9話 眠る白魔女
テラスにヴァインの姿はない。
私はアーチまで戻り、周囲の家の屋根を探す。
「あ、みっけ。ヴァインさーん、遊びに来たよー」
私の声に、ヴァインは顔だけ起こしてこちらを見た。
「今日も来たのかい、モニカ。君は暇だねえ」
「いや、実際暇でね」
私は最近ここに入り浸っている。
家にいるとヒルダがうるさいのだ。
『モニカさん、お暇ならヒルダと編み物でもしませんか?』
『いいや。そんなに得意じゃないもの』
『では素振りでもしましょう!腕立て伏せでもいいですよ!』
『それはもっとやだ』
オークに半殺しにされてから早二年弱。
剣術修行も筋トレもすっかり辞めた。
ヨハンは何とか稽古を再開させようと毎日あの手この手で攻めてくる。
日がな一日ゴロゴロしている私を見て、そのうちヒルダもヨハンに味方するようになった。
しかし、私の身体能力は既に十分高い。
稽古なんかもう不要であった。
もう冒険者にはならないのだから。
死ぬような目に合うなんて二度と御免である。
ヨハンやヒルダを避けるため、私は街を散策するようになった。
「もうすぐ徒弟見習いだろ?どうするか決めた?冒険者にはならないんだろ?」
「うーん…まだ、考え中」
この世界では、七歳で見習い、十歳で就職、十五歳で成人して一人前の大人になり、五十歳くらいで死ぬ。
大抵は親の仕事を継ぐので、六歳なら既に手伝いくらい始めている年齢だが、今の私はプーである。
親が衛兵なので、手伝うことも特に無い。
女の子だから、必ず父の後を継がねばならないというわけでもない。
しかし、他にやりたいことも思い付かない。
現代知識で無双出来る仕事ないかな、と考えたが、六年間で向こうの知識は粗方忘れた。
もっと真面目に勉強しておけばと思ったが後の祭りである。
ここはやっぱり王道の料理無双だろ、と考えたが、私は料理を作ったことが無かった。
向こうでは専業主婦の母が全部作ってくれた。
私が作れる料理といったら、カップ麺か冷凍食品をレンジでチン!である。
もっと母の手伝いをしておくんだった。
他に女の身で出来ることといったら…お嫁さんとか?
無理である。
嫁ぐということは、どっかの男と何やかんやするということだ。
絶対に嫌である。
最悪、教会にでも入るしかない。
しかし、神様に実際会った私である。
(あのうっかり神様を崇めるのか…あんまり気乗りしないなあ)
色々考えたが、良い案は出て来なかったので、そのうち私は考えるのをやめた。
「ていうか早く降りてきてよ」
「やれやれ、仕方ないなぁ…」
そう言って、ヴァインは屋根の上で伸びをする。
そしてまた寝る体勢に戻った。
「おい寝るな起きろ!」
「で、今日は何の用事?」
私の渾身のツッコミは華麗に無視された。
「あ、そうだ!今日こそ魔法を教えてよ!」
「却下」
「そこを何とか!」
「教わりたければゴルゴン小金貨1枚持ってきな」
何度も繰り返したやり取りである。
小金貨の価値は1枚10万円強。
平民の六歳児が持てる額ではない。
いつもなら諦めるところであったが、
「…ふっふっふ、実は、今日は持って来てるんだ!」
(ヨハンのヘソクリからくすねた金をな!)
窃盗であった。
「どれどれ。あー残念、それはゴルゴン金貨じゃなくてフィルリオ金貨だよ」
「えええ!?」
まさかの別金貨。
せっかく泥棒までしたのに、せっかくの苦労が水の泡である。
いや、しかし待てよ。
フィルリオ…フィルリオ…。
「フィルリオってこの国の名前じゃん!」
「そうね」
「ゴルゴン金貨ってどこの金貨?」
「そりゃゴルゴン王国の金貨に決まってるだろう」
「いや、ゴルゴン王国ってどこよ」
「隣の国」
「じゃあゴルゴン金貨なんか持ってるわけ無いじゃん!」
私は叫んだ。
大人しい子と言われている私が、声を張り上げるのは珍しい。
「…ていうか、フィルリオ金貨とゴルゴン金貨って価値違うの?」
「違うよ」
「向こうの方が高いの?いくらぐらい?」
私はまだ六歳で、世情には疎い。
同じ金貨でどれくらい差があるかは知らない。
しかし、あっても2倍くらいなら、もう一枚くすねて来たりすれば何とか…。
「フィルリオ金貨の方が高いよ」
「じゃあいいじゃん!!」
モニカは激怒した。
必ずこの邪知暴虐の魔女を何やかんやしないとならぬ。
「ダメダメ、モニカからはゴルゴン金貨以外受け取らないから」
「何でよ!」
「面倒だから」
「おーい!!」
さてはこの猫畜生、最初から教える気なかったな!
完全に無駄なやり取りであった。
くそっ!
さっさと屋根から降りてこい!
撫で回してやる!
白魔女ヴァインは、白い長毛の猫である。
私が連日わざわざ街の端まで通っているのは、ヴァインを撫でるためであった。
今日やたらテンション高いのは、猫と戯れているからである。
出来ることなら飼いたいと思っていた。
犬を。
「第一その金はヨハンのだろう?受け取らないよ。魔法が知りたきゃ自分で稼いだ金を持ってきな」
急にど正論が飛んできて、私は返す言葉が無かった。
「ぐぬぬ」