98話 リンク⑦ VS.ゾンビ
前方の平原に爆炎が上る。
「す、凄い…」
「これが魔法…」
「何かもう、弓使ってんのが馬鹿馬鹿しくなるわね…」
壁上で弓使い達が呟く。
「ゾンビなんか今ので全部ふっ飛んじまったんじゃねえの?」
「まだです!」
叫んで、炎の先を指差す。
魔法は間違いなくゾンビの群れに命中した。
しかし、敵は一万体のゾンビだ。
「直撃を受けたゾンビは三十体が良いところで、余波や、炎に巻かれた分を含めても、倒せたのは精々五十体です!」
言い終わるのとほぼ同時に、ゆらめく炎の向こうからゾンビが次々に姿を現す。
「嘘っ、まだあんなに!?」
「今のでたったの五十体!?」
残りは約九千九百五十体。
俺の上級魔法ならば二百発で全滅させられる計算だが、
「それと、上級魔法はあと一発撃つのが限界です」
足を止めていたアーブラさん達も再びゾンビに向かって走り出した。
「ほ、呆けてる場合じゃないわ!私達も応戦するわよ!」
壁上からも弓矢が放たれる。
しかし数の差は如何ともし難く、討ち漏らしが何体も街まで迫ってきた。
「焦るな!十分引き付けて、確実に急所を狙え。でないと、あっという間に矢が無くなるぞ!」
俺も再び詠唱を始める。
(とにかく、少しでも数を減らさなければ)
ゾンビはD級の魔物であり、単体で見れば大した強さはない。
が、一万もの群勢となれば、それは戦争規模の災厄である。
「イクスプロジア!!!」
草原に再び火柱が上がった。
残るゾンビは約九千九百体。
「何だ今の爆発は!」
怒鳴りながら壁上に上ってきたのは中年の兵士だった。
「グスタフさん!」
魔力が尽き役立たずになっていた俺が対応に向かった。
「何、今のはリンクの坊主の魔法!?本当か?物凄い音だったぞ!」
「それより、街の状況はどうなっていますか、避難は済みましたか?」
「無茶言うな!さっき避難が始まったばっかりだ!おまけに今の爆音で大騒ぎになって、ろくに進んでいやしない!」
兵士達は壁の内側に残って守りを固めている。
彼らは国や領主に雇われた身であるから、冒険者のように勝手な行動は出来なかった。
「だが、領主様からの許可はもらってきたぞ。俺達も応戦に出て良いとのことだ。今、下に領主様直属の騎士様が来て、指揮を執ってる」
「領主様は?」
「領主様は城に残った。まあ、逃げ出さないだけ良い領主様さ」
大領地の領主ともなれば魔法教育を受けているはずだ。
今は少しでも戦力が欲しいところだったのだが、
(俺も顔を知られているかもしれないから、領主が出てこないのは都合が良かったと思うことにしよう)
地上に目を向ければ街中の兵士が集まっていた。
その数、二百人余り。
「それと、こいつも持ってきたぞ」
グスタフさんの後から更に二人、若い兵士が壁に上がってくる。
彼らが背負っていた袋を広げると、中からはガラス瓶が二十本出てきた。
「ポーションだ!」
それも、全て澄んだ紫色をしている。
一目で上級魔力ポーションだと分かった。
「こんな短時間でよくこれだけ集まりましたね」
「この街の魔女から買い占めてきた。体力ポーションは下にあるから、こっちのは全部使っていいぞ」
(オールムの街の魔女か)
存在は聞いていたけれど、実は一度も姿を見たことがない。
(まあ、魔女は戦闘能力に乏しいと聞くから、出てこないのは良いとして…問題はこのポーションの効力だな)
俺は早速ポーションを一本開け、飲み干す。
全て飲み終わると、俺の身体には魔力が満ち満ちていた。
(…よし、魔力が戻った!)
ポーションの効き目は抜群で、再び上級魔法が二発撃てるようになる。
この場の魔力ポーションを全て飲み干せば、俺が撃てる上級魔法は四十発。
ゾンビ約二千体を焼き払える計算だ。
残る八千体を二百五十人で割れば、一人当たり三十二体倒すことで殲滅出来る。
(ギリギリいけるか…?)
これらの数字はあくまで概算。
上手くすれば五十より多くのゾンビを炎で倒せるかもしれないし、悪くすればゾンビの数は一万よりもっと多いかもしれない。
(とにかく俺は撃つしかない)
冬の夜の戦闘であるから、光源や熱源は多くある方が良いはずだ。
俺が三度目の魔法を放つと、地上部隊の第二陣が門を飛び出して行った。
戦闘は明け方まで続いた。
東の空が白み始めると、焦土と化した大地が顕になった。
眼前に広がる光景は、さながら地獄の様相だった。
「ファイアーボール…ぐうっ!」
地上にはゾンビの死骸が山と積まれていた。
しかし、未だ三桁以上のゾンビが街壁の前で蠢いていた。
地上に生きている人間は残っていない。
壁の上では弓使い達が剣を抜いて、登ってくるゾンビ共を払い落としていた。
街に残った数十名の兵士達は、内側から壁門を押さえている。
だが、ゾンビに殴られる度に木の門は軋みを上げ、突破されるのは時間の問題だった。
そして俺はといえば、既にポーションを使い切り、初級魔法すら放てない状態である。
(あ、頭が痛い…短時間にポーションを飲み過ぎた…)
そうでなくとも、一睡もせずに戦い続けて、皆が疲労の極致であった。
最早、ゾンビに抗う術は残っていない。
俺達は負けたのである。
(それでも…!)
泣き言を漏らしている暇は無かった。
頭を振って、腰の剣に手を伸ばすと、俺もゾンビを突き落とす作業に加わった。
(せめて、時間を稼ぐ。街の人達の避難が完了するまでは…!)
夜明け前に冒険者ギルドの職員がやってきた。
避難は遅々として進んでいない、とのことだった。
「くそったれ!ギルドの連中は何をやってんだ!」
望みがあるとすれば、近隣の領地からの増援くらいであるが、
(たった一晩の間に増援が到着するとは思えない。伝令が近くの街に辿り着くだけで精一杯だろう)
この上は、俺一人逃げ出してしまおうか、とまで考えた。
動けないギルに代わってオリヴィア様を助け出す。
そのために俺は命を救われたのだ。
こんな所で死ぬわけにはいかない。
(でも、皆を置いて逃げるなんて…)
「リンク!」
余計なことを考えていた俺は、壁をよじ登ってきたゾンビに両腕を掴まれる。
「あっ!」
ゾンビはD級の魔物。
その力は成人男性を優に超え、俺の身体は壁の上から容易に引きずり降ろされた。
身体が浮遊感に包まれる。
とっさに飛行魔法で逃れようとしたが、魔力は残っていない。
なす術も無く、ゾンビの群れに頭から落ちて行く。
落ちる最中、地上のゾンビと目が合った。
その中には、アーブラさんらしきゾンビが混じっていて、俺はキツく目を瞑った。
「おらぁ!」
衝撃が全身を包み、視界が二転三転した。
初めは地面に叩きつけられたのだと思った。
しかし、地面に激突したにしては痛みを感じなかった。
心臓の鼓動が聞こえる。
目を開けると、見知らぬ誰かの腕の中だった。
「やあ少年、危ういところだったね、大丈夫かい?(低音)」
周りは朱色の雲の中。
下を見ると、地面は遥か遠くにあった。
どうやら俺は、地面へ叩きつけられる前に飛行魔法で救出されたらしい。
腕にへばり付いていたゾンビも、気が付いたらいなくなっていた。
恐らく、途中で振り落とされたに違いない。
(…一瞬で、これほど上空に飛び上がったのか。それも人一人抱えてなんて…)
尋常な魔法ではない。
それは、風魔法を得意とする俺だからこそ、よりかんじられることであった。
これほどの魔法が使える者を、俺は過去に一人しか知らない。
俺を救ったその人物は、顔に石で出来た面を着けていた。
「…ってあれ?ラウレンツ様?」
そして、うっかり出した素のままの声は、余りにも聞き覚えがあり過ぎた。
「…まさか、モニカ?」