィトウルカの手が届かない、遥か遠い場所に、その遺骸だけが在って。
それが「辛くて」、「悲しくて」、彼/彼女は無意識に、その記憶を封印し続けていたのだ。
今にして思えば、あの言葉は彼女の為のものではなかった。
あれはまさしく、彼女が、ウィトウルカに贈った言葉だった。
だって、あんなに明るく自由奔放に生きていたのに、彼女は最期、礎となって死んだのだ。
鮮やかな生をウィトウルカに語った直後に、そうして生を手放したのだ。
なんて酷くて、なんて、勝手で、なんて―――彼女らしい。
ウィトウルカの同胞で、その始まりから変わらずこの世界に在る者は、最早ほとんど存在しない。
彼女のように「終わり」を選ぶ者、その姿形を変えて世界を漂う者、自らを砕き、死に絶えた大地の土壌となった者。
彼/彼女らが背負って生まれてきた「役割」の大半は、今、この世に生きる者たちの「始まり」を築くことで、それさえ終えればあとは自由だとも言えて。
元々、その使命に終わりのないウィトウルカとは、根本的に違うのかもしれない。
嗚呼、けれど。それでも。
――良い、のだろうか。
赦されるだろうか。
「記録」を使命とするウィトウルカが、「記録」だけじゃない、自らの「記憶」として、彼女が語った世界を、この目に焼き付けたいと願っても。
そして叶うなら、ほんの少しで良いから、彼/彼女が良く知る物語、この「世界」の登場人物として、自らの存在を記録してみたいと、欲を抱いてしまっても。
ウィトウルカは悩んで、悩んで、何度も何度も足踏みして。
そうして、本体から少しだけ、自らの存在を切り離した。
どうせなら、楽しいものにしたい。「笑顔になって、うきうきして、大好きでたまらないって表情で、くるくる踊るような」、そんなものが良い。そうだ、宝探しなんてどうだろう。記録の中で、幼い子らが夢中で探していた、あの遊びは。
嗚呼、それに叶うなら、同胞たちのことだって、忘れないでいてほしい。
中にはもう、痕跡すら残ることなく、遥か昔に忘れ去られてしまったひともいるけれど。けれど、ウィトウルカだけは知っている。彼/彼女らが苦労して、尽力して、時には己の存在全てを犠牲にしてでも、この世界を形作ったことを。
そしてそれを伝えられるのは、ウィトウルカしか居ないのだ。
ウィトウルカは微笑う。それは久方ぶりの、そして彼/彼女にとっては最大限の笑顔だった。もし彼女がそれを見ていたら、瞳を大きく見開き、あら珍しい、なんて言っただろうくらいの。
ウィトウルカは彼女の真似をして、その背に、白銀の大きな翼を拵える。そうしてそれを広げ、彼/彼女は生まれて初めて、自らの隠れ家から飛び立った。
これからの自分の行い、新たな「始まり」に、うきうきとした、快い感情に、身を浸しながら。
◆◆◆
そこは幾多の神が存在する世界。
彼等は「原初の神」と呼ばれ、それぞれの場所、それぞれの国で祀られていた。
その世界の各地に、突如として奇妙な建造物が確認され始めた。
それは何の予兆も無く、気が付けばそこに在るのだという。
それは、大きさも見かけも様々だったが、一言で表すならば、「門」のような形をしていた。興味を抱いた人々が、その「門」に足を踏み入れると、一瞬で別の場所に飛ばされ、着いた其処は、地上では見たことのない程、複雑怪奇な迷宮になっていた。
迷宮は進めば進むほど簡単には前に進むことが出来なくなっていき、更には襲い掛かってくる不気味な生き物なんかも確認され始め、これは一番奥に行くのは大変な労力が必要だと、誰もが理解した。
彼らが困り果て、「脱出したい」と念じれば、どのような仕組みか、幸いにもすぐに迷宮の外に出ることが出来たのだが。
当然、危険だから立ち入り禁止にしようとか、そんなことにはならないもので。
やがて装備を整え、本格的に迷宮攻略に乗り出す者たちも増えていき、「門」の周りは次第に活気づいていった。
しかし最深部へ到達できた者は数える程。そして戻ってきた者たちの言葉によれば、ただ単に一つの迷宮を攻略したとしても、それで終わりではないらしい。
迷宮の最深部では、その迷宮に応じた加護が得られ、運が良ければ貴重な財宝なんかも手に入れることが出来る。そしてそれに加え、地図や暗号のような、つまりは「次」を指し示すものが、手に入るのだと。
そして仮に「次」の場所を突き止め、そこを攻略したとしても、その「次」が指し示される。それは何度も繰り返され、また迷宮の難易度もどんどんと上がっていき、最終的に何処に行き付くのか、実際に確かめられた者は誰もいない。
この謎めいた「門」、そして迷宮は、人々の冒険心、探求心をくすぐり、今日も世界中の冒険者が、まだ見ぬお宝、迷宮の秘密を求めて日々攻略に精を出している。
では、誰がこの「門」を出現させ、何の目的で迷宮攻略を人々に仕向けているのか。
一説によれば、これは「原初の神」の一柱、昔々からその存在のみが噂されていた、とある神の御業なのではないかという。
冒険者とともに、とある迷宮に挑んだ考古学者によれば、迷宮の中にはそのほとんどが不明瞭であった「原初の神」についての遺物が多く存在しており、その一つ一つが非常に歴史的価値の高いものであったという。
そして最深部で得られる「加護」についても、それぞれの迷宮に応じた「原初の神」にまつわるものであり、そして迷宮によっては、人類には存在すら認知されていなかった、けれども確かにそのような神が御座したのだと無意識に理解してしまうような、旧き神の実在を匂わすものもあるのだと。
そしてこのようなことが出来るのは当然、人類などではなく、人知を超えた存在である「原初の神」以外には考えられず、そしてこの迷宮の特質から、昔々から「全知の神」、「白銀の賢者」、「無垢なる歯車」、そんな様々な異名で存在のみが語られていた、「知」を司る神が仕掛けたことなのではないかというのが、近頃の有力な仮説である。
そしてそれとは別に、迷宮で人影を見た、と、そのような噂が、何処からともなく立つようになっていた。
それは特に迷宮の奥で確認されることが多く、冒険者たちが迷宮に翻弄されながらも、もう少し、あと少しで、と歯を食いしばっている時に、まるで白昼夢のように現れるのだという。
それは男とも女ともつかぬ、けれども頗る美しい、銀の人影で、ある時は黙って道を指し示し、ある時は言葉少なに謎めいた助言を与え、ある時は瀕死の冒険者に最低限の恵みを与え、無言で脱出を勧めてくるのだと。
また、数多くの迷宮を攻略している、とある一団の長は、その人影がこう言ったのを確かに聞いたのだという。
―――ただ一言、「待っている」と。
それらの噂から、この人影は、件の「知の神」の化身なのではないかと、そして迷宮攻略の最後には、「知の神」の祝福が待っているのではないかと、そのように予想する者もいるが――最後まで辿り着いた者がいない以上、全ては未だ、謎のままである。
◆◆◆
―――ウィトウルカは待っている。
迷宮を攻略し、同胞以外は見つけられず、入ることも出来ない、ウィトウルカの隠れ家への道を開く儀式をクリアし、そうして在りし日の彼女のように、彼/彼女を見つけてくれる、誰かを。
長い永いウィトウルカの生を、ほんの束の間でも鮮やかに彩ってくれる、予想外の輝きを。
そしてそれが叶うのは、彼/彼女にとって、きっと間もなくのことだ。
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