第152話 月が選んだのは――
竜に憑かれたウムブラが、亜麻色の髪をした幼い少年エガタの方を振り向いた。
「エガタくん、逃げて!」
動かないルーナの隣に座るティエラが、少年に向かって叫ぶ。
その瞬間、ウムブラの周囲に炎の柱が立ち上った――。
「ソル! 早くせんか!」
成人した男性にしては、やや高い声が場に響く。
「言われなくてもやってるだろうが! いつも来るのが遅いお前に言われたくない!」
ウムブラは腕を振り、炎を払った。
紅髪の護衛騎士ソルの神剣と、ウムブラの杖に仕込んでいた剣の力が拮抗する。
遅れて現れたセリニはエガタを腕に抱き寄せる。彼は新たな詠唱に入る前に、ルーナに向かって叫んだ。
「ルーナ! お前が誰よりも姫様を愛していたのは皆知っている! 姫様も、ソルだけでなくお前を少なからず想っていたことを知っている!」
どこからか現れた石礫達がウムブラの周囲を取り囲んだかと思うと弾けた。
ソルがウムブラの懐に入り込む。
ウムブラの右手にかかったペンダントの鎖を、ソルが神剣で斬り払った。
鎖が切れ、鏡の神器が床に溢れ落ち転がる。
ティエラは、呆然とするルーナの元から離れ、彼女の神器と千切れた鎖を手にした。
そんなティエラの元に、グレーテルが彼女を庇うように近づいた。
グレーテルの背を追い、アルクダもティエラの近くに寄る。彼は途中、立ち尽くすヘンゼルの腕を引っ張り、竜に憑かれたウムブラから離れた場所へと連れていった。
ルーナは自分から離れ、様々な人物に囲まれ守られるティエラの方へと、ゆっくりと視線を向けた。
ティエラは鏡の神器と鎖を手に握り締めると、ぎゅっと目を瞑る。
歯を食い縛り、何かに耐えるような彼女の姿――。
(ああ、やはり姫様はソルの事をまだ――)
ルーナは震える声で、どれだけ想っても届かず、彼の手から離れていってしまう女性の名を呼んだ。
「……ティエラ……」
ぼんやりしたルーナに向かってセリニが叫ぶ。
「勘違いするなルーナ! 我々はソルだけに優しかったわけではない! お前のことも見守っていた! 頼むからノワのようには、なってくれるな!」
背中からソルの蹴りを受けたウムブラが床に倒れ付した。
すぐさまセリニの紡いだ氷が、ウムブラの身体を張り付け動けなくした。
周囲にひんやりとした冷気が漂う。
神剣を降ろしたソルが、ティエラに向かって声を掛ける。
「ティエラ、神器で竜を『鏡の檻』に帰すぞ」
彼の提案に、涙ぐんでいたティエラが頷く。
(初めから、私がいなければ――産まれてこなければ――)
彼女を見るルーナの視界はぼやけ、焦点が定まらなくなる。
「問題は、竜の意識をどうやってウムブラから出すかだ――ルーナ、何か考えがあるか?」
ソルは後ろに控える白金色の髪をした青年に声を掛ける。
だが、ルーナからの返答はない。
ソルが振り向き、ルーナへと視線を移す。
暗い海の底のような蒼い瞳で、ルーナはぽつりと呟いた。
「やはり、私が消えるのが一番、早い――」
ソルは碧の瞳を見開き叫ぶ。
「お前は、なんでそうなる!?」
セリニとヘンゼルも口々に彼の名を呼んだ。
「ルーナ、すぐに自分を犠牲にしようとするのは辞めて」
ティエラにもルーナの呟きが聴こえたのか、彼女は立ち上がり、ルーナの方へとゆっくりと歩く。
窓の外は暗く、気づけばもう夜になっていた。
ルーナの周囲に、じわじわと陰が集まっていく。
「ルーナ……貴方がソルの分まで、私と子どもを守るんじゃなかったの――?」
ティエラの問いに対してルーナは別の答えを告げる。
「姫様――宝玉の力で、私の中に竜を閉じ込めます。神剣で祓い、神鏡で浄化してください。今のソルの力があれば、偽の宝玉に頼らずに済むでしょう」
「ルーナ! 私は貴方に、私の元を離れることを許していないわ!」
ティエラの叫びを無視し、ルーナはソルに伝えた。
「ソル、お前に姫様を託した――」
「ルーナ! お前は、ティエラと俺の覚悟を何だと思って――」
真っ暗な闇に包まれたルーナの姿がじわりと歪んだかと思うと、そのままゆらりと闇夜に溶けて消えてしまった。
ティエラは掌を開き、鏡の神器と千切れた鎖を目に呟いた。
「ずっと彼を一人にしてきた私の言葉を、ルーナは一度や二度じゃ信じてくれない……」
囁くように話すティエラの言葉を皆は黙って聞いていた。
そうして顔をあげ、彼女は神器と鎖を握りながら力強く声を発した。
「だから私は、何度でも彼に伝えに行くわ――」
彼女の金の瞳はいつも以上に輝きを増していた。
ティエラは自身の護衛騎士に命を出す。
「おそらくルーナは竜と共に『鏡の檻』にいる。ソル、私に力を貸して――」
「言われなくてもあの馬鹿を連れ戻すぞ、ティエラ」




