8話 路地を駆ける少女
私の住む街はフライシュルト公爵領の中心街である。
フランクフルトみたいな名前だなと思ったが、この世界では誰にも理解されないので口に出したことはない。
王国の北に位置し、冬は雪に閉ざされて、夏は倒れるほどに暑い。
今は三月の末。
ようやく雪も薄くなり、天気も良く、中々のお散歩日和である。
「おはよう!モニカちゃん。今日も可愛いね」
「おはよう、おじさん」
王都まで二日の距離にあるこの街は、いつも沢山の人で賑わっていた。
「あら、一人でお出かけ?大丈夫?人の少ない場所には行っちゃあダメよ」
「おはよう、おばさん。大丈夫だっていつも言ってるのに~」
街を歩くと、よく声を掛けられる。
どうも六歳の女の子が一人でフラフラするのは目立つらしい。
愛想を振りまいて、朝の挨拶ラッシュをかわしていく。
隙を見て、私はこっそり脇道に入って行った。
大通りの喧騒を離れて一息吐く。
そのまま路地裏を歩いて、人気の少ない方へ向かった。
(ごめん、おばさん。今日も言い付け無視するわ)
路地裏を歩くのは好きだった。
木と石で作られた家々の影が、舗装されていない土の地面に落ちてヒンヤリする。
家々の間から射し込んだ光で、道端に生える草花が輝いているのを見るのが好きだった。
静かな路地裏を一人でフラフラ。
胸いっぱいに空気を吸い込む。
(人間、一人の時間って大事だよなあ)
と心の底から思った。
「お嬢ちゃん、暇なら俺らと遊ぼうぜ」
「げへへ」
私の散歩タイムを邪魔したのは、ボロを纏った三人の男だった。
「…おじさん達、誰?」
「おじさん達はよお、グフッ、お嬢ちゃんみたいな可愛い子を攫ってよぉ、ゲフッ、どこかのお金持ちへ売る仕事をしているんだよぉグフフフフ」
人攫いである。
(久々に会ったな。春先だから湧いて出たのか…)
虫みたいな連中だなあと思った。
「じゃ、私はこれで」
私はくるっと回って逃げ出した。
「待ちやがれ!!」
外を出歩くようになってから、こういう連中に襲われたことは一度や二度じゃなかった。
しかし、ゴロツキ程度に捕まる私ではない。
「は、速えええ!?」
勝手知ったる路地裏を縦横無尽に駆けていく。
すぐに人攫い共の姿が消えて、
(撒いたかな…)
と思ったところで、前方の曲がり角から腕が伸びてきた。
「クソガキ、大人しく捕まりな!」
さっきは見なかった顔だ。
四人目である。
逃げられた時用の伏兵か。
(手慣れているな)
後方からは三人組も迫ってきた。
私は一本、脇道へ入る。
「ガハハッ!!そっちは行き止まりだぜ!!」
「すばしっこいぞ!油断して逃すんじゃねえぞ!」
前方には四メートルくらいの壁。
私は構わず突っ込んだ。
壁に向かって、勢いそのまま飛び上がる。
一歩、二歩、三歩。
壁を蹴って頂上に手をかけた。
「嘘だろおい!」
唖然とする人攫い達を、壁の上から見下ろす。
なお、ズボンを履いているので下着のサービスは無いのである。
私は男物の服しか着ない。
元男としての最後のプライドだ。
スカートなんかは絶対に履かないと心に決めている。
そのことをヨハンと家政婦のヒルダ、そして街の人達は嘆いていたが絶対に履かない。
閑話休題。
ゴロツキの一人が、私の真似をして無謀にも壁越えに挑んできた。
「ちくしょおおおやったらあああ!!!」
雄叫びを上げて壁を蹴る。
一歩、二歩、あ〜。
推定二メートル八十センチ。
背中から落ちていった。
「グエッ」
汚ない声を上げ、見苦しくジタバタする、汚いおっさん。
すると、腰布がはだけて下着がチラリ。
(うぇっ、気分悪くなりそう…脛毛汚っ)
見るに耐えなかったので、私は別れを告げて壁から飛び降りた。
「じゃあね」
私はひたすら東に向かった。
街の東の郊外には貧民街がある。
ゴロツキや浮浪者など、まともに街に住めない人間が集まっている。
壁で仕切られてはいるけれど、壁は穴だらけなので街の人はほぼ近寄らない。
既に付近に人の気配はほとんど無い。
日も当たらない小道を進むと、街を流れる水路に当たる。
少し先に木の橋が架かっているので、そちらへ向かう。
橋を渡る。
足音だけが響く。
気付けば私一人だ。
カツン、カツン。
暗い道に青い空が目に痛い。
橋の先に壁が迫る。
そうして。
人のいない道を、一つ曲がると…。
アーチの先に、白い椅子とテーブルが一つずつ、壁に蔦が巻き付いた、明るい素敵なテラスにたどり着く。
ここは白魔女・ヴァインのお店。