7話 ヨハン② モニカの結婚
モニカは手のかからない子であった。
生まれた時から静かな子で、あまりにも泣かないから初めは泣く体力すら無いのかと不安に思っていた。
たまに泣いた時は必ずおしめが汚れていて、それもおしめを取り替えればピタリと止まった。
首が座ってすぐハイハイを始め、勝手に便所へ行くようになった。
気付けば立って歩いていたし、喋り出すのも早かった。
二歳になる前に読み書きを覚えたあたりで、俺はまた何かが取り憑いているのではないかと不安になった。
教会や白魔女に診てもらったが、普通の赤ん坊とのことで安心した。
二歳からは剣術も教え始めた。
将来は冒険者になりたいらしい。
我が子が跡を継いでくれるというのは、やはり嬉しかった。
毎日剣を教え、三年でC級冒険者並みの実力が付く。
うちの子は紛れもない天才だった。
そして五歳の誕生日、俺はモニカを初の実戦へ連れて行った。
念のため獲物はD級のオークにしておく。
オークはすぐに見つかった。
が、モニカは茂みの陰から中々一歩を踏み出せずにいた。
ここは父として、師として、モニカの背中を押してやるべきだろう。
「よーし、行ってこい!」
モニカは勢いよく飛び出して行き、そしてオークにぶっ飛ばされた。
小さな身体がヒューンと飛んでいくのを見て、俺は血の気が失せた。
俺は木の裏から飛び出した。
オークがこちらを見たが、構わず走る。
叫び声を上げて突進してくるオークを、俺は素手で殴り飛ばした。
「邪魔だ!!」
オークは顔面が爆散してくたばった。
剣を抜く時間すら惜しかった。
モニカに駆け寄り、抱き寄せた。
全身血塗れだが、意識は薄く残っていて、命に別状は無さそうであった。
心の底から安堵した。
用意していた上級ポーションを飲ませると、全身の傷は瞬く間に治り、呼吸も落ち着いた。
「う…ここはどこ?私は誰?」
「何を言ってるんだ、お前はモニカだ。大丈夫か?痛いところとかないか?」
「ヨハ…お父さん…私変な夢を見ていたみたい」
「どんな夢だ?」
「お父さんに突き飛ばされてオークに殺される夢」
「……」
俺は一生懸命謝った。
「初めの一歩は誰だって勇気がいるだろう?俺はそれを手伝ってやろうとしたのであって、決して突き飛ばしたわけじゃないんだ。全部モニカのためを思って…」
モニカの表情は険しい。
完全に疑われている。
ここまで渋い表情は、乳母を近所の恰幅のいいおばちゃんに任せた時並みである。
モニカの乳離れは滅茶苦茶早かった。
そんなことは今どうでもいい。
「機嫌直してくれよ。そうだ、お詫びに何か買ってやろう。剣がいいか?盾がいいか?美味しい物でもいいぞ!」
「いらない!」
逆効果であった。
モニカの聡明さをうっかり失念していた。
物で釣ろうとしたところ、怪訝な表情からゴミを見るような目になった。
今朝はあんなにキラキラした目で「お父さん大好き!」と言ってくれたのに…。
どうしよう。
今までモニカと喧嘩になったことなど一度もない。
一度帰って時間が解決してくれるのを待つか?
いや、それで機嫌が直らなかったらどうする。
もう二度と「お父さん大好き!」と言ってくれないかもしれない。
やはり何とかしなければ。
「そうだ!まだ日も高いしオークに再戦しよう!大丈夫今度こそ勝てるはずだ。次は背中も押さないし…」
「絶対やだ!」
……うん、まあ、そうだよな。
五歳の女の子が死にかけたその日にやり返しに行こう!となるわけがなかった。
自分を基準に考えたのが間違いであった。
「もう戦いなんてしない!冒険者にもならない!」
「な、なんだって!?」
その言葉はあまりにも衝撃的であった。
せっかく色々教え、跡を継いでくれると思って嬉しかったのに。
それにモニカは天才だ。
冒険者にならないなんて世界的な損失と言って過言では無い。
ああ、何故俺はオークとなんか戦わせてしまったのか…!
「ぼ、冒険者になるのが夢じゃなかったのか?じゃあ将来はどうするんだ?」
「…お、お嫁さんになる?」
再びの衝撃。
愕然とする俺。
愕然とするモニカ。
何故言った本人が頭を抱えているのか。
しかし、お嫁さんだと…。
モニカは可愛い。
アニーの子供なのだから将来美人になるのは間違いない。
引く手数多だろうが、結婚…い、嫌だ。
手塩にかけて大事に育てた娘を、何故どこぞの馬の骨にやらねばならんのだ。
想像するだけで気分が悪くなる。
俺もモニカと一緒に頭を抱えて、結局何も解決しないまま、俺達は家路についた。