7.曇り空
7.クラウディア
生きるためには泥水でも啜らなければいけない時がある。
だから時には、自分の大事な物も捨てる覚悟が必要なんだ。
私が一番尊敬し、私が一番大好きだった彼は、常々そんなことを言ってた。
それは、彼の生れというか、家族に対する、彼なりの割り切り方だったのかもしれない。
彼は家族がいなかった――――ううん、正しくは「家族を目の前で見捨てざるを得なかった」。
もともとは小さい行商人をやってた家の生まれで、家族四人、彼と両親と叔父の四人でよく私たちの村に来ていた。
それがある日、魔物の群れに襲われた。
お父さんが囮になって、でも逃げきれなくってお母さんが襲われ、目の前で食われ。
それを目撃してショックで動けなくなってた彼を、叔父さんが抱えて逃げて。
運よく私たちの村にたどり着いて、でも叔父さんも既にボロボロで死に体で。
その時に言われたらしい。絶対に生き残ってくれって。
そのせいなのか、彼の横顔はどこか寂し気で、なんとなく放っておけなかった。
村長の家に引き取られた彼は、その後、よく農業についても勉強して、そしてすごく頼りになって。
だから私は小さい頃から、彼とよく一緒にいて、遊んで、仕事して。
そして寂しい顔が放っておけなくって、やっぱりそばに居て。
私の父も、魔物に襲われて亡くなったって、そういうことも理由だったかもしれない。
同じ寂しさを抱えていると、なんとなく察してしたのかもしれない。
だから、寄り添って、そうすれば少しでも暖かくなるって。
お母さんがそれを見て、何とも言えない笑顔を浮かべていたのを覚えてる。
男女を意識する頃には、私は彼のことを異性として好きになっていたんだと思う。
思う、というのは、私が結婚した相手が彼ではないから。
……言い訳にしかならないけど、それが当時の私には必要だった。私たちの村には必要な理由があったから。
でも、そんな話はもう過去の話で。彼が、アロンが居なくなってから三年は経った。
アロンが聖戦士になった後、村の収穫は少し、いえ、三分の一くらいは減った。……もともと何を生育するかとか、そういう部分についての知識はアロンが村一番だった。だから彼が居なくなって、本当に村から居なくなったなら、そういうことは予想できることだった。
私の旦那は、農業とかそういう地道なことは大嫌いって気質。
だから未だに、彼は傭兵としての仕事を続けてる。
それに思う所は、あまりない。……思うだけの余裕がない、というのが正解かも。
基本的に、彼は私から一歩引いた位置にいる。それは、私をアロンから奪った形になったことへの負い目なんじゃないかって私は思ってる。
もともと傭兵商売は、柄が悪い人が多い。旦那に関して言えば、その中でも「比較的」優しい方だけど、だからといって、誰にでもニコニコしてるような、そんなことをしてたら殺されかねない、らしい。
だから、アロンに対してた時も旦那は虚勢を張っていた、と思う。
いくら旦那が傭兵として強くたって、かつて「神童」と呼ばれた傭兵だって、聖戦士として戦ってるアロンと戦力の比較が出来るか、出来ないかとか、そんなこと考えるのが間違ってる。
戦ったりしたのを見たことはないけど、それでも、アロンが大変な戦いをしていたっていうのは、アロンの仲間って人たちから聞いていた。
だけど、そんなアロンは私を諦めた……、あきらめてくれた。
アロンが戦ってる間、村の安全をアロンは守れないっていう、その言い分を受け入れてくれた。
それに私自身、罪悪感も感じる……、感じるけど、そんな私を旦那は受け入れてくれた。
だから、私たちの間には子供がいる。一人は一歳、今ちょうど表で走り回ってる子。
もう一人は、今、私のお腹の中にいる。
アロンに言わせれば、これは幸せなことだ。生きること、住むこと、着ること、食べること、寝ること、そういう「必要なこと」が全部そろってるのだから。
だけど。
「……寂しいな」
旦那も私も、一緒になったけど、どこかに一線を引いている。
この一線を越えることは、なんとなくだけど、ないような気がする。
アンタ、それで良かったの――――? 亡くなる前に聞いた、お母さんの言葉が、今でも胸に刺さる。
どこか、胸に穴が開いたような寂しさを覚えるんだった。
※ ※ ※
異変に気付いたのは……とか、そんなこと、全然言えない。
気づいたら、いきなり全部、一変してた。
ガイコツの兵士たち、そんな姿何てそれこそここ数年は見ていなかった。
それこそ三年前くらいの決戦のとき、聖戦士団と骸骨騎士たちどっちにも大被害があったはず。
少なくとも、国はそういういう風に喧伝してるし、実際そのせいもあってか、聖戦士団は現在ゆっくりと再結成をしている途中らしい。
国は少なくとも当分、早急に聖戦士を用意する必要はないって、そう考えてたんだと思う。
でも、だったらアレは一体何なのか。
『――――散れ』
黒い髑髏の、全身に闇の靄みたいなのをまとった、目を赤く光らせる骸骨。身長は私よりもちょっと大きいくらいに見える。小柄、だけどその存在感は明らかに違う。
前に私たちの村を襲った骸骨たちと、なんというか、密度が違うような感覚があった。そんな感覚が一気に私たち全員を襲った。
黒い骸骨は、一声あげて手を振る。
それが一気に、私たちの畑を覆って、土地を、作物を枯らさせる。
近くで耕していた知り合いの家の人たちとか、散歩にと連れ歩かれていた牛とか家畜とか、そういったものも全部「骨になっていく」――――。
それに気づいたとき、悲鳴を上げて、皆逃げ出すのは当然だった。
誰も武器を手に取らなかった……、アレはそんなことが出来るような存在じゃないと。そんな真似がお遊びにしかならないような、そんな相手だって皆分かってしまった。心とか、身体とか、その根っこのところで「わからされた」。
でも、それでも……。
「やめて! そんなことしないで、土が――――土が死んじゃう!」
骸骨の放つ靄みたいなものに触れて、死んでいくのは、萎びていくのは生き物だけじゃない。明らかに土が、赤茶けた只の砂の塊に変化していくのが、良く分かった。
毎日毎日、それこそ小さい頃から手入れしていた土だ。そんなもの一目見ればわかった。
叫ぶ私の声に、黒い骸骨は一瞬足を止める。
「――――何やってんだクラウディア! 逃げるぞ!」
「っ、駄目! この畑は、何年も、何年もかけて、育ててきた土なんだから!」
言ってる場合かと、お爺ちゃんが私の手を引こうとする。
でも、それはダメだ――――確かに命を守ることは大事なんだけど、ここは、この土は、ここの畑は私の「生きた証」だ。娘とは違う形での生きた理由だ。
それこそ……、アロンを捨ててまで、守った場所なのだ。
それを目の前で「殺されて」、正気でいられるわけがない。
絶叫する私に、骸骨は一歩一歩足を踏みしめていく。
その一歩ごとに、私の目の前の畑が、土が、死んでいく――――。
「チッ、仕方ねーな! オラっ」
旦那が、スティーが飛び掛かる。背負った槍て叩き伏せるような動きは、それこそ三年くらい前のあの時を彷彿とさせる。あの時は、その一撃で髑髏頭を砕いて、私の手を引いて逃げたんだ。
でも、その一撃は骸骨が纏う靄に触れた瞬間、猛烈な勢いで砕けて散った。
は? と。呆然とした顔の旦那。
「あ? マジかよ、お前。ひょっとして魔王とかそんな奴か? ヤベーな、髑髏騎士くらいなら何とかなると思ってたんだが……」
髑髏は、どこからか一つ剣を取り出す。
特徴的な掘り込みは、見覚えがある。見覚えがあるけど、それが何だったかは思い出せない。
その剣に靄を纏わせて、骸骨は「空間を切り裂いた」――――。
『…………騎士程度なら何とかなるって?』
しゃがれていた声だった。どこか女性のような響きがあるように感じたけど、耳障りな響きの音に違いはない。
そして私は、その声がどこか苛立っているように感じた。
切り裂いた宙が、その場所がまるで傷でもめくるように「開かれ」、そこに何かの映像が映っていた。
映っていた映像は――――アロン?
アロンは、アロンたち聖戦士たちは、その中で戦っていた。髑髏の兵団と髑髏の騎士と。それぞれがそれぞれに違うのが、一目でわかる、それくらい髑髏の騎士は強かった。
それは、何と言ったらいいのか私は知らない。語彙がない、学がそんなにないのが原因なんだけど。
すりつぶされてる、というような感じだった。
一つの町があった。その町で、戦っていた。
髑髏の兵士たちを、聖戦士たちが蹴散らしても。その蹴散らした以上の力をもってして、髑髏の騎士たちは惨殺されていた。
兵士があくまでも知能のない魔物のようなものだとするなら、騎士たちはもっと、より残忍な存在で、そして強力な何かだった。
首だけが槍に刺されて掲げられた死体。全身が粉々に砕かれて肉片だけが散った死体、内臓を引きずり出されてそれを――――。
思わず吐き気がこみ上げ、地面に吐いた。
見せられたそれは、あんまりにも私の知る戦いとか、そういうものじゃなかった。
あまりにも残酷すぎた。あまりにも酷すぎた。あまりにも、血が、血が流れすぎていた。
『あまり、私の兵を馬鹿にしてほしくない。私の騎士を馬鹿にしてほしくないっていうべき? ともかく、聖戦士でもない奴が思い上がるなって話』
骸骨はそう言って、旦那に剣を向けた。その剣は――――映像の中で、へっぴり腰で、泣きべそかきながら戦っていたアロンが持っている剣。
まるでなってない、それこそ旦那とは比べるべくもない素人でしかない戦い方で、でも、それでもあの髑髏の騎士たちと渡り合っているアロンの姿。情けないとか、そんな次元じゃない。それこそ私以上に、生きることに必死で、死にたくないと、それでも戦い続ける姿は、見るだけで胸が痛い。
そして、この時点で、嫌でも私は理解させられた。
目の前の相手の正体と……、その持つ剣の由来を。
「ほ……、本気かよ、髑髏騎士とか、あんな強かったのか?」
旦那は呆然としているだけで、いまいち状況を理解していない。
だけど、私も私で立ち上がれない――――後ろでいつの間にか気絶してるお爺ちゃんを抱えるのも難しい。
それだけ衝撃的だった。それだけ恐怖を抱いていた。目の前の相手の正体が正体なんだから、それは当然だった。
だけど――――。
「なんで……、なんで今更になって出てきたの! 髑髏の魔王なんて! どうして私たちの村を襲うの! なんで……」
「!?」
私の悲鳴のような叫びに、ようやく旦那は相手の正体を理解したみたい。
そんな私たちなど構わず、でも不思議と律義に、魔王は答えた。
『特に、ここである必要性とか、理由とかはないよ』