第95話 太陽が沈む頃、月は昇るから
ティエラ達はボヌスの都に滞在していた。
セリニは元々、ボヌス城に住んでいたそうだ。彼に案内されて都まで来たが、入城すると関係者にばれてしまう恐れがある。
そのため、貴族街と平民街の境近くにある屋敷の中に、ティエラ達は隠れることになった。今いる屋敷は、セリニの実家がいくつか所持しているものの一つらしい。
特に誰かに発見されることなく過ごせてはいた。だが、先日のノワの騒動の際、ティエラ達はセリニと一緒にいるところを目撃されている。この屋敷も早く出ないといけないだろう。
今日、外は雨が降っている。夕方近くであり、部屋の中も少しだけ薄暗かった。ノワが亡くなった日も同じような天気だったことを、ティエラは思い出していた。
彼女にあてがわれた部屋には、城にあったのと同じように大きな鏡が置いてある。そこに映るティエラは、寝台の上で膝を抱えたまま、浮かない表情をしていた。
「あんた、なんか考え事してんのか?」
近くの寝椅子に寝転んでいたソルが起き上がると、ティエラに話しかけてきた。
「ソル……うん、ちょっと……」
少し無理をしながらティエラは微笑んだ。
部屋の中には、ティエラとソルの二人だけだ。
グレーテルとアルクダは、情報収集がてら買い物に行っている。
セリニは、石について何か分かることがないか、一人で城に戻っていた。
セリニに対して単独行動でも大丈夫なのか、ティエラが尋ねたことがある。
「自分の家の領地なので。それよりも、二人が外に出れば目立ちます。神器の力が必要そうなら呼びますゆえ、こちらでお待ちを」
セリニには、申し出を丁重に断られた。
現在、何もしていないのも、ティエラが考え過ぎる理由の一つかもしれない。
「石とか、ルーナの事だろ?」
ソルにそう言われて、ティエラはどきりとした。もちろん図星だからだ。
「うん。一応、私は命はとられていない。今のままだと、お父様を殺したのを隠したまま、ルーナは私と結婚するつもりなのかしら? それとも……」
ルーナの罪は、国王殺しだけではない。生命を奪う偽の神器の研究を再開している。偽の神器である石を、ルーナがノワに渡した可能性が高いだろう。
「出来るかは分からないけど、私がルーナを捕らえて、彼と婚約解消になるのかな……」
オルビス・クラシオン王国は絶対王政の形をとってはいるが、三神器一族が全て揃ってこその国家であり、他の絶対王政国家とは趣が異なる。神器一族を絶やさずに、神器を継承することが最優先で求められていると言えよう。
玉の一族には、セリニをはじめ、ノワの息子など、男性はまだ数名いるそうだ。けれども、剣の一族の若い男性はソルだけで、彼が剣の一族の跡を継ぐしかない。
だから、ルーナと婚約を解消したところで、ソルと婚約にはならない。先程あげた玉の一族の誰かか別の有力貴族が、ティエラの婿に入るだけだ。とはいえ、本来なら男系一世のため、鏡の一族は実質いなくなったも同然といえよう。
「もしくは、私が……」
殺されるのだろうか、ルーナに――。
ぼんやりしているティエラの近くに、ソルが近づいてきていた。彼女の隣に腰かけると、彼は彼女の頭に軽く触れる。
(絶対王政と言っても、王族は女である私一人だけ……後ろ盾を大事にしないと、おそらく国政もままならないはず……)
ティエラとルーナとの婚儀も近い。
婚約が解消されないまま、ソルとこうして一緒にいられる日はもうほとんどないと言っても良い。
ティエラの胸は、苦しくなった。
元々ソルに好意を抱いていた記憶が、だいぶ戻ってきているのもあるのだろうか。それとも、最近一緒に過ごし、触れ合う機会も多かったからだろうか。
ルーナと離れ、彼を思い出していた時よりも、胸が締め付けられるような気がした。
ソルの手が、ティエラの頭から離れる。
また少しだけ、彼女は寂しくなった。
「気分転換に、茶でも入れてきてやるよ」
意外だったが、ソルはお茶を淹れるのが得意だった。ティエラはそのことに、ボヌスの都に来て気付いた。どうも王城にいた頃に、ティエラに付き合わされているうちに、彼女よりも彼の方がお茶をいれるのが上手くなったらしい。
(ちょっと複雑……)
ソルを扉から見送った後、ティエラは立ち上がる。部屋の中にある鏡に向かって歩いた。
部屋は、夜の暗さに、だいぶ飲まれかけている。
(灯りをそろそろつけないといけない)
ティエラは鏡の前に立つと、城でソルと鏡越しに会話した時の事を思い出す。あの時は、ソルとアルクダの二人で魔術を使い、部屋の鏡に干渉したと説明を受けていた。
あの日のソルとの会話を思い出す。
『俺は、あんたのところに絶対帰る! 必ず迎えに行く!』
そう言って、彼は本当にティエラの元に戻ってくれた。自然と笑みが零れた。
自身が笑顔になったのを確認し、彼女が鏡から離れようとした時――。
「姫様」
ここでは聞こえるはずのない声が聞こえた。
気のせいだろう。
そう、彼の声が聞こえるはずは――。
「姫様」
涼やかな声。
もう一度聞こえた。
ティエラは、はっとして鏡を見る。
そこには――。
「ルーナ……?」
ティエラの婚約者の姿があった。
彼女は驚いて、目を見張る。身体が一気に強張った。
「姫様、貴女にお逢いしたかった」
鏡の中から、彼は話し掛けてくる。
鏡の――。
「御元気でしたか?」
――中ではない。
ティエラは、後ろを振り返る。
そこには、間違いなくルーナが立っていた。
夜闇の中、彼の白金色の髪が、月に照らされてきらきらと輝きを放っている。
一方、彼の蒼い瞳は――。
――今は逆光で、暗い光を宿して見えたのだった。




