3.天使
3.アンナ・ヘルマン・ポワソン
人間っていうのは、慣れる生き物だと思う。
この「わけのわからない」場所に来てからもう2年が過ぎる。スクールもいい加減卒業してる年齢になっちゃったけど、あっちの「元の世界」の勉強なんてさらさら出て来なくなって久しい。
まあ、それでも兄さんは私を「まるで天使のような妹だ」とか世迷言を言ってくるんだけど。
「そんな浮かない顔をするな、マイ・エンジェル?」
「verr〇ckt」(※常用するのも憚られるほど汚い罵倒語)
「!?」
正直、こんな超絶汚い罵りでもめげない兄は、かなりのシスコンだと思う。
いや、妹離れして欲しいといえばそうなんだけど、状況が許さないのでそうも言ってられない。
私と兄と、あとはスクールの友達と。皆バスに乗って、学校から帰る途中だった。
気が付いたら何があったのかわからないけど、こんな世界に放り出されていた。
時代は中世の、ファンタジー小説とかに出てくるやつ。
トールキンとかあんな感じ。TRPGとかそんな感じ。
まぁ、まだ妖精とかドラゴンとか、そういうの見かけたりしないけど。
だからタイムスリップの方が正確なのかな……? でも国の名前とか全然聞かないし……。
でもまぁ、兄と私たちと……放り出されたバスが数台で、ざっと数十名かな? 五十人はいないはず。
いきなり現代の、文明の利器とか失って、もうそれは皆大混乱。
電話もない、ネットもない、ハンバーガーもスーパーもクラブもビールもソーセージもない。
大人たちも子供たちも嘆いたけど、でも流石に2年も経過したら、そうも言ってられない。
子供も子供のままという訳にはいかず、大人だって今までのままではいかず。
立ち上がって、狩猟して、農業に励んで、とにかく今ある力で精いっぱい生きることにした。
というか、生きてる。
周辺にあった村と協調して、取引して、なんとか生命を繋いでいた。
このあたり、なんでか特に問題なく私たちの母国語が通じたのが大きい。
なにか都合が良すぎるというか、はたまた恣意的というか……でもそれで生活が成り立つので、別に問題はないと思う。
「……つれないね、兄さん」
「ふふん? 俺的にはまずまずって感じなんだが」
「いやゼロ匹のくせに何言ってるの。やっぱここの海って死海みたいなものなんじゃないかな、塩分濃度濃すぎて大きな魚とか全然いないというか。
少しくらい釣れれば、私が何か捌いてあげるのに……」
「料理得意だものなぁ、お前。だがこんな言葉を知ってるか? 諦めたらそこで試合終了だ」
「コミックの台詞か何か? それ。キモい」
「ぐふッ」
そんな訳で、私と兄は村から近いとこの湖……、湖? に釣りに来てた。
以前は兄が狩猟に出てたんだけど、足を負傷して弓矢とかで踏ん張ったり走れなくなった。幸いお医者さんがいたから、そのまま破傷風とかにはならなかった。けど回復に時間がかかるから、他の御飯調達方法を考えるって話になった。
その一環が釣り。って言っても、やっぱり湖の方は厳しい感じ。
湖だけど塩の味が強いし、それこそプランクトンとか生息してるかわからない。。
でも今日はここで試すって話で来てるから、釣れないからって別なところに行くつもりもない。
だから私は、久々に兄と話す時間が出来た。
「兄さん、そういえば私の友達に告白されてたよね。『アベンさん、私をアンちゃんのお姉さんにさせてください!』とか。私ダシにされててちょっとイラってきたけど、どうするの?」
「どうする、とは?」
「だから、結婚するのかどうか」
「話がいきなり飛んでないか妹!?」
「いやだって、ねぇ……」
別に核戦争で文明が荒廃したとか、そういう訳じゃないけど。
タイムスリップでもしたみたいな、古い時代に来たわけで。
そこで生活していれば、その集団の中で色恋とかもおこる訳で。
いい加減、兄も妹離れが必要な時期だと思う。
「って訳で、考えたりしないの? 手続きとか今ならナシで、ヤっちゃったらそのまま墓場までコースだと思うけど」
「どうしてそうくっつけたがるんだお前は。そういうお前だってこの間拾った行き倒れの手当とかして……」
「いや、全然何もないし。なんか農作業の知識とかは教えてくれたけど、それだけだって。どっか行っちゃったし。『やるべきことがある』とか言ってさ。
逆に聞くけど、兄さんは性欲とか湧かないの?」
「そもそも食事自体日に1、2回の生活だから、そっちに回らないんだよなぁ……」
生々しい話だけど、これはまぁなんだかんだ私たちが仲悪くない兄妹だからってことで一つ。
「でもお前の友達だからなぁ。下手に拗れても色々問題ありそうだし……、それに」
「それに?」
「俺、年上の方がタイプだし……」
「ゼータク言ってんじゃないってのっ」
こんなシスコン貰ってくれる相手なんてそんなに居ないんだから、あきらめて結婚しちまえって話。
……いや、あっちもあっちで「アンちゃんすっごい可愛いよねぇ、へへへへへ……」とか怪しい笑みを浮かべてたりするんだけど……。ひょっとして変なシンパシーでも感じて兄さんに求婚したりしてない? ねえ。
まぁそんな話がありながらも、なんだかんだでとりあえずは平和に過ごしていて。
でも、意外とそれは簡単に崩れた。
「――――神託が下った。この少女は、これより神子となる」
村にやってきた、何かの宣教師みたいな。
その、明らかに周囲の村とか、私たちとかと全然違う、でっぷり太ったそいつが、そう言って。
そして私は連れて行かれた。
どうも私たちの居た場所は、ある王国の隅っこらへんのところだったらしい。
そして、王国には「神器」とか呼ばれる道具がいくつかあったと。
神器っていうのは、まーなんかよくわからないけど神様からもらった武器らしくて。
それを使いこなすためには、神子が必要。
王国中、方法とかよくわからないけど捜索された結果、見つかったのが私らしい。
巫女は王国の都に連れて行かれ、神子として教育を数年受けることになる。
当然ながら、拒否権とかない。
私たちの村……、コミュニティといったらいいかな。そんなものは吹けば飛ぶようなもの。つまりは王国からしたら「拒否する? なら滅ぼすよいいよね?」というスタンスだ。支払ってる税だって大したものじゃなかったので、扱いは必然軽い。当然、シスコンの兄やら含めた村の人たちを、私は人質に取られた形。私と付き合いがあった人たちはともかくとして、村全体としては私を差し出す形に話がまとまっていた。
まぁ私としても、別に変なことをさせられるわけじゃなさそうなので……、聞く限りにおいては宗教学校に通う感じだったし、この世界の教養というか、そういう文明的なものがどんな感じなのか、学ぶのにいい機会だと思った。それに私が連れて行かれるに際して、少し村にお金が支払われるらしい。このあたり理由はよくわからなかったけど、ともかく村として援助があるのも歓迎された。
だから、特に違和感なく、私はそれこそ留学するくらいの感覚で、宣教師たち率いる騎士団に連れられた。
それが、そもそも間違いだった。
そもそも私たちは、なんだかんだ周辺の村とやりくり出来ていたからこそ、そのあたりが平和ボケしていたのかもしれない。
当たり前の話だけど、彼らからすれば私は「異民族」で「異教徒」という扱いだった。
必然、扱いは「そう」なっていた。
王都についた私を最初に待っていたのは「焼印」だった。
私は、王国における人間の資格をはく奪された。
人でなくなった私を待っていたのは、それ相応に人ではない扱い。
女性として辱められることはなかった――――そもそも彼らにとって、私は女性ですらなかった。勉学とかじゃない。宗教的に、教会に、王国に、徹底的に従うよう求められた。その結果として、女性としての機能が「封じられた」。魔法とか、そういうので封じられた。
魔法、そんなものがこの場所にあるのを、私は初めて知った。知ったからこそ、この世界がタイムスリップとかじゃなくって、それこそ本当にトールキンとかのアレだって思ったんだけど。
同じ人間だというのに、その扱いはつまりは家畜とか、いや、もっと言えば「道具」のようなものだ。
食事を制限され、生活を監視され、心身の安全とサイクルを規定され、行動を抑制され、精神を――――。
私がおかしくなるのに、そう時間はかからなかった。そこにあったのは社会性のある生き物ではない。言うなれば「調教」された訳だ。昔に戦争に大型の動物が調教されて兵器として使われるように、私もまたそうされた。
そして、あの日が来た。
「――――これより、神剣『ディスタント・オメガ』に神子を移植する」
それは、妙な刀身をした剣だった。
なんだか繊維が寄り集まったような、見た目だけで言うと柔らかそうな、そんな出来の剣。
見た感じだと、妙に大きい絵筆の刷毛みたいな……でもそれは全体としては剣だった。
それを、私に移植する? ……いや、違う、私を、それに移植するとか言っていた。
何を言ってるのか意味が解らなかった。でも声を上げることも、反応することも私にはできなかった。
その時の私は、色々なものをへし折られていた。精神的なそれであったり、あるいは肉体的なそれであったり。ただ一つ言えるのは、私には泣いたり怒ったりすることすらできなくなっていた。
そう作り替えられていた。
3年でそうされてしまっていた。
だから、彼らが私にその剣を差し向けたのも。その剣が私の心臓を貫通した時も。私は何も、何もできなかった。
気が付けば、私の視点は肉体になかった。