表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/2

第1話 死

 高校生の頃ある二次元キャラの絵を額縁に入れて部屋に飾っていた俺は、毎日それを見て祈っていたし、毎日それを見て抜いていた。それは当時の俺にとって生きるために欠かせない儀式であったし、実際にそれをしていなければ俺はとっくに死んでいたかもしれない。中学高校でいじめられぼっちを貫いていた俺はそうやって自分だけの世界やら神やらを作り出していたのだ。


 そんなこともあったが、紆余曲折を経て昔のことはすっかり忘れた俺も今年で35歳。東京の商社で働いていたが一昨年うつ病を患い仕事を辞め、今は静岡県福慈(ふくじ)市の実家で暮らしている。うつ病の労災申請は通らず会社を辞めて失業保険をもらい、あとは貯金を切り崩して生活している。


 仕事を辞めて夢の引きこもり生活だぜイェーイとは当然ならず、バッドモードに突入していた俺は毎日死ぬことを考えていた。死ぬことを考えることにも疲れた俺はどうやって脳内麻薬を分泌させてハッピーになれるかについてネットで調べまくり危ない薬を作り出そうと画策していた。もし本当に作ったらその薬には〈ヘブンズゲート〉と名付けるつもりだった。そんなヤバいやつ一歩手前だった俺を救ったのは妹の娘、つまり姪っ子のナスチャであった。


 妹の橋渡はしわたし水月すいげつは趣味か仕事か知らないが世界中飛び回り行く先々で男を作っては遊びまくっていて俺の理解を超える人間だった。「ヘイ、行雲こううん。もっと地に足つけて生きなきゃダメだよ。名前みたいに流されて生きてんじゃないよ」と妹はよく俺に言ったが、俺に言わせれば地に足ついていないのは水月の方であった。当然だ。ベネズエラでテロに巻き込まれて死ぬなんて嘘みたいな人生を送ったのはあくまでも彼女の方で、俺はずっと日本で定職について暮らしていたのだ。結婚はしていないが二度ほど彼女がいたこともあるし、よほど地に足ついた生活をしている。「安定した暮らしって意味じゃないよ。ブレない自分の生き方をしろって言ってんだ」と言った水月は自分の生き方を貫いた結果ロシアで作った子供のナスチャを残して死んだ。父親は不明だ。


 その時まだ5歳のナスチャは日本に送られ俺と生活を共にする。うつ病真っ盛りであった俺は正直自分のことで手一杯であったが、ナスチャに「こーうんーお外で遊ぼうよー」とぽこぽこ殴られて仕方なく外に出て鬼ごっことかをして体を動かしているうちにうつ病は徐々に回復していった。俺の両親も孫であるナスチャを人形のように可愛がった。母が死んで寂しいはずが涙ひとつ見せないナスチャ。俺は大人としてもっとしっかりしなくてはいけないのだ。水月の代わりにナスチャを育てていくのは俺の役目なのかもしれないと俺は思っていたが、とはいえすぐに働き始めることもできずにナスチャと一緒に遊ぶだけの日々を送っていた。


 そうして一年ほど経つ。6歳になったナスチャは実家にインテリアとして置かれていたブリタニカ百科事典を絵本の代わりに読んでいた。ブリタニカを床に広げて寝転び、足をぷらぷら揺らしながら「ふむふむ」なんて読んでいるナスチャを見て、俺は本当に理解しているのか怪しいとは思っていたが、好きにさせていた。自分から知識を得るのは悪いことではない。いや、むしろ間違いなく良いことであるはずだ。知識への欲望か成長への欲望かは知らないが、何か彼女を駆り立てるものがあるのだろう。もしかしたらただ単に暇だからかもしれない。どんな理由であろうとも、知識を得ることは良いことだ。


 ナスチャはブリタニカ百科事典をあ行から順に読み始め、う行で〈ウクバール〉という単語を見つけ「ここ、私が住んでいた場所だ!」と嬉しそうに俺に報告してきた。


「へぇ、そうなんだ。どんな場所だったの?」


「えっとね、えっとね。〈世界の中心〉があってね、たまに隕石も落ちてきてね。あと頭が5個ある犬もいてね」


「ははは、それはすごい場所だ」


「ほんとだよ! 絵を描いてあげるね」


 そうしてナスチャはノートに色んな絵を描き始める。俺は子供の無垢な想像力というものに感銘を受けていた。なるほど、こういう妄想を膨らませながら百科事典を読んで楽しんでいたのか、と。ただナスチャの想像力は止まることを知らずに〈ウクバール〉の絵を描きつらねたノートはすぐに10冊にも及んだ。最近は寝食も忘れてずっと絵を描き続けている。


 ここまで偏執的に謎のファンタジー世界の絵を描き続けるのはちょっとまずいのではないかと思い始めた頃、ナスチャは突然姿を消した。俺が昼ごはんのカレーライスを作り「今日は試しに隠し味にパイナップルを入れてみたんだ」とナスチャを呼びに行った時、部屋には〈ウクバール〉のノートと色鉛筆が床に転がるだけでナスチャは影も形もなかった。それから町中を探し警察にも捜索届けを出したが、ナスチャは見つからなかった。


 そして俺は昼も夜もナスチャを探し続けて当てもなく走り回り、その途中で死ぬ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ