5.地獄
5.(アンナ・)ヘル(マン・ポワソン)
嗚呼、思い出した。忘れていたわけじゃないが「思い出した」。
私はヘル。髑髏の魔王、ヘル。
三百年前にこの世界に転移してきた「異世界人」。
そして――――魔剣「ディスタント・オメガ」に封じられた魂。
生命の寄り付かない「死の湖」、塩が以前よりも多くなりもはや魚とかの生命が暮らすことが出来ないほどの塩分濃度の場所。
この水底に沈んだ私の城で、私は目を覚ました。
覚ました、と言うほどでは無い――――私自身の肉体の再構成を最低限度に留めた、骸骨の姿。あの死んだ騎士たちの鎧をかき集めて作った、適当な鎧に身をまとった「漆黒の骸骨」が私。
目を開ける――――そこに目はないけれど、光が灯る。
眼前には、巨大な沫に包まれた男が一人。
人間、年齢は二十代。手にはさっき本人が言っていた通り「聖剣」と呼ばれているだろう「神器」の一つ。
『…………私の誕生した経緯を失くして、私ごと滅ぼそうとしたか?』
私の記憶に、男、アロンは聖剣の力を使って直接介入してきた。
記憶の中の私に、あの聖剣を振らせ――――現実を改変させ、私が失ったものを復活させ「魔王としての」私を滅ぼすために。
記憶、あるいは夢の中での私は、そのまま無条件に信じてしまえば、そのまま男の手で「過去を改変」してしまったかもしれない。
でも途中で気づいた。気づいて目覚めたのが今。
もしタイムスリップでもして、過去、あの時の私に手を差し伸べたのなら、また違っていたかもしれないけど。
流石にそれをするほど、相手にもMPは残ってなさそうだ。
泡の中で、男は膝をついている。胸を押さえている男に、私は魔剣を振るう。
予想通りと言うべきか、魔剣の放った衝撃波は聖剣にぶつかると霧散。
いや、あくまでもそれは致命傷の一撃だけというべきか。それでも彼の全身に傷は残っており、しかしそれでも彼が死ぬのを許さない――――否、彼が「死にたくない」という意志を体現しているのかしら。
とにもかくにも、傷つけたところで「殺せない」ことが感覚的にわかったのだ。
『ベクトルは完全に真逆。……面倒だわ。簡単に消せそうにないじゃない』
「…………なんで」
『ん?』
「なんで、剣を、振らなかったんだ……」
『剣をって、嗚呼……』
言いながら、私は魔剣の力で「男が何をやったのか」を見た。
そもそもこの場所に、普通の人間は立ち入ることはできない――――出来るとすれば、私によって「死」という概念を「なかったことにされた」骸骨兵士たちだけ。
もはや生前の姿すら誰しも詳細に思い出せないが故に、死体を、全てを兵士としていたのだけれど。その精鋭たる髑髏騎士たちも、残すは一人だった。
その一人に聖戦士たちの暗殺を命じて、結果、男はここにいる。
暗殺しに襲い掛かった相手、倒した髑髏戦士から私の居場所の情報を探り、そして「私を根本ごと」消滅させようとした。
『何故、私が聖剣を使って、私の大事なものを取り戻そうとしなかったかってこと?』
「そうだ……、アンタ、アレほど悲しんでたじゃないかっ」
言いながら、男は泣いている「らしい」。
「そりゃ……、王国に怒りを向けるだろうよ。だって、アンタの目線だけの話だけど、よくわかんない話とか、あったけど、それでも、間違いなく当時の王国は今でも続いてるんだから――――」
『ま、そうね』
あの後。力尽き私は一度肉体を失い、しかしあの土地には誰も寄り付かず、剣を再び誰かが手にすることはなかった。
気が付いた頃には十年くらいたっていて、しかもそれでも「体を再構成するだけの」「魔力がたりない」ときていた。
本当の意味で移動も何もできず、中空に浮かんだまま縛られた私は、来る日も、来る日も考えた。
最後にあったのは…………、あの時、迸った感情。
私から全てを奪った者たちに、ケリをつけさせたいという、たったそれだけの目的意識。
私から何もかもを奪った――――私たちが存在した痕跡すら奪った国を、その国そのものを歴史から消し飛ばすというそれ。
もはや悲しいとか、怒りとか、そんな感情すら湧かなかった……、それが湧くだけの「心の余裕」が「亡くなっていた」。
それでも、すぐにMPとかは回復しなかった――――回復しなかったからこそ「時間をかけた」。それこそ百年くらい。
場所は変わらずとも、私は情報を集めることが出来た。その程度は対して魔力を消費しない。
だから国自体がどういう動きをしていたか、ある程度は知ることが出来た。
王国は、私と言う失敗例を参考にして、誰でも使える神器という概念を諦めた。
厳密に何が起こったのかを奴らは理解していなかったけど、とにかく使用された土地が死の土地のように、何もなくなってしまったが故に、警戒した。
だからより国全体に、宗教を蔓延らせて「王の命令は神の命令に等しい」という価値観を刷り込んだ。
目の前の男だって、そういう宗教に縛られている側面があったはずだ。
…………私の過去を目撃して、それをやった当時の王国にドン引きしてるみたいだけど。
そして民衆の心理を操り、神器を使った兵士を用いて、戦争して、勝利して拡大して繁栄して――――まるで「私たちなんて居なかった」かのように振舞って。
決して、それは決して許せることではない。
『で、なんで私がそれを使わなきゃいけないの?』
「あの髑髏騎士が…………、アンタの兄が、アンタを救ってくれって言ってたから、だから」
『――――嘘、ね』
そう、それは、嘘のはずだ。真実であるはずはない。
数十年前、国一つ力業で、歴史ごと滅ぼせるほどではないにしても。
大量のMPが戻った私は、私の駒としてそして骸骨兵士を作った。生者を殺し、魂を「私のように」その死体に紐づけ、その「死」を「なかったこと」にし、「自由意識」を「なかったこと」にする。
幸い墓があれば、それを起点に「死体が残ってなくても」それらしいのを作ることは出来る。
墓がなくても――――あの村の皆なら、なおさら。
でも、もはや二百年は超えていた。だから「どの死体が」「誰のものかなんて」知るはずはないし、蘇った死体は、骸骨たちは一言も、私に意志のあるコミュニケーションをとってくることはなかった。意見されなかった。
私は、結局独りぼっちのままだった。
だから、たとえアレが「お兄ちゃん」であっても、こんな男に話すはずはない。
はずはないけど…………何故か、私は魔剣の力でその真偽を確認する気になれなかった。
『大体、死にかけのお前に歴史改変なんて出来るわけがないでしょ。馬鹿も休み休み言いなさい、MPなんてほとんど残ってない、ネズミの心臓すら残ってない程の瀕死じゃない。実際『心臓も無くなってる』し、そんなアンタが、私に何をさせようとしてたのよ?』
「……この剣の、使用可能者を、俺から、アンタに、変更するくらいは出来る」
『…………呆れた』
それこそ馬鹿みたいな話だが。この男は、聖剣の現実改変を使って、残り少ない自分の命を使って、剣の所有者を私に移そうとしていたらしい。
そりゃ確かに、その剣の能力なら出来そうと言えば出来そうよ。死を無かったことにする、みたいな変な方法での復活じゃなくって、それこそストレートに「想像を現実にする」みたいな力もってそうなその剣なら。
でも、そんなことはしない。絶対やらない。
『お生憎様よ。絶対やらないわ、そんなこと』
立ち上がる私を、男は微妙な顔をして見る。……人間の顔なんて「あの時から」個別に識別することが出来なくなってしまったけど、それでも表情くらいはわかる。
困惑してるのがわかる。
だから、言ってやった。
「――――私から奪うんじゃないわよ」
目を見開いた。どうやら、この一言だけで、私の言わんとしてることを察したらしい。
『……この怒りも、痛みも、喪失も、全部、全部私のものなんだから。思い出も、憤りも、この感情も、この苦しみも……、全部、皆なんだから! 私からアンタらが、「王国」が、これ以上何も奪うなーーーー「私の中の皆」すら奪うな!』
そう。今の私にとって、それらはすべて「死んだ」事実は変わらないことなのだ。
それをおいそれと、奪われるなど許せない。許せることじゃない。
「……だけど、そうでもしないと、アンタは……」
『ええ。滅ぼすわ。お前たちの都合に関係なく』
「どうしても、か」
『どうしても、よ』
膝をつく男は、そのまま咳をして、血痰を吐いた。苦悶の表情と、垂れるのは涙か。
その無念は、一体何なのか――――命を賭してまで、私を止めようとした理由は何なのか。
興味がないでもなかったけど、だからこそ私はそれを聞かない。聞いたら、動けなくなりそうな予感があった。……なんとなく、この男も私と「似てるような気がした」から。
だから、この男がいるのは拙い。
この男と、聖剣が「ここにあるのは」拙い。
『時間跳躍くらいなら、できるかしら。指定さえしなければ、少しは自由が利くはず』
「……っ?」
『消えなさい、「勇者」アロン。勇気ある戦士』
さっきの攻撃で、この男を直接消滅させることができないのは分かった。直接「なかったことに」しようとすれば、聖剣が魔剣の力を打ち消してしまうということがわかった。
なら、間接的な打倒は可能なはずだ――――。
例えば、この男を「時空の狭間に」追放するとか。
特にいつの時間とか、何もかも、まったく指定しない。決めない、だからこそ消費する魔力は低くて済む。
それがいつの時代なのか、白亜紀とかなのか、あるいは人類滅亡後の未来なのかとか、そんなのは全く知らない。
気にしない。
そういう方法でなら、流石にこの男も死ぬだろう。
鼓動する――――私が手に持った、ディスタント・オメガが。
私自身がこの剣であるが故に、巨大な力を使うと、まるでそれは心臓のように音を鳴らす。
「このっ」
『今更何をしても無駄だから――――』
剣を構え、何かをしようとした彼を無視して、私は一撃、加える。
私だって、それ相応に魔力は消費する――――たぶん数年は新しく骸骨軍団を作ることができない程度に。
でも、こんな私に対する天敵みたいな相手を野放しにはしておけない。男が死んでも、次に誰かが聖剣を使う可能性があるのなら、その芽も摘んでおく必要がある。
「……くそぅ……、クラウディア……」
『…………』
故郷に残してきた恋人か何かの名前かしら。知らないけど。
悲痛な声を上げる男に、少し胸がちくりと、痛むような感覚があったけど。
それを無視して、私は男を斬った。切られた箇所を起点に、玉虫色の光があふれ、いつの間にか男の姿は消える。
後には地面に突き刺さった剣が一つだけ。
『…………他の聖戦士とかが新たに生まれるのは嫌だから、私が管理するしかないか』
それを私は手に取り、また、ボロボロの玉座で浅い眠りについた。