8.母
8.クラウディア
特別な理由はないと、魔王はそう言った。
それに疑問を上げることもできず、私は、私たちは意表を突かれ、言葉を紡げなかった。
そんな私たちの様子を気にせず、魔王は続けた。
『元々、私からすればこの国自体が「滅ぼす対象」だから、結局何をどうしたところで、早いか遅いかの違いしかないから。だから、別にどこから手を付けても良いといえば良いんだけど……、一応「兄」が散ったのがここだと言われたから、どんな場所だったのかってのを知りたかったってのもある。けど拍子抜け』
兄、兄? 魔王に兄? あんな髑髏姿にそんなものがいる?
理解が及ばないけど、でも、なんとなく相手の物言いにカチンと来た。
ここは凄い良い土があった場所だ、それを私たちで育てたんだ。それを拍子抜けと言われて、わずかにいら立ちがある。
でも、別に魔王の目にはそういったことが入っている訳ではないらしかった。
『――――もっとこの場所を守ろうとして、人が残ると思ってたのに』
その一言で、思わず私は周囲を見回した。
もはや人っ子一人残っていない。大半の人たちは、生き残った村の人たちは皆逃げてしまったらしい。
それを、魔王は特に追わなかった。相手の言ってることが正しければ、それは「殺すのが早いか遅いかの違い」でしかないってことなんだろうから。
それは生き残るためにはごくごく当たり前のことなんだけど――――寂しい。
胸の内の、空いた穴に風が通るような感じがする。
『そういう人たちの強い意志みたいなものが、それを『折る』ことが私の魔力回復の糧になったっていうのに。大事な物を守りたいっていう強い意志は、そのまま魔力に変換できるっていうのに。
結局三人くらいか……、いえ、二人、いえ、一人か』
「?」
それはどういう、と。
思わず続けたくなった私は、私のお腹から「剣が現れた」。
へ?
痛みが走る。熱が走る。
背中からお腹にかけて、お腹の中にかけて、妙な痛みと、熱さと、そして「冷たさ」を感じた。
「……じょ、冗談じゃねーぞ! お前ら、俺が逃げるまでの囮になれよ!」
旦那は……、スティーはそんなことを言いながら、私を背中から刺したらしかった。
それはお腹を貫通し……嗚呼、嗚呼……嗚呼――――!?
「そん、な、なんで――――」
嗚呼、失われていく。引き抜かれたお腹から、噴き出す力、私の血と、私であって私じゃない血と、命とが、抜け落ちる感覚がある。それは、今まで体験したことのない――――。
私を巡る感情が言葉を紡ぐ。でも、それにスティーは、怯えがような声で、震えたような声で、後ずさりながら。
「当たり前だろ! 俺は、どこかに縛られる生き方なんざまっぴらなんだ! お前が、お前が『勝手に妊娠なんてしたから』、俺は逃げられなくなったんだろ! 挙句最初の子供、流産しやがって!
だったらお前が、俺に自由を取り戻させるために死ぬのは、当然だよなぁ……? 当たり前だよなぁ、なあ!」
何を言ってるの。
何を言ってるのか、意味が分からない。
ふと見れば、お爺ちゃんも虫の息――――さっき私を貫いた剣は、そのままお爺ちゃんのお腹も貫通していたらしい。
介抱したいけど、それすら、その余地すら私にはない。
もう倒れ伏して、お腹の子が死んじゃったこととか、お爺ちゃんが死にそうなこととか、旦那が信じられないことを口走ってることとか、もう頭の中がいっぱいいっぱいで。
せめてもの救いは、この場にもう一人の娘がいないことくらいで。
出てこないってことは、きっと誰かが娘を連れて避難してくれたってことなんだろうって、そういう信頼関係は流石に村内の中にはあって。
でも、だからこそ旦那の、スティーの言葉が信じられなくて。
お爺ちゃんの襟を持ち上げて、スティーはそれを髑髏の魔王投げつけようとして――――。
止めてと、声を荒げても、悲鳴を上げても。スティーはおびえた顔のまま、腰から剣を抜くこともなく。
そして軽々と、まるで投擲武器か何かのように投げつけられたお爺ちゃんを、魔王は払って。
お爺ちゃんは、本当に死んだ――――骨になっちゃった。
「あ……、嗚呼……、」
気が付けば、声が出なくなってしまった。
目の前で、一気に起きたことが衝撃的すぎたせいかな。
私の身体が、私の思う通りに動かなくなっちゃって。
そして、一瞬お爺ちゃんを鬱陶しそうに払う魔王の隙を見て、スティーは、悲鳴を上げながら走っていった。
腰につけた剣を抜くこともなく。私に手を差し伸べることもなく。
『…………同情はするわ。別にアンタが悪いって訳じゃないと思うし』
そんなことを言いながら、魔王は私を持ち上げる――――今度は、私の身体は骨にならないでいる。
『でも、まだ「足りない」から。もっと貴女の心を折ってあげる』
「……っ」
もう折れてる。これ以上、何をしようというの――――。
既に死にかかっていて、この場には一人だけの私に。
そんな私に、魔王は黒い髑髏の目を、赤い目を向ける。
『…………私の目には、現実の時間なんて意味をなさない。だから、貴女の旦那のことも、貴女自身のことも。その気になれば何だってわかる。貴女がどんな選択をした結果、今があるのかとか、そういうこともね』
「――――」何を、言いたいのか。
『だから、貴女が本当は「何に気づいていないのか」も。旦那が「何を隠していたのか」も、全部明らかにしてやるって言ってるの』
そして、魔王の目は、その目の光を見ていた私の脳裏に、様々な映像が、巡る、巡る――――。
『――――そもそもアンタ、今の旦那とスる前から処女じゃなかったでしょ』
「……っ」
「見覚えがあるわね、確か「聖剣士」だったっけ……。彼が帰ってきていた時、あまりに疲れて寝入ってる時、それでも本能のせいか『元気だった』のを見て、どうしようもなくなって、思わず、襲ったじゃない。本人は気づいてなかったけど」
それは…………、私が胸に秘めてたそれ。
アロンから、産婆の変わりが出来る人間を呼ぶまで「そういうこと」はしちゃいけないと、言い聞かされていて、でも我慢できなくなって。日々危険な場所に赴く彼との繋がりを求めてしまって。
『別に悪いとは言わないわよ。でも、そんなアンタが後に旦那となった男と「繋がって」、その時よっぽど酷いやり方だった見たいね。子供が出来たけど、程なく流れてる』
「…………っ」
アロンを裏切った罰だと思っていた。あの時は、心身共に私もおかしくなりそうだった。それでも旦那は寄り添って、そして私は畑を、土を育てるのに全力で。
そして一年の時を経て、娘が生まれたのだった。
『でもあんまり言いたくないけどさ。それって、どっちの子供だったのさ』
「――――」何で、そんな話題を出すのか。
『貴女は聖剣士より、旦那の方が力強い。だからその時の子供は、より強い相手の種で孕んだ子供だって思ってたみたいだけどさ』
まさか、まさか。
そんなの、あり得ない。でも、もしそれがそうだとするなら――――。
『生まれなかったから計算できなかったせいもあるんだろうけど、日数で言えば「ひと月分」のズレが存在するのよ。
だから間違いなく、最初の流産した子供は、聖剣士の子供。
そして、流れた理由は、継続的に旦那が行って、貴女が「拒まなかった」滅茶苦茶な行為のせい』
――――嗚呼、私、本当にアロンに顔向けできない。
気づかず彼の子を孕んでいた。しかも、その子を別な相手と「まぐわった」結果、殺してしまった――――。
『そしてその旦那だけど…………、アンタ以外に「現地妻」が三人。以前関係があった女が五人で、全員に子供産ませて、その女の旦那が知らないように勝手に育てさせてる。托卵じゃないこんなの』
「――――」
スティーは傭兵商売の関係上、色々な場所に出向いて、一月帰ってこないというようなことも多い。
その間、女性の世話については「店で処理してる」と言っていたけど。言っていたのに。
『後、もっと言うと、貴女の旦那が貴女に手を出したのは――――彼が聖戦士に「選ばれなかった」腹いせ。直前の仕事で失敗したのを、隣で聖剣士たちが「困っていたようだから」って助けられたのに対して、プライドが傷つけられたからって言う、意趣返し』
嗚呼、それは……。そんな理由で、私と一緒になるとか言ったの? スティー。
『そこに愛があったか、なかったか。愛という感情の捉え方によって、変わってくるわねそこは。
――――貴女の旦那にとって、貴女は体の好い現地妻の一人でしかないわ。たまたま、傭兵団の連中といる時に手を出してしまったから、表向き責任をとった形にする必要があっただけで』
流れてくる映像は、すべて、すべてが魔王の言葉を裏付けるもので。
アロンが大型の魔物からスティーを助けた瞬間に、大丈夫かと声を掛けられた、その姿を前に。
スティーは激しく嫉妬して、苛立って、お前みたいなヘナチョコが何を俺を見下してるんだって。
だからこの村での仕事の途中、私に出会ったのに運命を感じた――――アロンみたいなのを見掛倒しだと罵倒するために、大事な相手一人守れない、「自分のような相手」のものになって悔しいだろうと叫ぶために。
アロンの戦い方が見るからに弱そうだからっていうのも理由の一つだったけど…………、それは、スティーの性格と、あとは能力の問題で。
スティーは本人が思うほど「強くなかった」。
本人が驕るほどに「才能がなかった」。
なのに過信して、そして――――だからプライドが許さないから、生き残るために「私も捨てた」。
そして私は、そんなスティーに踊らされて……いいえ、これは言い訳でしかない。
結局それでも、選んだのは全部私なんだから。
アロンを突き放して――――同じ痛みや寂しさを共有していたはずの、彼を、また独りぼっちのところに追い落としたのは。
でも、それでも――――。
『…………さて、落ち込んだところで仕上げかな? どうやら「いる」みたいだからね』
「……へ?」
魔王がそう言った瞬間――――相手の手には、その手には、嗚呼……!
「や、止めて! それだけはやめてください! お願いします、お願い……っ」
『んん、正直「そういう経験」ないからどれくらい悲しいのかとか、私、わっかんないんだけど……、あっ起きた』
「ぅ……?」
魔王は、私の子供の、まだ1歳の赤子が。
『さっきまでお昼寝していたのかな? ほーれほれ、可愛いな……』
「ぅ……、だぅ……、ん?」
嗚呼、なんでそんな、恐ろし気な容貌の魔王を前に、そんなに豪胆に眠そうに、泣きわめきもしないのか、我が子は。
『じゃあ、この子が「骨になるところ」を、見ていてもらおう』
「――――嗚呼、嗚呼っ」
例えアロンを裏切った過去があっても。
例えスティーがいくら最低な人間であったとしても。
それでも、今の私は母親なんだ。
お腹の子供が死んでも、まだ生きている子がいるんだから。
でも、魔王はそれさえも、私に残った「最後の家族」さえも、私の前で捨て去ろうとしている。
それが無くなったら、その子がいなくなったら――――今度こそ私は、壊れてしまう。止めて、なんでもします、お願いします、誰か、誰か――――。
『じゃあ、せいぜい悲しむと良い』
でも、誰もいない。誰も止める人はいない。止められる人はいない。
そして魔王の手から、例の黒い靄が現れて……、それが娘に…………。
「ア、ロン――――」
何故か、私は彼の名前を呼んでいた。
どうしてその名前が出てきたかは、わからない。だって明らかに、魔王はアロンを殺してるのだ。そうでもなければ、あれだけ過去の映像で、意味が分からないくらい強かったって教えられた、あのアロンが、その武器を手放すはずがないのだから。
だから、きっとこれは只の感傷。誰に祈るでもなく、それでも、それでもこの悲しみを告げる相手が、私にはもうアロンしか残ってなかったっていう、それだけのことで。
そんな「大事な人」の背中を崖に向かって押したような私が、それでもなおアロンしか心で頼れる相手がいなくって。
「――――呼ばれた気がした」
だから、突然聞こえたアロンの声が、正直理解できなかった。
※本日は話の場面的な盛り上がりを考え、夜は連続更新でクライマックス予定です;




